第60話 トカゲ


 舌舐めずりでもしそうな顔の将校たちに囲まれて、僕はまな板に乗せられたトカゲの気分を味わう。

「なにを、なんで」

「そう怯えるな。別に取って食ったりはしない」

 すぐ近くに座った大柄な人がそう言う。けれどその顔はどう見ても獲物を前にした肉食獣だ。図鑑で見たライオンの顔が重なる。うん、めっちゃ似てる。

「でも、なんで僕が」

 こんな恐いところに引き出されなきゃいけないのか。

「言っただろう。アオイ君のチグリスに非常に興味がある」

 戦術(略)作戦室長が言う。もしかして、僕は嵌められたんだろうか。“例の作戦”とか“アレ”とか“ご足労頂いた”とかといった、怪しい言葉が思い出される。

「掃除要員が欲しかったとか、誰でも良かったとか、あれは嘘だったってことですか……?」

「失礼だな。掃除は本当に必要だった」

 ふんぞり返って言う台詞じゃないよ、それ。

「まあ、誰でも良いというのは、確かに方便だ」

「それが、例の作戦……?」

 恐る恐る尋ねると、戦術(略)作戦室長はあからさまに顔をしかめた。

「おいおいアオイ君。その程度を作戦などと作戦室が言うものか」

 アオイ君って呼ぶの本気で止めて欲しい。と思うがとても言えない。

「作戦概要は、“白い悪魔”を手に入れるため、遠足へ動員して本部から離れた中継基地へ連れ出し、無難な理由で以て隊付けにさせて直接指揮権を得ると、ざっとこんなもんだ」

 まさか、そもそもこの遠足自体が仕組まれたものだった、というのか。相手のにただただ逃げ場のない恐怖を感じる。なんで、そこまでして、白い悪魔をってちょっと待て。

「……なんですか、その“白い悪魔”って」

 さっきはさらっと言われて、それで強いて流したけど。さすがに二度は流せない。明らかにチグリスのことを指してる。

「一部兵士及び将校の間では有名なんだが、なんだ、本人は知らないのか」

 ニヤニヤと戦術(略)作戦室長を始め、皆が心底楽しそうに見てくるのが本当に嫌だ。

「白い小型のギアローダー。たった一機でスカイデーモンの死体の山を作った悪魔。まあ出所は、戦闘後処理に携わった兵士辺りだろうが。あの戦闘の映像とデータは貴重な資料として将校に回ったからな」

 なんだろう、泣きたい。

「しかし、兵士本人からの聞き取りに不足点が多過ぎる。ならば直接聞くのが早い。というわけで呼び出したわけだ、アオイ君」

「……随分と手間の掛かった呼び出しですね」

「そう思うだろうな。だが、一般兵を直属上官、特に学兵は教官の頭越しに直接指揮下に収めるのは、なかなかに気を遣う。本部だと煩い横槍を入れてくる連中もいるしな。こうするのが安全だった」

 もっとも、と戦術(略)作戦室長は笑みを消した顔で言う。

「あのチグリスがアオイ君だと知っていれば、こんな手間など掛けずとも、ただ夜の図書室で少し立ち話をすれば済んだものをと後悔している」

 本当にそうしてくれれば良かったのに、と僕も思う。

「そう、空気の読めない上官の立ち話がうっかり長くなって引き留められてしまうことなど、よくあることだ」

 空気の読めない上官。うっかり引き留め。うん。いや、まあ。

「そうすると、あるいは部屋の遠い学兵では、それから急いで戻っても就寝点呼に間に合わない、なんてこともあり得るかもしれない。が、消灯時間以前に解放した上官には当然何の非もない」

 ……うん。

「いかなる理由であれ、点呼時に部屋にいなければ懲罰だ。まあ、三日は懲罰房に入れておけるだろうな。その間は誰憚ることなく好きに尋問できる。できたというのに、全くいらない手間をかけてしまったものだ」

 やり口が、エグい。お前なんかどうとでもできるんだぞという言外の脅しを受けて、僕は固まる。恐らくそれは狙い通りの反応だったのだろう、肉食獣たちは満足気に笑う。

「だが、これはお前にとっても有益な話だ、アオイ君」

 鞭を鳴らした後に飴をちらつかせるという、あまりに露骨な手管である。そうなんですかと喜べるわけもない。まあ、飴にしろ鞭にしろ、この状況から逃れる術など僕にはないのだから、貰える飴は貰っておけばいいのだろうけど。

「なにが、ですか」

「自分がどんな立場にいるか、自覚しているか?」

 立場。学兵の一年だから、立場なんて一番下の下だとちゃんと分かっている。学兵には階級は一切なくて、学年が全て。ただし将校クラスは学年に関わらず、上。そして今目の前にいる人たちが遥か雲の上の人だとも、理解している。

「無自覚だな」

 呆れたように言い放たれても、僕は困惑するしかない。伸びてきた手が手荒に顎を掴んで、ぐいぐいと引っ張られる。飴をくれるんじゃないのか。

「英雄の孫、白い悪魔。まだTGrSチグリスのポテンシャルは計り知れないが、それでも高い戦闘能力、通信力、探知力、現状把握しているだけでも非常に有用だろう。ぼうっとしていれば、その有用さはただただ戦場で兵器としていい様に使われるだけ、だぞ」

 間近に迫った笑った瞳に目を覗き込まれて僕は戦慄を覚えた。

「だが、ただいい様に使われるなら、まだマシだ。上の連中の軍閥争いや政治の道具にされてみろ。まともにも使われず、奴らの勝手に振り回されて潰されるだろうな」

 顎を掴んだ手に力が込められる。喉元まで絞められて息苦しい。口を開けて懸命に空気を肺へ送らなければならなかった。

「そうはなりたくないだろう。我々としても有用な駒が無為に潰されるのは口惜しい。だから、分かるか?」

 耳元へ近づいた口が声を吹き込んでくる。

「全力で己が有用であることを示せ。そうすれば、適正な扱いを以て使ってやる」

 ようやく手が離された。僕は咳き込む。

「室長殿、子供相手に大人げないぞ」

「言い方がまるで悪い奴の科白だ」

「腹黒さが滲み出すぎている」

 茶化す周囲を戦術(略)作戦室長はうるさいと一喝。それから僕に向かってニヤリと笑った。

「良い子で大人しく言うことを聞けば、もれなくここにいるおじさんたちが守ってやるぞ。良かったな」

 揃いも揃ってタチの悪そうなおじさんたちにそんなこと言われたって、やったーなんて思えるわけがない。けれど、僕はこういう時に言うべき言葉を一つ思い付いた。どうやら抗うことも許されない僕のせめてもの意趣返し、だ。

 精一杯、強気に、顎をあげて、見得切って。

「使えるもんなら使ってみろよ」

「ほう」

 あ、ヤバい。

 ますます笑みを深めた室長の顔を見て僕は僅か数秒で後悔し、そしてやっぱりそのあと後悔する目に遭わされた。

 自分は下らない冗談を言うくせに、人の冗談になるとさっぱり通じないおじさん、本当に嫌だ。

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