その4
そのまま、私たちは言葉少なに、手をつないで帰った。
もう手をつなぐことに違和感を覚えることはなかった。
途中でお姉ちゃんは、指を絡めてきた。
姉妹のそれとは違う、指と指の間がぞわぞわする密着感。
それでも私は抗わない。
仕方のないことだ。
これは私が悪いんじゃない、だってちょうど、片手が買い物袋でふさがっていて、抵抗できない状態だったから。
帰宅。食材を広げて、お姉ちゃんはいつもより近い距離で私に夕飯のメニューを尋ねる。
その無邪気さには、しかしどことなく熱がこもっていた。
視線にも、これまでとは異なる何かが混ざっている。
心臓が高鳴る。
夕食のメニューを告げると、お姉ちゃんは「手伝う」と言った。
私は断る。お姉ちゃんはふてくされる。
そんな微笑ましいやりとり。
表面上は何も変わらないのに、どうしてか、互いにやり取りに、まるで体と体が触れ合うような空気感があった。
夕食を作る。
お姉ちゃんは手伝えないからと、寂しそうにテレビを見ていた。
けれど途中、耐えきれなくなって、私の後ろから抱きつく。
ぬるりと、絡みつくように。
吐息がわずかに私の耳をくすぐる。
ぞくりとした。
私が「離してよ」と体をよじると、お姉ちゃんはいたずらっぽく笑って「やーだ」と甘えたように囁く。
そして私が手を動かす様子を、じっと見つめるのだ。
緊張に手が震える。
包丁を扱ってるから、危ないのに――そう思いながら野菜を切っていると、思わず手がぶれて、指を切った。
顔をしかめる。
その場を離れて、絆創膏を取りに行こうとすると――お姉ちゃんは私の手を取って、指を咥えた。
やめて、とか。恥ずかしい、とも言えず。
私はただただ口をぱくぱくさせて、お姉ちゃんが「ちゅぱっ、んちゅっ」と音を立てながら指をしゃぶる姿を見つめることしかできなかった。
数十秒後、お姉ちゃんが指を解放する。
唾液が銀の橋を渡す。
お姉ちゃんは笑って「血が止まってよかったね」と笑う。
その表情が妖艶に見えて、私は自分の恥じらいを隠すように、慌てて救急箱を取りに行った。
夕食は、隣合わせで座る。
ソファに二人並んで、お姉ちゃんは妙に密着して私に甘えた。
夕食後も、その時間は終わらない。
それどころか、お姉ちゃんは穏やかに笑いながら、自分の太ももをぽんぽんと叩く。
膝枕をしよう――そんな提案だった。
もちろん拒否した。
お姉ちゃんなんて嫌いだとも言った。
けれど、逃げられなかった。
私の頭はお姉ちゃんの柔らかな太ももの上に乗せられ、幸せそうに見下ろすその表情を見せつけられる。
耳かきをするでもなく、眠るわけでもなく、私たちはそのまま見つめ合う。
私が「バカみたい」と言うと、お姉ちゃんは「そうだね」と笑った。
そこで笑われたら、無敵じゃないか。
お風呂の時間、お姉ちゃんは当たり前のように一緒に入ってきた。
私は半ば諦め気味に拒絶を諦める。
――。
お風呂からあがる。
火照った体。
私はお姉ちゃんに背中を向けて、唇をなぞる。
まだ心臓がうるさい。
お姉ちゃんも今ばかりは変に絡んでこない。
ふと振り向くと、私と同じように背中を向けていて、耳は真っ赤になっていた。
パジャマに着替えたあと、自室へ。
ようやく一人の時間が――と思いきや、お姉ちゃんが部屋に居座った。
私のベッドに座って、漫画を読んでいる。
一応、ゲームとかSNSチェックを邪魔するつもりはないようだけど……やっぱり気は散る。
ちらちらとお姉ちゃんのほうを見ていると、うっかり目があってしまった。
お姉ちゃんはにへらと笑い、「目、合っちゃったね」とはにかんだ。
心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
そしてお姉ちゃんは手招きをする、「こっちにおいで、もっとくっつこうよ」と。
