第20話 迷宮

 皇女様が教えてくれてから数日。とうとう僕は図書室へ行ってみることにした。

 自分でも調べてみたけど、確かに少し遠い。普段僕ら学生が足を踏み入れることのない本部棟。それこそ軍の中枢機関があって、偉い人が闊歩している恐いところだ。基本立入禁止ではないけれど、でも喜んで行きたいところではない。

 それでしばらく躊躇していたのだが、やはり図書室には興味があった。しおりの規則を何度も見て、ちゃんと学生も利用可能と書いてあるのを確かめた。僕が行って問題ないはず。

 そろそろバレていると思うけど、僕は結構びびりだ悪いか。

 というわけで、かなりの決心の末行ってみることにしたのだが。あんまり期待してはいけないと思う。なんせ軍の最前線基地の図書室だ。そんな大層な品揃えであるはずがない。

 複雑怪奇な通路を迷いつつ進む。本部棟それ自体は、教務棟や寮棟と同じ昔の建築物の再利用だろう。同じはずなのだが、本部棟へ入るにつれ雰囲気が重厚になってきた。時間帯のせいか、あまり人には行き合わない。時折すれ違う恐い人がいて、そのじっとりとした視線を躱すのはなかなか冷や汗ものだ。ああ、もちろん逃げるのではなく、気づいた瞬間僕が立ち止まって避けて目をそらして敬礼して上官が行ってしまうのをひたすら待つのだ。

 幸い見咎められたり詰問されたりすることもなく、図書室と書かれた扉に辿り着いた。どきどきしながら扉を押し開けて入って、そこで僕は立ち尽くした。

 これは、想像を遥かに越えている。部屋がどれ程の広さなのか、奥は窺い知れないほど深い。入り組んだ本棚に数えきれない本が並んでいる。見たことのない景色と独特な匂いに鼻の奥が痺れるようだ。

 皇女様め。これは、「そこそこ本は揃っている」なんてもんじゃない。どう考えても軍に不釣り合いなほどの図書室だ。なんなんだ、ここは。

 僕はふらふらと奥へ踏み出した。本棚を始めとする机や椅子、手摺てすりといった調度品は、いずれもシックながら丁寧な装飾が施されており、それがまたなんとも基地には異質だ。

 おそらく。この図書室も遺物なのだろう。この基地自体が前世代の建築物の再利用である。図書室は前世代のもののまま引き継いでいるのではないか。

 前世代の要塞基地かなんかの跡地だと思っていたけど、この図書室を見るに他の用途の建築物だったのかもしれない。なにはともあれ、ここにある本は前世代の遺物、ということか。すご。

 せっかく閲覧、借り出し自由だというのだから、これを楽しまない手はない。

 迷宮の如き本棚の間を縫って歩く。なんの本だか全然分からないけど、テンションが上がりっぱなしだ。手に取るべき本も分からずうろついていた僕は、うっかり本棚の影に立っていた人物に気づかなかった。接近してようやく気づくが遅い。飛び上がるほど驚いた僕はかろうじて規定の敬礼をした。

 一冊開いて吟味していたらしいその人は、壮年の男の人だった。きっちり軍服を着ていて、階級章までは分からないけど光ってるからたぶん将校。なんにしろ僕らより下のやつなどいないのだから、どうせ全部上官だ。

 僕を一瞥した上官は、微かに眉を上げた。

「珍しいな。学生が。こんな時刻に」

 規則上問題はないはずだが、それでも問題なくても叱責されるのが軍というところである。それがいくら理不尽でも下官は文句を言えない。というか、下問がない限り僕から話し掛けることもできないし、立ち去ることもできない。解放されるまでただひたすら、あ、右腕の筋肉が……ぷるぷるする。

 上官は笑った。

「いい。休め」

 敬礼は止められたけど、この休めという姿勢が全然楽な姿勢でないのはなぜなのか僕は教えてもらいたいクソ。

「何年……いや、一年だな」

 チビだと侮られている。まあチビだけども。

「ここは小説の書架だ。物語が読みたければこの辺りを探せ。他の調べ事ならあっちの書架だ。項目を確認してから探せ」

 普通に親切な人だった。内心で罵ったりしてごめんなさい。

 上官が軽く顎をふって、どうやら僕は解放された。一礼ののち迅速に離脱する。特に目当ての本があるわけではない。とりあえずで“あっちの書架”へ行ってみる。

 消灯までの時間を考えると、残念ながらあまりのんびりしている時間はない。僕はたまたま見つけた「自然」とかいう棚で一冊の本を見繕った。

 借り出しの手続き方法はしおりで確認してきたし、カウンターにも手順は貼り出されている。大丈夫だとは思うが、当然のように手続きを担うのはロステクマシーンで僕はまごつく。横から伸びてきた手が、まごつく僕から本を掻っ拐った。

「借り出しだな」

 さっきの上官の人だった。鯱張しゃちほこばる僕に構わず、さっさと手続きをしてくれる。普通に親切な人じゃない、めちゃくちゃ親切な人だった。

「取り扱いは慎重を期し、丁重にすること。返却期限は厳守のこと」

 渡される本を僕は礼を述べて受け取る。

 その人は、にやりと笑った。

「特に返却期限は絶対に守れ。たとえ戦死しても本は返しに来い」

「どうやってだよ」


「早う、アオイ。今日は罰ゲー……あれ、どうした、その青タン」

「……うっかり上官にツッコミを入れて。殴られた……」

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