第65話 誘拐犯
昼の寒さも極まってきた。冬至が近いのだ。凍えるような気温には参るけれど、それでも僕の毎日は比較的平穏である。
そう、ここ最近はやたらめったらな遠足への動員がかからない。たぶん例の戦術作戦室の人が手を回してくれたんだろう。協力する見返りとして無用に消耗するような使い方は止めてくれるとか、そんなこと言ってたし。ちょっと不気味に思わないでもないけど、でもどうせここぞというときには遠慮容赦なく使われるんだろうから、そのぐらいの配慮はもらっておいていいだろう。
ともかく、遠足が減ったのは本当に助かった。僕は束の間ゆるゆるしつつ、寒さを理由に殿下とくっつく方法を模索したりして、大変有意義に過ごしている。
例えば、僕はクローゼットから寝袋を引っ張り出しながら大きなため息をつく。それに気づいた皇女様がベッドの上からどうしたと聞いてくる。
「……うん。さすがに最近は寝てると底冷えがひどくて」
部屋の床はただの金属である。基地全体はある程度温度管理されてて寒くてたまらないなんてことはないが、さすがに直接床に寝るのは冷える。まあ、僕の育った共同住宅に比べたら何ら問題ない程度だけど。
「そうか、それは、そうだな」
皇女様がつぶやく。一応自分が僕の寝床を奪っているという自覚はおありらしい。考え込む皇女様。ああ、しょうがないから一緒にベッドに寝るかってならないかな。なんて可能性は低いけど、でも僕はその万が一を期待していた。
「よし、任せろ!」
皇女様は輝くような笑顔で仰った。
「その床を温かくなるよう調整してやろう」
「……え、そんなことできるの?」
「ああ、もちろんだ。この基地のなかであれば、どこでも好きな温度にできるぞ、私は」
「ふうん。そうなの。……ありがとう」
自慢気な皇女様を前に僕の浅はかな策略はもろく崩れ落ちた。まぁ、一緒に寝ることになったら、それはそれで一波乱だったが。
そしてこの夜、僕は鉄板焼きにされかけた。
なんて感じで、チグリスも訓練ぐらいしか乗ることもないから僕はいたってまともである。もっとも、体のやつと頭のやつがチグリスに乗りたいとかごねて揉めるのはいつものことだ。
今日は休息日で技官のところへ行かないといけない日である。ほらチグリス乗れるぞと投げやりに言ってだらだらと格納庫へ向かう。
つい昨日警報が鳴って出撃のあった格納庫はなんだかがらんとしていた。空間が広すぎて空調の効きもいまいちなのか寒い。すぐに見つかった技術上官はややヒマそうにしていた。
「今日もちゃんと来てえらいですね」
のんびり啜っていたマグカップを置いて立ち上がる。いやいや、そんなやる気出さないでくれていいんですよ。
「じゃあもう帰っていいですか」
「駄目です」
上官は僕の顔を覗き込む。
「おや。また調子が悪いですか?」
調子はすこぶるいいです。具合が悪そうに見えるなら、それはテストが嫌だからです。
膨れっ面になる僕を捨て置き、上官は格納庫からチグリスを呼び出す操作を始める。僕はそれを嫌だなぁと見て待っているのだが、頭のやつがこれで本当に具合が悪くなったら皇女様の膝枕の可能性があるのではなどと計算しだす。なるほど、さすが頭。それはあるかも。
などと現実逃避に精を出していたら、人気のない格納庫に影が射した。見れば、なんと戦術作戦本部派遣第二中継基地戦術作戦室長その人である。もう基地本部へ戻ってたのか。いや、戻ったのなら肩書きも戦術作戦本部派遣第二中継基地戦術作戦室長ではなくなっているはずだけど。
とりあえず規定の敬礼。やはり気づいた技術上官も敬礼を送る。その顔は同じく嫌そうに曇っている。
「よし、休め」
僕らの目の前まで来て止まり、敬礼を解除する肩書き不明の
「275242」
うっすら笑った
「はい。なんのご用でしょうね。幕僚殿」
滅茶苦茶空気悪い。怖い。逃げたい。
「ちょうどいい。460301の
