第62話 鳥籠


 ただいまと自室の扉を開けて声をかければ、すぐにベッドの上から皇女殿下の顔が覗く。

「おかえり」

 皇女様が微笑んでいる。それが嬉しくて、僕はもう一度繰り返した。

「ただいま」

「今回は予定通り帰ってこられたのだな。順調だったか?」

「うん」

 遠足の荷物を椅子の上へ放り出す。

「今回は誰も死ななかったし。アルも無事だよ」

 さすがはアル、あの将校連中おじさんたちにも気に入られ、ぼろくそに可愛がられて死にかけてたけど。解放されたときは喜びすぎて泣いてたけど。まぁ、生きてる。無事だ。

 思うに最初のノートの複製を小器用にやってしまったのがいけなかった。だいたい文字が読めないくせに文字書くの上手すぎだろ、という感じの出来だった。本当に文字読めないのか。と疑われて答えたアルの一言。「絵の模写が趣味なので」……エロ漫画写してるな、アル。まあ、僕は友人の趣味にとやかく言うつもりはない。

「そうか、無事か。良かったな」

 安心して微笑む皇女殿下はかわいい。それだけでも遠足を頑張ってきた甲斐があるというものだ。僕は皇女様を見上げられる位置で壁に背を預けて座り込んだ。

「疲れたか? それとも具合でも悪いのか?」

 力なく座り込む僕の様子を見て皇女殿下が心配してくれる。でも僕は本当に大丈夫だったので笑顔で首を振ってみせた。

「いや。いや。大丈夫」

 どうしてもチグリスを降りた後は体も頭も違和感だらけで重たくってしょうがないけど、それでも今回の遠足は常と比べてチグリスに乗っている時間が少なかったから随分マシだった。

「殿下、殿下」

 ちょいちょいと手招きで殿下に降りてきてくれるよう頼む。皇女殿下を呼びつけるなんて失礼極まりないと怒られるかもとも思ったが、殿下はやや心配そうな顔ですんなりロフトを降りて近づいてきた。

「どうした?」

 すぐそばで膝をついて覗き込んでくる皇女様に無防備だなぁと思わないでもない。

 僕は戦闘服の中へ手を突っ込んでシャツの胸ポケットからそれを引っ張り出した。

「はい、お土産」

 皇女様の手の上に葉っぱの一枚ついた小枝を落とす。お土産だなんて言って僕が皇女様に渡せるのはこんなものが精々だ。外のそこらに生えている灌木の小枝。途中休憩の時にむしって持ってきただけのそれ。こんなもの、渡されても困るだろうなとは思う。

「ごめん、こんなので」

 一度だけ行った皇女殿下のお部屋には、それはもうキラキラピカピカした立派な物がなんでもあった。それに比べたら、というか比べるまでもなくゴミでしかない。それは分かっていたけど、それでも僕には意味のある大事な儀式だった。

 チグリスに乗る前に皇女様にあげるお土産を選んで、手にとって、それで基地に戻ったらお土産を皇女様に手渡す。ちゃんと正気で戻ってくるための儀式。

「ありがとう、アオイ・カゼ」

 ただの葉っぱを渡されて、しかし皇女殿下ははにかんだ笑みを浮かべている。それがなんとも気遣いのようで、僕は情けない気分になる。

「もうちょっといいものがあれば良かったんだけど」

 それでも探した中で一番形のきれいな葉っぱを選んだつもりだけど。……所詮しょせん葉っぱだからなぁ。

 僕のお土産はこの前の遠足は石ころで、その前は細長い枝で、白い土くれだったときもあるし、サボテンのトゲだったときもある。いい加減呆れられそうだ。

「なぜ? 十分にいい土産だ」

 葉っぱをかざし見ながら皇女様は言う。その様は嬉しそうだけど、どう考えても彼女が葉っぱなんかを喜ぶはずがない。

「捨てていいよ」

 渡すことでもうお土産の役目は果たしてくれた。そんな懇切丁寧に葉っぱを大事そうにしてくれなくて全然構わないのだ。

「……分かっていないな、アオイ・カゼ」

 なぜか殿下が憮然としていた。僕はその変化にちょっと驚いて戸惑う。

「なにが? 分かってない、の?」

 皇女様は手の中で楽しそうに小枝をくるくると回した。

「お前がこうして持ってきてくれなければ、私はこの葉にこうして触れることはできない」

 よく意味が分からない。

「……そこらにいくらでも生えてる木の葉っぱだよ」

 プレゼントとしてせめて花とかなら、と思う。けれど荒野にはいくら探しても花らしい花がなかった。

「そのいくらでも生えているという木に私は触れたことがない、と言っている」

「……え、なんで?」

 確かに緑は多くないけど。触ったことがないというのは、なかなか尋常ではない。

 皇女様が微かに苦笑する。

「私は基地から出たことがない。その上、建物の外へも自由には出させてもらえないしな。あまり身近に木がないのだ」

 僕はさらに驚く。確かに、ほとんど鉄でできたこの基地は、緑の少ない居住区よりもさらに緑が少ない。でも少し外に行けばいくらでもある灌木だ。それに触れたことがない、なんてことあるのか。

「え、殿下は本当に基地の外へ行ったことないの?」

「ない」

「全然? 一度も?」

「全然。一度も」

「ちょっと街へ行くとか?」

「ない。私が一歩でも基地を離れれば、この基地は全機能停止するのだぞ」

 僕は基地が止まってしまった様を想像してみる。おおう、それは、とてもまずいですね。

「だから、私はお前がこうして外に生えている木の葉を土産に持ってきてくれるのが、とても嬉しい」

 皇女様はふふふと本当に嬉しそうに笑った。こんな葉っぱを喜んでくれるなら、それはもちろん僕も嬉しいが。

 でも、やっぱりできればもっと良いものを皇女様にはあげたい。さて、僕になにか、皇女様にあげられるようなものがあるだろうか。と思っても僕にはなにもない。

 とりあえず。皇女殿下に外の話をせがまれて、僕はせがまれるままにあれこれ話す。基地の外の荒野、あるいは居住区の暮らし。

 僕の話す平凡なそれを皇女様はいちいち羨ましそうにずっと聞いていた。

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