第22話 ✕✕✕

 一体この人は一日どう過ごしているんだろう。皇女様を見ているとどうにも気になる。

 だいたい僕が部屋に戻ってくるといつもいるのだが、つまり僕がいない隙に食事やらトイレやら身支度やらを済ましていると、そういうことなのか? ……想像以上に忙しないだろ、それは。

 相変わらず謎な人だ。

 いつぞや教官は一二週間でお飽きになられる、とか言っていたのに。一向に飽きてくださる気配がない。完全に僕の部屋と生活に馴染なじんでくれてしまっている。おかげで僕もすっかり追及することを忘れていた。どういうことだ。

 皇女様はロフトの梯子に小さなお尻を突っ込んで座っていた。淡い水色の寝間着姿で、ショートパンツからすらりとした脚が伸びている。やたら白く見えるそれに僕はさっきからどぎまぎしていた。

 なんというか、落ち着かない。それもこれも昼間にアルが妙な話をしたせいだ。変に意識してしまう。

「どうした? 少し様子が変だが。頭でも打ったのか?」

 皇女殿下が聞いてくる。

「今日はずいぶんと投げられていただろう」

 本当にどこから見てるんだ、この人は。まさかアルとの話の内容までは聞かれてないだろうな。あれを聞かれていたら、なんか僕は死ぬ。いや、よく考えれば別にアル死ねって感じだが、でもやっぱ僕が死ぬ。

「別に。頭は打ってないよ」

「そうか。では、熱でもあるんじゃないか?」

 身軽に梯子から下りた皇女様が近寄ってきて、僕の額にひょいと手のひらを当てる。顔が、近い。なんか甘い匂いがする。殿下の匂いなのか。

「熱もないな」

 手は離れてしまった。そこで僕ははっと気づく。落ち着け。ちょっとおかしくなってるぞ。気を付けないと。皇女殿下様を襲わないように気を付けないと。あと避妊と相手の気持ちに気を付けッてそれは違うわボケ!

 皇女様はますます眉根をお寄せになる。

「やはり、どこかおかしい」

 睫毛に縁取られたが僕を見つめている。丸みを帯びた頬はひどく柔らかくすべらかで、尖った顎と細い首筋は青い血管が透けて見えそうなほどもろく儚げだ。僕は触れて確かめたい衝動に駆られた。

 もし今手を伸ばしたら、皇女様は驚くだろうか。触らせてくれるだろうか。

「本当は頭を強打して、どっか壊れたんじゃないか?」

 ……微妙にこの人の物言い、ひどくない? ともかく頭を打ったわけではないので、僕は懸命に笑って誤魔化した。

「大丈夫だよ。今日は疲れたんだよ」

「そうか。そうだな。いつにも増して顔がおかしいものな」

「…………。」

 若干おかしいことは否定し得ないが、顔がおかしいってなんだ、顔がおかしいって。

「もう寝る」

 皇女様の視線から逃れ、クローゼットから寝袋を引っ張り出す。

「うむ、そうだな。疲れたのなら、そうしたほうがいい」

 もそもそと潜り込んで寝袋の中で丸まった。後ろから聞こえてきた皇女様の「おやすみ」にも、僕はもごもごと言葉を返せなかった。

 湿気た暗闇のなか、自分の心臓の音がうるさいほど聞こえてくる。皇女様相手にこんなドキドキするのは絶対おかしい。どう考えてもそういう相手ではないはずなのに。自分で自分がどうしてしまったのか分からない。息苦しささえ覚えて……いやそれは、寝袋に頭まで入ってしまってるからだけど。

 もしも例えば。さっきあのまま手を伸ばして触れていたらどうなっていたんだろう。思考がぐるぐる回る。もし触れたとして、問題はその先だ。とても困ったことに、正直、そこからなにをどうするんだか知らないのだ。気軽に皆はエッチだのヤるだの言うけれど、その中身がいまいち分からない。皆そういう情報をどこでどうやって仕入れているんだ。あるいはアルに聞いたら教えてくれるのか。……。……。いや、あいつには聞きたくないな。

 ここが家だったら兄にでも聞けたのだが、と久しぶりに兄の顔を思い出す。その頼りの兄は、いまや遥か遠い。だいたい軍へ来てこんな悩みが出るとは、家を出るときは微塵も思わなかった。どういうことだ。

 これからずっとこんな調子になったのでは、とても皇女殿下と顔を合わせられたものではない。どうすればいいのだろう。

 悶々とする夜は長く、結局僕は明日も寝不足のまま過ごす羽目になるのだろう。



 なお、なんだかんだ寝て起きて、顔洗ってトイレ行って走ってご飯食べてもうなんかいろいろすっきりした僕は、部屋で寝起きの皇女様を見ても特になんでもなくなっていて、だから昨日の夜のあれは単なる気の迷い的ななんかなのであって、もう全然そんなことはやっぱりないから問題ないというようなそれであり、つまりとにかく大丈夫ですのでお気づかいなく!

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