第61話 流れ星

 中継基地で過ごす最後の夜、なんとなく寝付けなかった僕はこっそり部屋を抜け出した。別に隠れなきゃいけない理由があるでもないけれど、タチの悪い将校共おじさんたちにこき使われて、疲れて爆睡しているアルや二年を起こさないように、こっそりだ。

 棟の階段を登って僕は屋上へ出た。夜気は凍えるほどに冷たく、吐いた息が真っ白になって散る。上から眺める荒野は闇に沈んでいて、チグリスならいろいろ視えるだろうが僕の目では何も見えない。

 けれど空へ目を転じれば月こそなかったが、天全体が明るく見えるほどの星空が広がっていた。その様は美しいというよりも得たいが知れなくて怖いと僕は思う。とりあえず出てきてしまったけど、特にすることもなく居心地も悪い。僕は冷える体を抱いて屋上の縁に佇んだ。

 明日は帰れる。やっと帰れる。恐いおじさんたちから解放されるのは心底嬉しい。もちろん、ここ数日で“良い子に大人しく言うことを聞く”のなんたるかを叩き込まれた僕は、それで完全に自由になれるわけでないと分かってはいる。けど。

 やったー。ねちねちねちねちねちねちねちねちあれこれあれこれ尋問されるのは終わりだ! ひとまず津波の時の戦闘について根掘り葉掘り聞かれるのはまだしも、チグリスの能力がどんなものかとか聞かれても僕は困る。あの人たちは自分の身体能力ってどのぐらい、とか聞かれて難なく答えられるんだろうか。どうせ答えられないだろう。チグリスの能力を聞かれるのはそれと同じだ。答えようがない。頭いいんだろうから、それぐらい考えてくれよと思う。

 まぁでもいい。明日帰途について、基地へ戻ったら皇女様に会えるから。僕はそれを楽しみにあと少し頑張る。

「こんな時間に何をしてる」

 後ろから声を掛けられて僕は首をすくめる。作戦室長だ。見つかった。

「すみません。ちょっと外の空気、吸ってただけです」

「子供の寝る時間はとうに過ぎている。早く寝ろ」

 でないと背が伸びないぞと脅される。いやいや、睡眠と身長なんて関係ないでしょ、なんてツッコまないよう、僕はしっかり口をつぐむ。

 屋上へ出てきた室長と入れ違うように、僕は頭だけ下げて中へ戻ろうとした。

「お。流れ星。おい、見たか、流れ星」

 寝ろと言ったその人になぜか呼び止められる。上官の呼び掛けを無視できるわけもなく、仕方なく僕は足を止めて振り返り答えた。

「見てません」

 戻るために星空には背を向けていたので。

「見逃したのか。しょうがないな。一緒に探してやる。ほら、こっち来い」

 いやいやいや。早く寝ろと言ったのは、あなたでは。と思いつつ、僕は大人しく言われた通り屋上へ取って返す。この人は僕に上の偉い人の勝手に振り回されて潰されるぞ、なんて脅したけれど。この人の勝手とどう違うと言うのだろう。謎だ。

 というわけで、室長と雁首並べて星空を見上げるというよく分からない時間が始まった。

「あの辺りがオオワシ座。その横の二等星のあるのがヤマネコ座」

 星の説明をしてくれてるらしいが、なにがなんだかとんと分からない。だいたいなんでこんなに星はたくさんあるのだろう。居住区で見上げた夜空には、ほとんど星などなかったと思う。

「居住区は夜も明る過ぎる上に空気も汚れているから星は見えない。この星空を見られるのは、戦地に出た軍人だけの特権だ」

「そう、なんですか」

 特権などと言われても、特にありがたいと思えない。

「まあだが。どうせなら野郎と見るよりは麗しい女性とでも見上げたいもんだ」

 ため息ついてる室長を横目で見つつ、そういうものかと僕は考える。例えば今横に居るのが皇女殿下だったら。そうならもちろん嬉しいが、でもだったら僕は空なんか眺めてないで皇女様を眺める。たぶん皇女様は僕を眺めたりしないで星を見上げるだろうけど。あの綺麗な翠の瞳に星が映り込んだら堪らなく美しいだろう。うん、見てみたい。

「お、流れた。今度は見たか?」

 するりと流れた光の筋を追って室長が言う。皇女様のことを考えていたからあまり真剣に見てなかったけど、一応それは僕も気づいた。それぐらい長く尾を引く流れ星だった。

 こうして無事流れ星を見たから解放されるのかと期待するが、室長はなおも空を見上げたままだった。

「スカイデーモンは流れ星だった」

「えっと?」

 唐突な室長の呟きの意味が分からず、僕は聞き返す。

「聞いたことないか? スカイデーモンは空から降ってきた、と」

「それは、ありますけど」

「もう少し詳しく言えば、堕ちてきた隕石から湧き出してきたのがスカイデーモンだった」

 今までなんとなくスカイデーモンは雨みたいに降ってきたのかと想像していた。

「なんで、隕石から?」

「さあな。乗り物なのか、卵のようなものなのか。あるいは、どう考えても這い出すスカイデーモンの量が多すぎる。別な空間に繋がる穴にでもなっているのかもしれないな」

 冗談のつもりなのか、室長は薄く笑ってそう言った。

「なんにせよ、その隕石を見て生きている人間がいないから分からない」

 室長はもう星空ではなく、どこか遠い闇を睨んでいた。

「今もその隕石、つまり巣から湧き出してきて襲ってくるんだろうが。どこにどれほどあるかさえ、分からない」

 仕方がなかった。今の人類は居住区を守るためにギリギリ警戒線を引くのが精一杯だ。それより向こうのことを調べるなんて余力は、とてもない。

「このまま防衛を続けたところで消耗戦だ。スカイデーモンが先に尽きてくれることを願ってきたが、どうやらその気配もない」

 それっきり室長は黙った。静かな屋上に夜風が吹き付ける。僕はすっかり冷えてしまった体をぎゅうと抱いた。

「お。また。流れ星」

 室長が明るい声をあげる。何を考えているのか、流れ星を見つけた室長は嬉しそうに見えた。

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