第3話 玻璃の書庫

 昔々、あるところにリヨンという名前の村一番の力持ちの男がおりました。

 体の弱い父の代わりに畑を耕し、山で薪を拾い、水を汲み、弟や妹の面倒を見ていました。日が沈むまで畑仕事をしていても疲れることはなく、海のように大きな河を泳いで渡り、山のように重ねた米俵を抱えることができました。噂を聞きつけた近くの村から力自慢の男達が何人も力比べをしに来ましたが、かなう者はいませんでした。

 そんなある日男は、自分が武勲をあげれば家族にもっと良い生活をさせられるのではないかと気付きました。そして男は兵士になる前に遠く西にある森に一人で赴き、そこに棲む魔物と力比べをして試してみようと思い立ちました。

 西の森には男が見たこともないような獣がたくさんおりました。男は獣を殴り、捻り、首を絞め、何匹も倒しました。何日もそれを続けていると、ある日、森の主と遇いました。森の主は翼を持った黒鉄色の大きな竜でした。男は今までに無いほどの傷を負いましたが、知恵を出し、力を振り絞り、森の主を倒しました。男は倒した竜の心臓を喰い、肉を食み、血を呑みました。すると一体どういうことなのか。男の体は竜の鱗に覆われ、もっともっと強くなりました。自信を付けた男は都に行って兵士になりました。

 当時のお上さまは随分優しくそれにたいそう若かったせいか、乱が絶えませんでした。ある時夜空に多くの凶星が堕ち、それをきっかけにした大きな乱によってお上様は追い詰められました。

 気の毒に思った男はお上さまのもとで何度も何度も戦いました。その体は矢を徹さず、刀を弾き、馬よりも疾く長く走り、大勢でのしかかってもまとめて持ち上げてしまいました。男が喇叭を吹けば耐えきれずに張り裂け、喝は山を越えて届き、敵はその声を聞いただけで腰を抜かして逃げてしまうほどでした。

 男はいつしか国一番の武者になっていました。そして彼が頑張ったおかげか、ついに平和な世が訪れました。

 お上さまは男が一生遊んで暮らせるように取り計らいましたが、男は断りました。男は、お上さまの子供もそのまた子供も優しい人に育てば、ずっと守り助けるのだと約束を交わし、そのままどこかに消えてしまいました。なんでも、西の森のさらに向こうから悪いモノがやってくるからそれを退治しに行ったとか言われていますが、本当のところは誰も知りません。




 皇都シオン、文化庁の映像施設の暗い部屋。旧世界で映画館と呼ばれていた娯楽施設をスケールダウンして再現した場所だと聞かされたが、ここに入るのも実際に書庫に残された映像媒体を観るのも、ポップコーンという名前のスナック菓子を食べるのもハルには初めての体験だった。

 スクリーンの向かいには4列×5列の連なった肘掛椅子があり、2人はその中心あたりの席に座っている。

 スクリーンの真っ黒な背景に英語の文字が羅列された画面をえんえんと流していた。

「弾丸よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルもひとっ飛び! 見た目は違うけど、この映画の主人公も鎧の人みたいだな」

 隣に座る少年は興奮気味に話す。

 ハルはその話をじっと聴いていた。

 神代の人類が滅びる直前に造った、旧世界のあらゆる情報を記した書庫。その中には文明最再興のための技術体系などだけでなく、一部の娯楽文化作品も遺されていた。

「目下、我が国の基本方針は科学文明を取り戻すことですが、このような娯楽文化を軽視してはいけません。書庫にある作品を再現し、さらにこの世界においてクリエイターらが新たな文化を産み出していける国にならなければ、自然科学一辺倒の窮屈な社会になってしまいます。これからこの街を、この国を担う若者として頭の片隅に入れておいてください。文明が文化を産み出し、文化が文明を支えるのだと」

「その立ち位置でその口調だと、教師みたいに見えるな」

「教師ですから」

「似合っていると思うぞ」

 今上陛下の御子息、皇位継承第一位のユエ皇太子殿下だ、失礼の無いように、と。

 事前にリーから忠告を受けてはいたが、隣に座るこの髪の長い少年と、夜間学校の同年代の学生達との違いがよく分からなかった。強いて言えば支給服ではなく上等な洋服を着ていることくらいで、そのフレンドリーな姿勢にハルはどこか拍子抜けしてしまっていた。

「学校でもリーはこんなふうなの?」

「うん」

 あらゆる産業を振興する皇国は常に人材不足に悩まされ続けている。

 書庫に遺された情報は体系化されている。さらにその重要度及び危険度によって、最高レベルのAから最低レベルのEまでの5段階に分かれている。ハルのような未成年は国が決めた機密レベルDからEに分類されている内容とナカツクニの歴史や皇国の政治、経済などを学習することが義務付けられている。

 また学者や技術者は機密レベルAからCに分類されるような高度な内容を咀嚼、再現することで手一杯であり、それ以外の労働者の一部が兼業をすることでなんとか経済が成り立っている。リーという男もまたその内の一人だった。

 表向きは陸軍に属する部隊だが、実際は総統府直属の専門部隊である「新衛隊」。主に国内の治安維持などで単独又は他の陸軍部隊と共同で作戦を執り行う。1世代前の発足当初の新衛隊が俗にいう「貴族殺し」で成果を挙げなければ、旧来の封建的な諸侯を排除できず、またその資産を没収することもできず、皇都をに変貌させることはできなかったと言われている。

 普段はそのような部隊に所属していながら、夜間学校で教鞭を執っている。ハルからすれば、表情はあまり変わらずとも、辺境の地で救出された際に比べればいくらか柔らかい雰囲気を醸し出しているように見える。

「人殺しを仕事にしている人間が教師というのも異様ですが、人手不足の時代で良かったですよ。子供に物を教えるのは好きなので」

 彼が苦虫を噛み潰したような顔になったのを見て、ハルは空気が急速に冷えていくのを実感した。しかし隣に座るユエはハルのように硬直した様子は無かった。

「軍人は国を守るのが仕事だろう。人を殺していようがいまいが教師としての適性とは関係ない。僕は気にしないよ。そんな酷いこと言うやつがいたら僕にチクれよ。勅令で懲らしめてやる」

 ユエは笑顔でポップコーンをつまみながら言う。リーは一瞬ぽかんとした後、つられるように珍しく微笑んだ。

 まだ出会ったばかりだが、ハルは彼のこのような鈍感さと表裏一体の優しさが心地よかった。

「我が国の法体系ではそんな簡単に勅令は出せませんよ」

「ぬう」

 エンドロールが終わり、部屋の照明が点灯した。

「内容は面白かったけど、エンドロールがやっぱりつまらないな」

「それは英語で書かれているからでしょう。読めるようになればまた違った楽しみ方もできるかもしれません。それと、聞いたところによるとエンドロール中であろうと最中のおしゃべりはマナー違反のようです。今後またここかここ以外の映画鑑賞施設を利用する際はお気を付けを」

「は~い」

「というか、あの昔話は何だったのですか」

「ただの昔話じゃない。皇室に代々伝わる言い伝えだよ」

「私は聞いたことがありません。どれくらい前の話なのですか」

「ナカツクニが統一された頃だから。400年以上前だ」

「おお……太祖の時代まで遡るということか」

 リーはハルをちらと見てから言った。

「もしやここ数日ハルを連れまわしているのは、彼が言い伝えにあるリヨンとかいう名前の英雄と被るから、ですか?」

「そう! ハルの腕や脚にある鱗みたいなやつ、これは絶対鎧の人と同じものだよ。これをまとうことで強くなって、ご先祖様を守ってくれたんだ。代々約束を守っていて良かった。リヨンが生まれ変わってまた来てくれたんだよ」

