第70話 月


 エマを救うと決めた。

 そのために僕はできることは何でもするし、使えるものは何でも使う。

 エマを自由にする方法。一番手っ取り早いのは基地を破壊して無くしてしまうことだ。が、この広大な基地をすっかり壊すのは、チグリスでも簡単なことではない。きっと暴れてるうちに基地の反撃を受けて、ギアローダー一機などすぐ潰されてしまうだろう。しかもそれを動かすのはきっとエマで、彼女にそんなことをさせるわけにはいかない。

 もっとも、もし破壊が可能だったとしても、この基地は居住区の防衛を担う大事な要なのだ。無くなったら大穴が空いてしまい、ここらの人間はまず滅びることになるだろう。エマが自由になれても生きる場所が無い、では元も子もない。

「アオイ、授業終わったぞ」

 行き掛けのアルに声を掛けられて、僕は顔を上げる。どうやらまたボーとしてるように見えたのだろうけど。今日の僕はそれほど調子が悪くなくて、ちゃんと終業に気づいていた。

「うん。人がけるのを待ってるだけ」

 考えてることがあって、人が減ってから動きたかった。

「大丈夫だから。友達呼んでるし、行ってよ」

 頷いて背を向けたアルに僕は声を掛ける。

「アル」

 すぐにアルは振り返った。

「またね」

 にかりとアルが笑う。

「おう。また後でな」

 そう言って去っていく姿を僕は見えなくなるまで見送った。

 だいたい人が居なくなった頃、ゆっくり僕も席を立つ。向かう先は格納庫だ。

 チグリスには基地を無くすことはできない。けど、そもそもこの基地の必要がなくなってしまえば、畢竟皇女も必要なくなるのではないか。

 基地の必要がなくなる。つまり、スカイデーモンを殲滅すればいい。

 あまりに途方もなかった。いくらチグリスがむきになって戦ったところで、あんなにうじゃうじゃ涌いてくる敵を殲滅するなど出来るわけもない。まだ基地をぶっ壊す方が現実的だ。


 けれど、無理を無理と言っていてはエマを救えない。


 格納庫の整備業務は主に昼間行われるが、夜間も交代で技官が詰めているので停まっていることはない。問題は担当の技官が都合よく見つかるかどうかだった。でもきっと居るだろう。なんかいつも仕事してるし。

 しばらくうろうろしたが、だいたいいつも通りの所でいつもの姿を見つけた。なんて説明しようと思いつつ声を掛ける。

 振り返った上官はやや驚いた顔をした。

「こんな時間にどうしたんです?」

 残念なことにそれらしい説明とか上手い言い訳とかを思い付くことができない。僕は端的に目的を伝えた。

「チグリスに乗りたいです」

「今、ですか?」

 当然、訝しげな顔になる。

「また急ですね。なぜ?」

「少し確かめたいことが、できて」

「確かめたいことねぇ」

 じろじろ探るような視線を向けつつも、上官は何をとは聞かなかった。代わりに言われる。

「出機はできないですよ。あと、庫内で暴れられるのも困ります」

「大丈夫です。乗るだけで動きません」

「忙しいので面倒もみられないです」

「迷惑掛けません」

 目を細めつつ上官は了承した。

「一番隅の作業場ヤードへ出します。付いて来てください」

「ありがとうございます」

 さっさと歩きだす上官の後を追う。

 襲ってくるスカイデーモンを片っ端から殺してたって殲滅なんて到底無理だ。やるべきは敵が涌き出てくる地点、スカイデーモンの巣を潰すこと。殲滅できるとすれば、方法はそれしかない。

