第67話 ミッション
兄はやっぱりすごく怒っている。
「お前よくも俺の前にそのツラ曝せたな」
低い怒気のこもった声は僕の芯を冷やすようだ。
「お袋に顔見せに来るのはお前の勝手だが。俺にその汚いツラ見せんな」
そっぽを向いてしまう。僕だってそんなことは分かっている。
それでも、どうしても兄には用があったから、なんとしても二人っきりになって、こうして顔を突き合わせなければならなかった。
「手紙、ありがとう」
「二度と菓子とか送りつけてくんな」
「え、うん」
「チビどもが勘違いして、自分らも軍に入るだとか言い出す。迷惑だ」
「ごめん」
「金もいらない。お節介だ」
「うん、ごめんて」
話は終わりだとばかりに背を向ける兄に僕は嘆息する。
それにしても。僕は兄の背を見てなんだか寂しい気持ちになりつつあった。
兄といえば、僕にとってはいつも前を走っている大きな背中だった。けれど。今改めて見る兄は貧相なガキでしかない。たぶん、僕が体格のいい軍人を見慣れたから、だろう。
「ねえ。兄ちゃん」
呼んでも兄は振り返らない。でも僕に諦めるつもりはなかった。この機会を逃せば、次はいつ会えるか分からない。また会えるかも、分からない。
「兄ちゃんにどうしても教えて欲しいことがあって」
そう言うと、微かにぴくりと兄の肩が動いた。僕は見逃さない。
「困ってるんだ。でも兄ちゃんしか教えてくれる人いなくて。だから、ひとつだけでいいから、聞いて欲しいんだけど」
丁寧に丁寧にお願いする。兄は僕に滅茶苦茶怒っているけど。でも、なんだかんだいって弟が大好きで、兄貴ヅラして甘やかしたがってるってことを僕は知っている。この世界で一番よく僕が分かっている。
「……なんだよ?」
しかめたままの顔が少しだけ僕を見る。やっぱり兄ちゃんだなぁ。
僕は改めてチビたちや母が近くにいないのを確認し、そっと兄に詰め寄る。
「兄ちゃん」
「早く言えよ」
「エッチってなにをどうすんの?」
「なんっ!?」
「だから。男の人と女の人のエッチって、具体的になにをどうすればいいの?」
目の前の兄の顔がみるみる赤く染まる。目を見開いた兄は、口をぱくぱく動かした。
「なん、なんでお前!」
「ねえ、やり方教えてよ、兄ちゃん」
「いや、いや、お前みたいな子供が! 知る必要ねぇだろが!」
「そうもいかないんだって。分かんなくて困ってるんだから」
「こまっ!? おま、なに、軍でなにしてんだ、お前!?」
「それはまあまあまあ」
「なにがまあまあだ、馬鹿。ガキに教えられるか、ボケ!」
「そんなぁ。だって。じゃあ兄ちゃんは僕に童貞のまま死ねって言うの?」
「そ、死っ、ちがっ、お前には早いっつってんの!」
赤い顔で怒る兄に僕はむっとする。ケチめ。
「早いとか遅いとかじゃないよ。今の僕が知りたいんだからさ。知らないと困るんだから」
「……んなこと知ってどうするつもりだよ、お前は」
「それは、然るべき時に実行する?」
「それが駄目だっつってんだるぉぉぉが!」
ちょっと。兄ちゃん声大きいよ。母さんに聞こえちゃったらどうすんのさ。
「別にすぐやるとは言ってないでしょ。その然るべき時に困らないように備えとかなきゃって話なんだって」
「待てお前! さっき困ってるんだとか言っただろが。めちゃめちゃ実行狙ってんじゃねぇか!」
なかなか強情だなぁ。とはいえ、僕もこの人の弟だ。兄の弱点は知っている。
「……そんなこと言ってさ。本当は兄ちゃんも知らなくて、それで教えられないだけじゃないの?」
「はああああん?」
「別に、知らないなら知らないって言ってくれればいいのに。誰か、他に教えてくれる人探すからさ」
「ほおおおおお」
「でもこんなこと、恥ずかしくって兄ちゃんぐらいしか聞ける人いなかったから。残念だなぁ」
「ぬううううう!」
トドメの上目遣い。あれ、最近僕の身長伸びてるからかな。前ほど上手く見上げられないなぁ。まぁいっか。
「ねぇ、知ってるなら教えてよ、兄ちゃん」
「のおおおおお」
兄陥落。
それから兄はぼそぼそと小さな声で説明してくれた。
「ごめん、兄ちゃん。もうちょっと詳しく言ってくれないと。アレとかじゃ何か分からないし」
「くっそ!」
兄の知っている限りを詳細に教えてもらい、こうして僕は帰省最大の目的を無事に果たした。
それにしても。兄に教えてもらった大人のエッチはなかなかどうしてエグかったので、僕はドン引きだった。
よっぽどの然るべき時でも来ない限り、どうにも実行できそうも、ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます