第45話 クラス
なぜに泣き寝入った翌日はこんなに目が腫れ上がるんだろうか。寝不足でぼんやりする頭と相まって、もう訳が分からない。
頭痛薬が効いてくれているのか、頭は痛くない。吐き気も、考えてみれば昨日の昼以降なにも食べていないし、吐こうにも吐くものがない。
ここまで来れば、さすがにもうどんな記憶がフラッシュバックしようが僕も麻痺していてどうでもよくなっていた。
「はよう、アオイ。その顔どうした?」
近づいてきたアルが僕の顔を覗いて言う。
「もしかして皇女殿下様にフラれでもしたのか?」
皇女様にフラれたのか? うん、言い得て妙というか、ある意味僕はあの人にフラれたのかもしれない。そう薄ぼんやり思って、僕は頷く。
「え、マジで?」
自分から言っておきながら、アルはなんだか随分驚く。
「なんかの間違いじゃなくて? いや、まあ、でも。うん、気を落とすなよ」
ぱしぱし背中を叩かれた。お気遣いどうも。
今日は珍しく僕の横に席を取ったアルがあれやこれやと話しかけてくるけれど、面倒な僕はそれを聞き流す。どうせ授業が始まれば、ほらやっぱりこいつは三秒で寝始める。
アルの勉強への態度は未だ全くブレていない。相変わらず文字すら覚えていないようだ。
気持ち良さそうに寝入るアルを横目で見つつ、僕は小さくため息をつく。そういう僕も実はあんまりアルのことを言えない状況だ。遠足から数日間にわたって授業を休んでいた僕は、もはやすっかり置いてけぼりを食らっている。こうしていくら真面目に聞いていたって、授業がひとっつも理解できない。さすがに困って教官のところへ直訴へ行ってみたけれど、一様に「公欠中の授業に関してはクラスメートにノートを写させてもらうように」と言われるだけで取り付く島もない。ノートを写させてもらえるような人がいるならそもそも困って教官のところへ行ったりしない。本当にひどい話だ。こっちはちゃんと兵士をやってるんだから、勉強ぐらいちゃんと受けさせてほしい。
これは無理だ。腫れ上がった目は開けているのもしんどいし。僕は諦めた。頑張るだけ無駄だ、これ。
隣のアルに倣って僕も寝た。
「アオイ、アオイ」
それほど心地よくはないものの、眠気に引きずり込まれるようにして寝ていた僕は、ゆさゆさと肩を揺さぶられて重い目蓋を上げた。呆れ顔のアルが僕を揺さぶっていた。
「もう昼だぞ。起きないと食いっぱぐれるぞ」
どうやら僕は午前中全部寝たらしい。小器用なアルはどれだけ授業で寝ていても休み時間や昼はさっくり起きる。僕にそんな器用さはない。起こされてやっと気づく。
「ほら、昼飯行けよ」
そう言われても。食欲がないというか、空腹感が分からないというか。無理矢理詰め込んでも吐きそうな気がする。
「お、朝よりかは顔色良くなってんじゃん。飯食って元気だしてこい」
「……アルは? 行かないの?」
「ちょっと教官室寄ってくから、先に行っててくれよ」
「教官室? なにしに?」
「なかなか遠足が決まらないから、どうなってるか聞いてくる」
そんなことのためにわざわざ恐い教官室へ出向くとか、ほんとアルは何を考えているのか分からないやつだ。もしかしてまた泣き落としでもするつもりなのか。
「じゃ、あとでな」
出ていくアルを見送っても、僕は立ち上がる気にならない。まぁいっかと思って食べに行くのは止めた。出ていったり戻ってきたりするクラスメートをなんとなく眺めながら一人ぼんやりする。相変わらず彼らの顔も名前もよく分からない。いや、さすがに顔ぐらいは、見ればこいつクラスにいたなとは思う。
「なんなん、あいつ」
昼休みの軽いざわめきの中、ひときわ刺々しさに満ちた声が僕の背に刺さる。なんだろう。なんとも不快な調子の声だ。
「変だろ。ずっといなかったんだぜ?」
他人が他人と交わしている、僕とは関係のない会話。なのに、なぜか自分へ向けられた言葉のようにはっきりと聞こえてくる。
「どこで何してたんだかな」
「俺聞いたけどさ。あいつと同じ班だったbのやつ、死んだらしいよ」
「うっわ。マジか。え、なんであいつ帰ってきてんの?」
「知らねーよ」
気のせい、じゃないな。明確に向けられた敵意と悪意を感じる。わざと聞こえるように槍玉にあげられている感覚。いやでも、自分のことだと思うのは、自意識過剰かもしれないし。
「どうせ逃げてたんじゃねぇの」
「それな。訓練もいつもダッセぇ動きしてんし」
「チビだから目に入らないんだろ」
「ウケる。見過ごしてもらえてラッキーじゃん」
「あいつなんかと戦場へ送られたヤツ、かわいそー」
「あは。俺絶対ヤダ」
「“英雄の孫”? 聞いて呆れる」
僕のことじゃない。僕のことじゃない。
「おい、聞こえてんだろ。なんとか言えよ」
こっちに話し掛けてくんなバカ。
「なんでお前が生きてて、アイクや他のヤツが死ななきゃいけないんだよ」
そんなこと僕の知ったことじゃない。息を詰めて必死に聞こえていないフリをする。
敵意に混ざって興味本意の視線が、無関係を貫く空気が僕を取り巻いている。
「アオイ!」
教室の空気をぶち破るアルの声。いつもは能天気なそれが今回ばかりは怒っていて、教室中が不意を突かれた。
アルの声は近づいてくる。
「アオイ! お前、ちゃんと昼食べたのかよ!?」
……内容は能天気だった。弛緩した空気は一気に白け、僕は息をつく。
「なぁ、アル。こっち来いよ」
あいつらがアルを呼んだ。
「はぁ? なんだよ」
アルは答えない僕を放置して行ってしまう。でもその方が、たぶんいい。
「アル、教官とこ行ったんだろ。なんつってた?」
「あー。この間ので陣地がかなり壊されてて、まだ当分一年は行っても邪魔だから行かせらんないってさ」
不機嫌そうなアルの声に対し、やつらは「やった」と歓声をあげる。早く遠足に行きたがってるアルの方がおかしいってのは、僕も賛成だ。
「じゃ、授業始まるから」
「こっち座ればいいじゃん」
「今日は俺あっち座ってるもん」
やはり不機嫌な声ですげなく断ったアルが、戻ってきて僕の隣へ腰を下ろす。そして僕へ不機嫌なままの顔を寄せてきた。
「アオイ。救急講習は起きてないとまずい授業だ。起きろ」
「……起きてるよ」
「寝てたいけどな」
目を細めてそう言うアルを僕は少しおかしいと思う。なんでこんな不機嫌なんだろう。アルは一般科目は不真面目に寝ているやつだけど、兵科目にはちゃんと取り組むやつである。成績もいい。救急はアルの好きな兵科目のはずだ。
「嫌いなの、救急?」
アルはつまらなさそうに目を閉じる。そして低い小さな声で周りに決して聞かれないよう言った。
「大して意味もないのに。要らない」
よく分からないやつだ、アルは。
けれど、この日のこの後は、授業も訓練もアルはずっと僕の横にいてくれて、挙げ句の果てには夕飯もシャワーも連行するように連れていかれて面倒を見られたから、どんだけ不機嫌でもアルはアルなんだと僕は思い知る。
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