 ユエは目をらんらんとさせながらに語る

「非科学的ですよ殿下。あなたらしくもない」

「ぬう……。父上もそう言っていたのに。誰もこの言い伝えを信じない」

「それと、彼に期待を寄せているのは分かりますが、あまりべたべたしすぎると、事情を知らない人間からしますと……」

 ユエはむっとした。

「リーもハルの体が嫌なのか」

「あくまで一般人が抱くであろう感情です。私は違いますよ」

「鱗みたいになってるからって何が気持ち悪いんだ? 旧世界の映画のヒーローみたいでかっこいいのに」

 リーは手を叩いて仕切りなおす。

「さあさあ。次の予定に移りますよ。ハルは明日も新衛隊の訓練がありますから、夜更かしはさせられません」

 ポップコーンの空になったカップをそれぞれ出口で待ち構えていた係員に渡し、ぞろぞろと出ていく。ここに入ったときは黄昏時だったが、既に夜も遅い。

「どこへ?」

 ハルはユエの後ろ歩きながら質問する。

「夜だぞ。決まってるだろう。天体観測だ」



 3人は気象庁の施設に赴いた。

「ハルは僕と同い年なんだろう? じゃあ、タメ口だな。敬語なんて僕は嫌だぞ。それに太祖皇帝と鎧の人は対等な関係だったというからな」

 4日前の昼間に新衛隊の訓練をした後、夜間学校で授業を受けていたところにユエは突然訪問してきた。いきなり上の服を脱ぐよう頼み込まれたときは何事かと驚いた。

 その後ユエは街の中の様々な場所にハルを連れ回した。リーはその度に先導役兼護衛として付き添っている。

 屋上に着くと、三脚で立てられた望遠鏡があった。

「これ、理科の教科書に載ってたやつだ」

「そう。望遠鏡。とても遠くにあるものが近くに見えるようになる器械だ」

「今までで一番楽しそうですね。殿下」

「宇宙は面白いから。僕は好きだ」

 ユエはハルに望遠鏡の扱い方を教え、実際に星空を見せながら話した。夜空の光は全て太陽と同じもので、遠くにあるから光の点にしか見えないということ。この望遠鏡よりも何十倍も大きなものがあったこと。人類はかつて火星に到達し、月に塔を建てたということ。

「それとな、それと。旧世界の人達はロケットで数えきれない程の機械を宇宙に飛ばしたんだ。人工衛星という名前の、地球の天気や宇宙の果てを観測するためのものを。それが地球の周りを回っていて、ほとんどは大昔に壊れるか地球に堕ちちゃったんだけど、まだ残っているものがある」

 ユエは上空に眼を凝らしたのち、突然一点を指し示した。

「ほら、ハル。あれだ」

 夜空に突然現れた光の点が軌跡を描いて彼方に消えていく。

「流れ星? 初めて見た」

「普通の流れ星は地球の大気にぶつかった小さなチリだ。でも今のはチリじゃなくて、旧世界の人工衛星だ。低い軌道の人工衛星は大昔に落ちたけど、特に高い軌道を回っていた人工衛星は現代にやっと地球の大気圏まで落ちてくるようになった。その一群がここ数日観られるんだ」

 さらに同じような流星が長い尾を引きながら次々と現れる。

「昨日見たものと方向が同じだけど数が多いから、多分大型の衛星がさらに崩れてその部品が一気に流れ星になってるんだと思う」

 リーは膝を打った。

「なるほど。古文書に流星群を凶兆と捉える文化の記述があったが、まさか正体は旧世界の高軌道人工衛星だったとは。これは面白い。学校で歴史を教えるときの雑談のネタが一つ増えましたよ」

 ハルは淡く輝く光の線に釘付けになった。経験の無い静かで確かな高揚を覚える。

 ユエはハルの前に立って力強く説く。

「ハル。僕が国皇になる頃にはこの国はさらに発展しているはずだ。旧世界の便利な生活を取り戻したら、その次は僕達は宇宙へ行くんだ。ロケットで月に行って、神代に完成間近に放棄されたという月面令和基地と国際月面軌道エレベーター『ローリエ』にアクセスする。これが僕の夢だ」

 彼はハルの手を取る。

「僕は弱い。所詮実権も実力も無い飾りの君主だ。だから守って欲しい。僕の夢を、この街を、この国を。頼む」

 右手を包む彼の両手からじんわりと熱が伝わる。シウ以外の人間にこんなにも近付かれるのは、手を取ってもらえるのは、優しくしてもらえるのは、初めてだった。

「俺がその、鎧の人なのかどうかは分からない。期待に応えられるかどうかも分からない。でも、ずっと、誰かのために戦いたいと思ってた。そのために新衛隊に入った。だから、喜んで引き受けるよ」

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