第58話 頭脳
今回の遠足は陣地ではなく、比較的大きな中継基地での任務である。
中継基地は警戒線の真ん中あたりにあって、周囲の陣地の管理業務なんかをしている、らしい。なので最前線の陣地とは役割がちょっと異なるのだ。
到着した僕ら学兵班は基地司令への挨拶や輸送物資の片付けを終えた後、複数人ごとに基地内駐屯の小隊へ割り振られた。
僕は二年一人とアルの三人でD棟小隊付き、だ。一緒になった二年生を僕は全然知らないけど、すでにアルが仲良さそうにしているので気遣いもない。
指示された建物へ入ると、一階の広い空間にたくさんのギアローダーが駐機されていた。
上から降りてきた偉そうな男の人が、僕ら三人にも降機を命ずる。え、ギアローダー、降りるのか。なんとなく気が進まなくてまごついていたため、さっさと降りたアルにどうかしたのかと聞かれてしまう。
いや、別に。問題はないんだけど。なんでチグリスでいたら駄目なのかな、と思う。寒い朝、夢心地の布団から引きずり出されるような、そんな感じがする。いや、ただの我が儘なのだけれど。
仕方なく神経接続を解除。途端に感覚の鈍りと加重の気怠さに襲われる。体が重い。息をするのもしんどい。できれば今すぐまたチグリスになって楽になりたい。でもそれをしたら命令に背くことになる。動きたがらない体を必死でなだめ、操縦席を脱出する。視界がぐわんぐわん回っていた。頭がまともに働かず、認知できなくなってるからだ。周りのなにもかもが分からなくて、誰かの声はするけど意味の理解できない雑音にしか聞こえない。
ちょっと。頼むから。駄々こねないで働いてくれよ、頭と体。僕に文句を言ったってどうにもならないよ。そんな責め立てられたら僕も参ってくる。
いっそなにもかも投げ出してやろうかと思い始めたところで、ガツンと、重たい衝撃が頭と頬を打って僕はとても驚く。
「???」
頭と体も一緒に驚いたようだった。慌てて何が起きたのか確かめる。見れば偉い人に胸ぐらを掴まれていて、あ、顔をぶん殴られたのか、と分かる。遅れてじくじくと頬が痛みだした。
「
目の合った偉い人がそう言い、僕はその顔になんとなく見覚えのある気がした。
「大丈夫か、アオイ。どうしたよ?」
掴まれていた手が離れ、よろめいた僕はアルにキャッチされる。いや、一人で立てるから、そんな大事そうに抱えるなよ、と僕は思うが声には出せなかった。
「恐らく接続酔いの一種だろう」
「接続酔い?」
「長く神経接続のギアローダーに乗っている兵士が稀に発症する神経失調をそう呼んでいる。……こんな短期間でかかっている例はあまりないから違うかもしれないが。軽度ならば殴ってよくなることが多い。またなっていたら叩いてやれ」
叩けば治るって皇女殿下か。勝手に交わされる上官とアルの会話を聞きながら、僕は殿下のことを思い出してくすぐったい気持ちになる。
「もし叩いても駄目だったら、その、重症化とかしたときは?」
「まあ、そのときは。終わりだな」
「終わり? それじゃあ、なにか、悪化させない手立ては?」
「正確な原因も発症の仕組みも不明だ。有効な治療法はまだ分かっていない」
「そんな。……っていうか、なんでニヤニヤ笑ってんだよ、アオイ」
皇女様のことを考えてたらニヤけていたらしい。アルに怒られて僕は首をすくめる。でもおかげでかなり調子は戻ったみたいだ。
「ほら、もう大丈夫だよ」
アルの手を振り払う。けれどアルは心配そうな顔のままで僕を見つめるから、なんとも居心地が悪い。少し離れて様子を見ている二年の視線も薄気味悪そうに僕を突き刺してくる。折角皇女様のことを思い出して膨らんでいた気持ちに、穴が空いて
なにより上官から強い視線を感じて物凄く恐かった。なんでそんなに見てくるんだろう。僕はそっと上官を窺って、そしてあっと気付く。この人、どこか覚えのある気がしたけれど。なんだ、図書室でよく見掛ける将校の人だ。
初めて図書室へ行った時に親切にしてもらって、その後も図書室でよく見掛けるのである。そういう時の習いとして僕は小さく敬礼を送る。上官からも返礼が来て、その顔は気付くのが遅いと呆れているようだった。仕方ない、今の僕は認知力がポンコツになってんだから。
「
うっすら笑みを浮かべた上官に名前を呼ばれても、僕は全然嬉しくない。というか、危機感がすごい。上官、特に将校が平兵士を名前で呼ぶなんて有り得ないことだし、なにより。いつも会話というほど言葉を交わすこともなく、時折二三言の声を掛けられるだけだけど。そのたった二三言になんとも巧いツッコミどころを
「知り合いの人なのか、アオイ」
小さい声で聞いてくるアルの肩を僕はぽんぽん叩きながら首を振って大きな声で答える。
「アル、違うよ、アル。別にそういうわけじゃないよ、アル」
不可解そうに首を傾げるアルの後ろで、上官が頷いた。
「分かった。仕方ないな。そっちの“アル”もセットで覚えよう」
よっしゃあああぁぁぁ。
「全員付いて来い。上へあがる」
上官を先頭に石造りの階段を上がる。大きくしっかりした階段だが明らかに人間用で、ギアローダーでは上がれないサイズだ。ということは、この建物の中は人間用施設しかないのだろう。
三階まで上がったところで大きな部屋へ入る。よく分からない機械や画面が並び、大きな地図が広げられ、数人がそこで忙しそうに働いている。変な部屋だ。
振り返った上官が僕らに重々しく告げる。
「ここは第二中継基地戦術作戦室。ちなみに私は戦術作戦本部派遣第二中継基地戦術作戦室長だ。一文字も省略せず呼ぶように」
ヤバい。このタチの悪い人、本部のくっそ偉い人だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます