第66話 冬至(前編)
冬至が来た。学兵にとって特別な日である。
一年で一番明るい時間の短いこの日は、昔の暦で大晦日だったらしい。今は違うのだけど、でもなぜだか冬至はお祝いとして残っている。
この冬至を真ん中に前後七日間、兵学校は年に一度の長期休暇になる。そしてこの休暇が唯一帰省の許される期間だった。
長期休暇一日目の朝、僕はのんびりと目覚めた。早朝訓練がないって素晴らしい。
厳密に言うと、昨日の夜の消灯点呼後から八日後の起床点呼までの間が自由である。気の早いやつは昨晩遅くに出ていっている。が大抵のやつは今日の朝食を急いで食べて帰途につく。それだというのに僕がゆるゆるしているのは、つまり僕は帰省せずに寮に残って冬至を過ごすつもりだからだ。
寝袋からそっと身を起こす。皇女様がいつも目を覚ます時間にはやや早く、彼女を起こさないよう気を付けなければならない。
前に聞いたら、皇女様は夜明け前の三時とか四時とかに公務をしているのだという。詳しいことは教えてくれなかったけど、基地内に暮らす人々がそれぞれ必要な機械を使えるよう一日が始まる前に毎日必ず許可を出したりしなければならないらしい。
だから消灯と共に眠りにつくし、僕が起きる頃は疲れて二度寝をしている。ゆっくり休んで欲しいから、うっかり起こすなんて絶対に駄目だ。
静かに着替えた僕は、顔を洗いつつ食堂へ向かう。いつもと時間も動きも違うとなんだか変な感じだ。荷物を抱えて足早に下へ向かう学兵たちとたくさんすれ違い、その嬉しそうな顔はこれから家へ帰るのだろうと一目で分かる。そんなやつらを横目で見つつ、羨ましいとは思うが今回は帰らないと決めたのは自分なのでとやかく言う権利もない。
食堂はいつになく空いていた。時間が遅いこともあるし、やはりほとんどの学兵が帰ってしまうのだろう。配膳を受け取って見れば席は座り放題である。こんなこと初めてだ。
どこか隅で静かに食べようと歩きだすと、すぐそこで一人朝食を食べるアルを見つけた。いつでもすぐに誰かから声を掛けられ、また自分からも声を掛けるアルが一人でいるというのはとても珍しい。
僕に気づいたアルが笑顔で手招きしてくる。さすがに無視するのもなんだしと、僕は素直にアルの隣へ腰を下ろした。
「おはよう、アオイ」
「うん。おはよう」
適当に挨拶を返しながら、僕は一匙目を口に放り込む。よし、今日はちゃんと味が分かる。これならたぶん食べられる。
「アルは珍しく一人なんだね?」
「まあな。みんな帰省のために朝早く食べたみたいだから」
ほとんどの学兵は長期休暇に帰るのが普通だから、当然そうなるわけだ。
「っていうか、アルは帰らないの?」
せっかくの休暇に帰らないやつなんてよっぽどのやつだ。僕が何気なく聞くと、アルは笑った。
「帰らないよ。てか、帰る家ないし」
そうだった、と僕は自分の迂闊さを恨む。僕はアルの両親がすでに死んでいて、かつ兄弟などもいない、つまり待っている家族のいないことを知っていたのに、すっかり忘れて聞いてしまった。
「というよりは、
アルは気を悪くした風もなくカラカラと笑う。
「それよりアオイは急がなくていいのか?」
「え?」
思わず何がと聞き返してしまう。
「なにって。早く帰りたいんじゃないのか?」
どうやらアルは僕も帰省すると思っているらしい。まあ普通は帰省するのだから、そう思うだろうが。
「いや、僕は。じゃなくて僕も、か。僕も帰らないよ」
え、とアルは目を見開いた。
「アオイ、帰らないのか?」
「うん。今回は帰らないことにした」
そう伝えると、アルは顔をしかめた。
「またなんで? 家に帰りたくない理由でも、なにかあるのか?」
アルにせっかく家族と会える機会なのにと言われると、僕も後ろめたくなる。会える家族がいるくせに行かないのかと責められている気さえする。
「別に帰りたくないわけじゃないよ」
嘘ではない。ほんの少しだけ、怒っている兄に顔を見せづらいという気持ちもあったけど、でもそれで帰省を止めたわけではない。そんな気詰まりよりも家族みんなに会いたい気持ちの方が強かった。
まあ、その会いたいという気持ちをアルに見せるのも気が引ける。僕は心の底に押し隠した。
「帰りたくないわけじゃないんだけど。歩くと家まで三日かかるから」
休暇は七日間である。三日かけて家へ戻って、一日過ごせるかどうかでまた三日かけて基地へ戻らなければならない。そしてその翌日からはまた厳しい兵学校の日常が始まる。どう考えても、死ぬ。
「三日もかかるのか」
さすがにアルも言えることはないらしく、黙り込んでしまう。
住居区というのは非常に狭いところに高層建築物が入り組んでいて、だいたい地上は歩けるような環境ではないので通行可能な建物や通路や橋を上へ下へぐちゃぐちゃ歩くしかない。間違えて立入禁止の私有エリアへ踏み込めばどんな目に遭うか分からず、安全なルートを選べば必然時間はかかる。
しかも今の僕のコンディションは、比較的落ち着いているとは言え、いまいち頭も体も僕の言うことを聞かない。この状態ではいつ何時動けなくなって時間を取られるともしれない。
もし万が一休暇明けに遅れて戻ろうものならそれは脱走に準ずる罪になり、最悪家族に迷惑をかけてしまう。入学の時ぎりぎりだった僕としては、あの恐怖は二度と味わいたくはない。それぐらいなら家へ帰るのを我慢する方がいい。
「そんなわけで、七日間よろしく」
特になにか一緒にするつもりはないけれど、なんとなくよろしくお願いしてみる。まあ、せっかくの留守組仲間だし。
どうせ快く応じるだろうと思ったアルは、しかし「ああ、うん」と微妙な返事を寄越す。アルにしては珍しい。なんだろう、せっかくの休暇に邪魔されたくない何かあったのかな。
干渉するつもりもないし特に気にせず、朝食だけ一緒に食べてアルとは別れた。
(後編へ続く)
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