また膝枕か――私がそう思い、呆れ気味にベッドに向かうと、お姉ちゃんはぐいっと私の腕を引っ張って、ベッドに押し倒した。
いわゆる、馬乗り状態。
そのままためらいなく、唇を重ねた。
一度では飽き足らず――「や、やめっ、お姉ちゃん、んっ」――二度も、三度も――「好き。菜々美、好きだよ、大好き」。
たまに頬や額――「は、はぁ……っ」――首筋、耳にも触れながら――「菜々美がしたいこと、全部、私がしてあげるね」――甘い言葉を耳元で繰り返し、私を溶かしていく。
やめて。お願い、やめて。私を
どうして私は大嫌いなお姉ちゃんにこんなことされているのだろう。
拒む気持ちが、失せていく。
理性が、どろどろに、なくなっていく。
気持ちが落ち着く頃には、時計の長針は一周していた。
私たちはベッドで抱き合い――そう、一方的にではなく、私からもしがみつくように背中に腕を回し――額に汗を浮かべながら見つめ合っている。
私は何をしたんだろう。
相手はお姉ちゃんなのに。
血の繋がった姉妹なのに。
けれど当のお姉ちゃんは、悪気なんて全然感じさせない顔をしていて、むしろ誇らしげなほどで。
最後に、姉らしく、慈愛のこもった抱擁で、私の背中をぽんぽんと撫でた。
体力を使い果たしたのか、その手の動きと体温に導かれるように、私は眠気に飲まれていく。
うつらうつらと、まぶたが降りていく中、お姉ちゃんは「おやすみのキス」と言って、最後に軽く、唇を合わせた。
◇◇◇
目を覚ます。
また、いつもより早い朝がやってくる。
お姉ちゃんは一足先に起きていて、目を覚ました私に優しく「おはよう」と告げると、愛おしそうに頭を撫でて、「おはようのキス」と言って唇を交わした。
一階に降りて、朝食を作る。
お姉ちゃんは後ろから抱きついて、その様子を見守る。
時折、「こっち向いて」と言っては横からキスをして妨害してくる。
完成した朝食を食べる。
頬にスクランブルエッグのかけらがついている、と理由を付けてキスをされた。
食後、「朝食おいしかったわ」とキスをされた。
二人で片付ける。
その後、私は胸にもやもやとした気分を抱えながら、弁当を作ることにした。
元々、余裕がある日には自分で作っていた。
けれど今は一人分だけ――というわけにはいかないだろう、と思い、あらかじめ二人分の材料を用意しておいた。
……そんなことしたら、また。
そう思いながらも、やめるわけにもいかなくて。
二人分の弁当を作るというと、お姉ちゃんは目に涙を浮かべながら喜んだ。
そして私を抱きしめて、キスをした。
――いけない。
――いけない。
――
自己暗示はいつまで効果を持つのだろう。
家を出る。いってらっしゃいのキス、いってきますのキス。
学校への道のり、手をつないで歩く。
学校に到着、靴箱には誰もおらず、お姉ちゃんは小悪魔の笑み。
顔が近づく――「今なら誰も見てないわ」「いや、そういう問題じゃ」――壁際に押し付けられ、唇を重ねる。
これで朝、昼、晩と学校をコンプリートしてしまった。
各々別れて教室へ。
疲れ果てて突っ伏していると、友達に慰められる。
昼休み、またお姉ちゃんに呼ばれて例の場所へ。
お姉ちゃんは大事に大事に、逐一褒めながらお弁当を食べてくれた。
さすがにそれに関しては、嫌な気はしない。
けれど食事が終わると、誰もいないからと、私は抱き合ってキスをされる。
今日、もう何度目だっけ――と、数えることすらできないほど、何度も、何度も。
放課後、教室で逢引。
私はなぜか家に帰ることもなくお姉ちゃんの生徒会が終わるのを待って、二人で手をつないで帰る。
今日は公園に立ち寄り、昨日より人が見ているかもしれないところでキスをする。
家に帰る。
珍しく両親が帰ってきていた。
四人での食卓。
相変わらず会話はないに等しいが、母が私にべったりくっつく姉を見て一言――「ずいぶんと仲がいいのね」。
私の心臓が跳ねる。お姉ちゃんは自慢気に「そうなの、とっても仲良しなの」と言い切る。
