遺書

 



 拝啓、私の家族へ。


 あなたたちがこれを読んでいるとき、私はもうこの世にいないでしょう。


 首を吊って死んだ私をみたとき、どんな気分でしたか?


 少しでも叫んでくれたのなら、絶望してくれたのなら、私はとても嬉しいです。


 ですがあなたたちなら、どうして私が死んだのか、きっとわかってくれるでしょう。




 お父さん。


 生まれてからずっと、私に興味を持ってくれることはありませんでしたね。


 お姉ちゃんがよっぽど可愛かったのでしょう。


 私の記憶の中で、あなたが私に父親らしいことをしてくれた覚えは一度だってありません。


 なのでひょっとすると、父親ですらないのかもしれません。


 唯一覚えているのは、私が小学校にあがった頃、お姉ちゃんと同じピアノ教室に通いたいとお願いしたときのことです。


 お父さんはたぶん、私が聞いていないと思ったのでしょうが、実は部屋の外にいたんですよ。


 あなたは言いましたね、『菜々美に習い事をさせるぐらいなら、菜緒にお金を使ったほうがいい』と。


 あの日聞いた言葉は、今の私という人格を作る上で、とても重要な土台になっています。


 ありがとうございました。


 私はあなたのおかげで死ねました。




 お母さん。


 小さい頃は私をよくかわいがってくれていましたね。


 ですが大きくなって、お姉ちゃんとの差が大きくなるにつれて、あなたからの愛情が消えていくのを感じました。


 下手に期待させた分、お父さんより残酷だと思います。


 きっとお母さんは私がこう言うと「あなたの努力が足りないの」だとか言うのでしょう。


 私ががんばったとき、一度だって褒めてくれたことなんてないくせに。


 それどころか、私ががんばって、がんばって、テストでそこそこいい点数を取ったとき、あなたは鼻で笑いましたね。


 お姉ちゃんより点数が悪かったから。


 中学に入った頃からは、仕事でストレスが貯まると露骨に機嫌が悪くなって、私に当たることが増えました。


 どうしてこれぐらいしかできないの、どうしてお姉ちゃんみたいにできないの、どうして、どうして、どうして。


 聞き飽きるぐらい言われて、私がわからないと言うと、鬼のような形相で睨まれるんです。


 あなたもお父さんも、そんなに頭はよくなかったのに。


 自分のことは棚にあげて、まるでお姉ちゃんが優秀な理由は自分のおかげであるかのように振る舞って。


 だから私が劣っているのは、私のせい。


 私がどれだけ自分を嫌いになっても、私のせい。


 私が死んでも、私のせい。


 おめでとうございます。


 私はあなたが望んだように死にました。


 どうか私の醜い死体を見て、思う存分笑ってください。




 最後に、お姉ちゃん。


 あなたは私の憧れであり、壁でした。


 あなたは私の目標であり、天井でした。


 一緒にすごしていくうちに、私が背伸びをして届くのは、あなたの底辺なのだと気づきました。


 私が小学六年のとき、お姉ちゃんは中学に入り、優秀さが周囲に知れ渡っていきましたね。


 その頃、私はよく、お姉ちゃんに「勉強を教えて」とねだっていたと思います。


 テスト期間中でもお構いなしに頼んで、お母さんは私を睨んでいました。


 もうあまり話さなくなっていたのに、急にそんなことを言われて、お姉ちゃんは戸惑ったでしょう。


 それでもお姉ちゃんは勉強を教えてくれました。


 どうして私がそんなことをしたかわかりますか?


 私は、あなたの足を引っ張って、少しでも邪魔をしようとしていたんです。


 私がお姉ちゃんに追いつく方法は、足を引っ張って、こちらに引きずり下ろす以外に無いと理解していたから。


 醜い妹でごめんなさい。


 でもお姉ちゃんも悪いんですよ。


 私の壁になるから。私の天井になるから。超えられない限界を見せるから。


 お姉ちゃんさえいなければ、お父さんは私に興味を示してくれたでしょう。


 お姉ちゃんさえいなければ、お母さんは私を愛してくれたでしょう。


 お姉ちゃんさえいなければ、私はもっと自分を好きになることができたでしょう。


 お父さんを恨んでいます。お母さんを恨んでいます。


 ですがその最大の原因は、お姉ちゃん、あなたです。


 だから私はお姉ちゃんが大嫌いです。


 世界で一番大嫌いです。


 殺そうとして、包丁を手にしたこともあります。


 ですがそのあとに残るのは、誰も私がお姉ちゃんを殺した理由なんて気にせずに、お姉ちゃんが死んだことを嘆くだけの世界ですから。


 だから私は自分の死を選びました。


 おめでとうございます。


 お姉ちゃんはようやく、私という足かせから解放されました。




 お父さん、お母さん、お姉ちゃん、ここまでちゃんと読んでくれましたか?