僕は漏れそうになるため息を必死で飲み込む。この人、僕のチグリスの説明じゃあ全然納得していないんだろうな。でも性能試験てなに。また変なことさせられるのか。
技術上官の目が僕を盗み見て、それから
「お断りしますよ」
さくりとした命令拒否に僕は驚く。大丈夫か。ぴりっと空気に電気でも流れているみたいになったけど。
「ほう。なぜ?」
努めて平静を装って問う
「ギアローダーの性能試験で出せる数字に大して意味のないことぐらい、ご存じでしょう」
「判断材料としてないよりはいい」
「そんなないよりはマシ程度の数字を出すために掛けられる負担ではないですよ、あれは」
あくまで試験は無意味、と技術上官は切って捨てる。
「それでもやれと仰るのなら、正規の命令として上から出してもらえますかね?」
「そもそも、今これは460301の休息日とワタシの休憩時間を返上してやっているわけですから、本当に必要最低限以外お断りです。というか、必要なテストなので業務に組み込んでいただきたいぐらいですが?」
今度は逆に捩じ込んだ。恐い。
「……その必要の内容と意義は?」
「接続テストですね。特に接続時の各部における情報伝達量の計測で、搭乗初期から類例のない数値が出ておりました。が、類例がないというだけで正常か異常か判断できるほど蓄積データがないので、継続計測と経過観察しております」
「なるほどな。現状における貴官の判断は?」
「まあ、ギアローダーの機能からすれば正常とみてよろしいかと。ただ、460301への負荷が重く、設計時の仕様とは思えませんからね。なんらかのパッチが働いていないのでしょう。ひとまず対処療法としての調整は可能ですが」
四つの目が僕に向く。僕の体はびくりと跳ねた。
「その方法ですと、
「どの程度の能力低下が発生すると推測する?」
「さて。やってみないことには全く分かりませんね。低下することだけは確かですが」
「そうか。これはごく個人的なお願いだが、判断材料として上へあげるデータを別途私へあげて欲しい」
しばらく無言で二人が睨み合う。折れたのは技術上官だった。
「承知しました」
「あと
「……ちょっと甘い顔を見せるとすぐつけあがりますね。だいたい主要なデータは全てあげて共有になっているはずですが?」
「処理前のデータが欲しい」
「……正気ですか。膨大ですよ」
「頼んだ」
「個人的な願いには見返りがあるものと期待しますからね?」
「分かっている」
「……性能試験て、やるとしたらどんなの、ですか?」
正規の命令で来たらやらないといけない。話の雰囲気からして大変そうなそれが僕には気になる。
技術上官は、しかし僕の不安に対して軽く笑った。
「ああ。やることはないので、気にしなくていいですよ」
「でも、もし命令が」
「ないです。腹立たしいですけども、あれは様子を探りに来ただけです。でもなければ、幕僚がこんなところへ自分で来やしませんよ」
意味が分からない。しかし技術上官は絶対にないと言う。そして僕をまっすぐ見据える。
「460301」
「はい」
「いくらおいしいおやつをくれると言われても、知らない上官についていってはいけません」
「はい」
別についていったわけではなく、連れ込まれて不可抗力だったのだけど。
「あと、もしこれからなにか上官に命令されても、相手が直属でないかぎり聞く必要はないです。断りなさい」
「……はい」
それはなかなかに難しいです。
「特に、もしワタシ以外の技官からギアローダーのテストを頼まれても、絶対に承諾せず突っぱねなさい」
「……はい」
もしかして、この人のテストも僕は突っぱねていいんじゃないんだろうか、とちらりと思う。しかしそう思ったのを即座に顔色で読んだらしく、僕は盛大に頬っぺたを引っ張られた。
「ワタシは
うん、残念、駄目か。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます