第66話 冬至(後編)
部屋へ戻ると、皇女様が起きていた。
「エマ、おはよう」
「……おはよう、アオイ」
笑顔で挨拶した僕に対し、皇女様は可愛げのない仏頂面で返してくる。最近の彼女はずっとこうだ。僕が休暇に帰省しないと知ってからずっと不機嫌なのだ。
「本当に家へは帰らなくて良いのか、お前は」
すでに何度も話したそれを皇女様が蒸し返す。そんなに僕がずっといるのは嫌なのか。というか、ここは僕の部屋なのだが。嫌なら殿下が自分の部屋へ帰省すればいいのに。さすがにそろそろ僕も面白くなくて、不機嫌で居座る皇女様にむっとする。
「帰らないよ。帰れないし」
「だが。汽車が使えれば」
確かに殿下の言う通り、汽車が使えればほんの数時間で済むぐらいである。
「でも切符を買うお金なんてとてもない」
これも何度も繰り返した会話だった。
例えば家族へ送る手紙の切手なんかなら、学兵の支給品目に入っているから申請すると貰うことができる。しかし帰省のための切符はさすがに支給品目にない。
お金をまったく持っていない僕には汽車の切符は夢のまた夢だった。
「どうしてお前はあの褒賞金を少し残しておかなかったのだ。愚か者め」
皇女殿下が毒づく。一度だけもらった褒賞金についてはもっともだけれど、だからって殿下にそんな風に言われる筋合いはない。
「私がお金や切符を用意できれば、良かったのだが」
皇女殿下といえども、さすがに無理であるらしい。彼女の普段の生活では、お金も切符もまったく使わない。そんな不必要なものを軍が無意味にくれるわけがなかった。
「だから別にいいって。エマが気にすることじゃないよ」
「だがな。唯一自由に基地を出られる機会なのだぞ」
そうか、と僕は思う。皇女殿下は基地を出たことがないし、決して出られない身だ。だから帰らない僕のことを煩く気にするのだろう。僕にずっといられると鬱陶しいとか、そういう理由ではなくて。
「しょうがないよ」
僕は静かに微笑んで、まだぶちぶち言い続けている皇女様を見守る。まあ、なにがなんでもどうしても帰りたければ、たとえ往復六日だとしても帰ったし。のんびり皇女様と過ごす休暇も悪くないのではないかと、僕は思っているのだ。
ちょうどその時、部屋の来訪ブザーが鳴った。このブザーは97%アル(僕調べ)だ。
「よう、アオイ。遊びに来た」
扉を開くと満面の笑みを浮かべたアルがいた。さっきは微妙な感じの態度だったのに。遊びに来るのか、こいつ。
「皇女殿下様も。おはようございます」
「うむ。アル・ミヤモリ。おはよう」
皇女様と二人っきりだった空間に遠慮なく入ってくるアル。いいけど。
「なあ、アオイ。もしかしてお前、汽車とか使えれば楽に帰れるんだろ」
そしてすでに終わった話がさらに繰り返される。面倒くさくなった僕は「お金がない」とすげなく告げる。
「どうせそんなことだろうと思ったからさ。ほら、切符代なら貸してやるよ」
あっさりそう言ったアルの指に裸の紙幣が挟まれていて、僕はぎょっとする。
「なに、そのお金」
「親の遺産が少しあってさ。このぐらい貸しても困ること全然ないんだよ、俺」
それは、なおさらアルの大切なお金じゃないか、と僕は思う。
「でも、お金を借りても返すあてがない」
「いいよ、出世払いで」
アルはあはと笑った。
「基地へ来てから使うことなくて。このまま戦死したって残す相手がいるでもなし。使えるなら使った方がいいからさ」
遠慮なくどうぞ、と言う。
「でも」
僕は迷う。厚意は嬉しいけれど、これは本当に借りてしまっていいんだろうか。アルはずっと紙幣を僕に差し出して受けとるのを待っている。
「アオイ。せっかくだ、借りておけ」
ベッドの上から成り行きを見守っている皇女様にも背を押される。
「そうそう。正規の兵士になって給料が入ってから返してくれればいいんだからさ」
それまでお互い生きてればな、とアルが言う。
そんなこと言われたら。うちのじーさんの遺言は、できない約束はするな(※ただし返せない借金はその限りではない)だ。こと約束に関しては厳しいうちだけど、でも借金だけは返せそうもなくても借りちゃう血筋である。
僕はアルにお金を借りることにした。ありがたく受け取り、きっと返すと約束する(分かんないけど)。
「ありがとう、アル」
「うん。冬至ぐらい家族と過ごせよ」
アルはにこりと笑った。
「俺は皇女殿下様と過ごすからさ」
……あれ。僕を追い出す陰謀とか、じゃないよね?
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