第21話 図鑑

「訓練続きは、しんどい」

 休憩時間にふらりと横へ来て座り込んだアルが言った。

「てか、アオイ。顔色悪いぞ。具合でも悪いのか?」

 相変わらず気遣いの行き届いたやつだ。僕の顔色を心配してきたらしい。

「……生身で戦うわけでもないのに。受け身なんてどこで使うんだろう」

 お前は受け身が下手だ、とかで教官に投げられまくった僕は目が回るような気持ち悪さに襲われている。そりゃ顔色も悪いだろう。

「知らんけど、あんなの適当に丸くなっとけば大丈夫だろ」

 受け身ってそういうもんじゃないぞ、アル。なんでできるんだ、こいつ。

「それはともかく。顔色は朝から悪かっただろ。今日の動きが悪いのは、具合が悪いからじゃないか?」

 無理するなよ、と言われる。顔色が悪いってのはそっちのことか、と僕は納得した。ついでに思い出して笑みがこぼれる。

「お。アオイが笑った。でもちょっと気持ち悪い」

 失礼だな。そしてこいつからしても、僕の笑顔ってのは希少扱いなのか。僕は、なんかもう、こう、とにかくいろいろ、初めからやり直したい気分だ。

「別に具合は悪くない。ちょっと寝不足なだけ」

 とりあえずアルには勿体無いので笑顔を引っ込めて答える。アルが神妙な顔になった。よいしょっと上体を寄せ、声をひそめる。

「……皇女殿下様と?」

「?」

 皇女様となんだ?

 僕が分からずにいたら、アルがしまったという顔になった。

「ごめん。今のなし。子供に振るネタじゃなかった」

「……………………………………………………。」

 くそアルこのやろう。

「だからごめんて。でも寝不足の理由なんて一晩中エッチしてたぐらいしか思い付かなかった」

 お前の脳ミソはどうなってるんだ。もっと他にあるだろ、なんか。

「うん、お前と皇女殿下様に限ってないよな」

 その認識は認識でなんか腹立つ。

「しょうがないなぁ。じゃあ、ええと。寝不足って、皇女殿下様となんかあったのか?」

「……ないです」

 無関係です。

「まったく、めんどくさいやつだな。でもじゃあ。え、お前、一人エッチずっとしてたのか? 皇女殿下様がいる部屋で、大胆だな」

 こいつの脳ミソにはエッチしか入ってないのか?

「思春期男子なんてそんなもんだろ。お前もそのうちそうなるって」

 やだな。心底嫌だな。

「皇女殿下様を襲わないように気を付けろよ。あ、ごめん。こういうこと言われたら、襲いづらくなっちゃうよな。えっと、避妊は気を付けろよ。あと、相手の気持ちも大事だからな」

「…………………………」

 すっごい気になるんだけど、こいつは経験者なのか?

「で? それならなにして寝不足になんかなったんだよ?」

 ふふふ。実はとても誰かに話したかったのだが、誰にも話し掛けられずにいたのだ。

「……今日はよく笑うな」

 気持ち悪いものを見る目で見るな。

「借りてきた本を明かりが消えるまで読んでた」

 零時に机の明かりが消えても、興奮冷めやらずなかなか寝つけなかった。

「……エッチな本?」

「違うバカ。動物図鑑」

「へえ、あ、ふうん」

 アルの返事が死ぬほど興味無さそうだった。

「すごい面白いんだぞ」

 見たこともない大きな動物の絵がたくさんあって、生態なんかがいっぱい載っている。居住区にかろうじている小動物や虫とは全然違った。昔はこんなやつらがそこらを歩いてたんだろうか。今もどこかにいるんだろうか。

「はあん」

 アルの反応は芳しくない。たぶん、生殖以外は脳ミソに入らないんだろう。

「とにかく、アルも一度行ってみろよ、図書室。たくさん本あるから」

「いや俺読めないし」

「昔の本だから、綺麗な写真の本もある。見てるだけで楽しいって」

 アルが少しだけ思案顔になる。でもどうせエロ本があるかどうかとかを考えてるんだろうが。

「それに、殿下が言ってた。『本を返しに行かないといけないから死ねない』って皆言うんだって。それで軍人は皆意外と図書室を利用するんだって」

 ジンクスの一種かなんかだろう。気休めだけど。

 アルの目許が微かに動いて、アルは言った。

「まぁ、気が向いたら……いや、やっぱり俺は本はいい」

 その顔はなんだかちょっと強ばって見えた。

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