 しかし、未だに人間は巣の所在さえ知ることが出来ずにいる。ギアローダーの探知範囲も通信範囲も狭いからだ。

 チグリスには、それが出来た。

「ここで出庫しますので、少し待っていてください」

 片隅のヤードで上官が操作を始める。ほどなく格納機が低く唸り始めた。その背中に向かって僕は問う。

「……衛星って何か知ってますか?」

「衛星?」

 不思議そうな顔がちらりと振り返った。

「衛星というのはアレでしょう。惑星の周りを回っている星、要は月とかですかね」

 夜空に白く大きく浮かぶ丸。

「月って、誰かいるんですか?」

「いませんよ、今は。昔は、人間も月に行っていたらしいですけど」

 そうか、昔の人にとっては、あの月も手の届くものだったのか。

 見慣れた真っ白な機体がゲートを通って出てくる。あるいは優美とさえ言える曲線を描くそれは、強力な兵器には到底見えない。

 上官がテストの時みたいなぶっとい線をチグリスに繋ぐ。

「…………」

「外部電源ですよ」

 別になにも言ってないですよ。

「どうぞ。用が済んだら機体とヤードの使用ログを消しておいてもらえると助かります」

 礼を言って僕はチグリスに乗り込んだ。この中の居心地の良さだけはいつも格別だ。それを少しだけ楽しんでから、いつもの接続手順を踏む。すぐに神経が繋がって、僕はチグリスになった。

 軽く知覚と動作を試してみる。相も変わらずチグリスは調子が良い。なんの違和感もなく、力は漲っている。最近の僕がずっと不調で全てがしんどいのに比べると、チグリスはなんとも気分が良い。

 なんだかよく分からない幸福感に包まれて、僕はうとうと昼寝でもしているようだ。

 けれど、薄ぼんやりとする意識に活を入れる。このまま眠ってしまったら気持ち良いのだろうけど、でもまだ僕にはあと少しやらなければいけないことがある。

 まず念入りに外部との通信経路を遮断して、うっかり繋げてしまわないよう何重にもロックする。これは実験みたいなものだから、気を付けないといけない。

 僕は、“衛星”に手を出すつもりだった。

 前に一度だけ繋がってしまった衛星。暴力的な情報量に僕が悲鳴を上げて逃げ出した、あれ。なんなのかはさっぱり分からない。月かもしれない。どうしようもないし、怖いし、痛かったから、封印して使わず隠してきたけど。

 でもチグリスは識っている。あれを使えばどこまでも自由に視えるだろうことを。スカイデーモンの巣を見つけるのだって造作ないはずだ。

 もっとも、やってみないと何がどれ程どうやって視えるのかは分からない。僕が無事で済むかも分からない。けど、試すだけの価値はある。

 一旦チグリスの知覚の全てを切る。音も光もない無の空間で自分自身に言い聞かせる。大丈夫。きっとできる。あの時よりもずっとチグリスは習熟してる。なにがあっても止めずに耐える。

 そうして、衛星の起動と接続を命じた。

 知覚を切っていたから、前のようにすぐ情報が雪崩れ込んでくることはなかった。その代わり眩暈めまいのような気持ち悪さに襲われる。何かが殖えて無理矢理に感覚が改変されていく。同時にぎちぎちと耳障りな音が響いて、けれど音などあるはずもないのに。なんなんだろう。

 気持ちの悪い違和感をただひたすら呑み込んで、受け入れて、やがて衛星はチグリスの一部になった。人間とはかけ離れた異形の何か。感覚の全てが違っていて、これに慣れたら人間には戻れなさそうだ。そして、やっぱりぎちぎちみしみし嫌な音がしている気がする。でも聴覚システムへの入力はゼロ。空耳みたいなものなのか。

 そっと視覚を開いて衛星の眼を駆動する。視界一杯に大きな星が浮かんでいた。青く輝く大きな星。しばらく見惚れていたいと微かに思ったけれど、容赦なくチグリスは仕事を開始する。

 各種観測データの取得。眼とは違う何かが動いて星の地表を舐め始める。僕には何がどうなっているのか認識などできない。ただ膨大な情報に圧迫されるのが苦しい。みしみしぶちぶち音が大きくなる。駄目だ。僕には理解できない。頭に任せておくしかない。

 知覚と感覚を手放して、小さくなった僕は頭とチグリスが働くのを見守ることにした。おかげで苦しさは薄らいでいく。

 ひとつ、またひとつとスカイデーモンの巣を見つけて。破壊に必要な火力を計算して。それを可能にする作戦を立てたら戦術作戦室へ送る。その反復作業を微睡むように眺め、もしかしたら全部夢かもしれないな、と思う。

 でも、できれば夢じゃなくてちゃんと現実で、エマを助けられるといい。

 意識がぼんやり遠のいて、ただ、ぶち、ぷち、みち、と変な音だけが妙にはっきり響いてきこえた。

 ああ。やっぱり、気のせいじゃないみたいだ、この音。


 きっとこれは僕が千切れてる、その感覚。


 ぶちん。と一際大きなが響く。


 世界は静かになった

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