 みんなは私を愛していないので、ひょっとすると、遺書なんて興味も示さずに捨てられてしまうかもしれませんね。


 ですがそのほうがいいと思います。


 これは私がどれだけあなたたちを嫌って、どれだけあなたたちに私の死の責任があるのか、それを押し付けるためだけに存在する手紙ですから。


 どうかみんなで苦しんでください。


 どうかみんなで悔やんでください。


 それが、私の死に対する、唯一の弔いです。


 あなたたちが顔を歪めてくれたなら、その分だけ、きっと私は地獄で笑えるはずですから。




 さて、もう書くことなんて残らないほど、吐き出したと思います。


 そう、思ったのですが。


 最後に、本当に最後に、伝えたいことがあります。


 私が生きているうちに、それを誰かが知ることなんて絶対にないと思っていました。


 何なら死んでも誰にも知られないつもりでした。


 ですが、これを書いているうちに考え直しました。


 だってせっかく死ぬんですから、言いたいことを残しておいたって、未練になるだけですから。




 お姉ちゃん、愛しています。




 今までさんざん嫌いと言ってきましたが、それは嘘です。


 小学生の頃、とっくに私はお姉ちゃんに恋をしていて、それを自覚していました。


 ですが同時に、妹である私が実の姉に恋心を抱く気持ち悪さも理解していました。


 だから自分に言い聞かせてきたのです。


 私はお姉ちゃんが嫌いだ、と。


 嫌いで、嫌いで、大嫌いで、そう言い続けないと、すぐに好きの気持ちで胸がいっぱいになってしまうから。


 私を妹として愛してくれるあなたが好きです。


 私なんかにも優しくしてくれるあなたが好きです。


 たまに見せてくれる笑顔が好きです。


 いつもの感情表現が薄い無表情なあなたも好きです。


 勉強ができるあなたが好きです。


 歌が上手なあなたが好きです。


 運動神経がいいくせに、たまにドジをするあなたが好きです。


 滑らかな黒い髪が好きです。二重のまぶたが好きです。こぶりな鼻が好きです。滑らかな肌が好きです。耳の形が好きです。柔らかそうな唇が好きです。細い首筋が好きです。うっすらと浮き出た鎖骨が好きです。意外と弾力性のある二の腕が好きです。細くしなやかな指が好きです。白く透き通った手の甲が好きです。暖かさと少し湿った柔らかさのある手のひらが好きです。大きく膨らんだ胸が好きです。控えめなおへそが好きです。ふにふにしたお腹が好きです。色っぽいうなじが好きです。背骨の形が好きです。少し太めの太ももが好きです。丸みを帯びたお尻が好きです。きれいな膝が好きです。少し蒸れた膝の裏が好きです。走る時に引き締まるふくらはぎが好きです。足の形が好きです。小指が少し短い足の指の並びが好きです。他の人よりも小さな足の指の爪が好きです。見えない部分はきっと私と似ているのだろうと想像した上で好きです。


 人には好みがありますが、私の好みはお姉ちゃんそのものです。


 あまりに好きすぎて、他の人を好きになる自分なんて想像できないので、きっとこの先、私が生き続けても、お姉ちゃん以外に恋をすることはないのでしょう。


 もちろんプラトニックな愛なんかじゃなくて、ハグも、キスも、それ以上だって望んでいます。


 家の中でお姉ちゃんとすれ違うたびに、私はそんなことを考えていたのです。




 どうでしょうか、とても気持ち悪かったですよね。


 わかります。


 私もそう思っているからこそ、私は私が嫌いなんですから。


 お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、きっと今までの家族としての思い出を全て穢されたような気分になったでしょう。


 胸にもやもやとしたものが纏わりついて、吐き気にも似た感じを覚えているはずです。


 そうなってくれていると、嬉しい。


 だってそれは、私が生きている間、ずっと味わってきたものだから。


 そのうちの何十分の一かぐらいは、理解してもらえたでしょうか。


 それはよかった。


 ざまあみろ。



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