食後、母はキッチンで片付け、父はリビングでテレビを見る中――私はお姉ちゃんに手を引っ張られ、廊下に連れて行かれた。
お姉ちゃんは私を壁に押し付け、体も密着させる。
熱っぽい眼差しをこちらに向けて、「しよ?」と囁く。
私は理性がまだあるから、首をふるふると振って、「や……っ、お母さんと、お父さんがいるんだからっ」と諭す。
けど、それが無駄なんてこと、とうに私は知っていて――「どうせ気づかないわ」と、お姉ちゃんは唇を押し付ける。
食器を洗う音、テレビの音、そして父の控えめな笑い声。
生活音が鳴り響く中、姉妹で交わす口づけは、とても、悪い味がして、癖になりそうだった。
◇◇◇
私たちはキスをする。
学校の休み時間、スマホで連絡を取り合って、人の少ない女子トイレで待ち合わせをして。
チャイムが鳴るギリギリまで、お姉ちゃんは私を離してくれない。
「菜々美だって、ぎゅって私のことを離さないわよ?」
うるさい、お姉ちゃんなんて嫌いだ。
けれど私はキスをする。
放課後、生徒会室に連れてこられて、「まだ他の人は来てないから平気よ」と悪いお姉ちゃんに誘われて。
そのあとすぐに会長さんが来て、大慌てで体を離すことになったのに、お姉ちゃんは全然反省しない。
「だって菜々美とのキスが幸せすぎたんだもの」
帰り道、人通りがないからといって、広めの道でキスをする。
今回はさすがに見られた。
通りがかったOLさんは割と驚いた表情をしていたけれど、あれが知り合いだったらどうするつもりだったんだか。
「ごめんなさい、さすがに調子に乗りすぎたわ。でも、どきどきした」
家にて。
お父さんがお酒を取りに台所に向かったとき、わずかな間に、唇を交わす。
お母さんとお父さんがリビングでテレビをみているとき、台所に連れて行かれて、見えるか見えないかギリギリのところで抱き合って口づけをする。
確かに、どきどきはする。
でも、どうしてそんなことするんだろう。
私がその答えに気づいたのは、お姉ちゃんとのそんな生活が、二週間ほど続いたときのことだった。
その頃には、家の中のほぼ全ての場所で、お姉ちゃんとキスをしていて。
それどころか、通学路や、駅や、行きつけのスーパーや、学校ですらキスをしていないところのほうが少ないことに。
色んな場所にいくたびに、私はお姉ちゃんとのキスを思い出して。
私は頑張ってお姉ちゃんのことを考えないようにしているのに、すぐに心を埋め尽くして。
それで気づいたんだ。
お姉ちゃんは、私のいる場所全部を、自分で塗り替えてしまうつもりなんだ、って。
◇◇◇
お姉ちゃんとのファーストキスから、一ヶ月が経過した。
外は肌寒くなり、ちらほらと手袋を付けて登校する生徒が出てくる頃。
私たちは相変わらず、手をつないで通学路を歩いていた。
恐れていたことは、結局、現実になって。
今や私たちは、当たり前のように一緒に寝て、当たり前のように一緒にお風呂に入り、当たり前のように抱き合って、当たり前のようにキスをする。
同じことの繰り返しのようで、けれどその深度は日に日に増していて。
もう少しで、私はお姉ちゃんにすごく大切なものを捧げてしまうんじゃないかって――そんな恐れすら抱くようになっていた。
怖いな。
私は一度だって、お姉ちゃんに好きとか、してほしいとか言ってないのに。
どうしてお姉ちゃんは、こんなに自信を持って私を奪えるのだろう。
やっぱり、自分に自信があるからなのかな。
それとも、未来の私が、お姉ちゃんに何か伝えたのかな。
結局――あの『未来の私からのラブレター』の正体は、未だ不明。
栗生先輩とも何度か話したけれど、やっぱりお姉ちゃんが変わった理由は見当たらないので、最近は先輩が無意味に口説いてくるようになった。
お姉ちゃんにチクった。
次の日から口説かれなくなった。
それはさておき。
今日も今日とて、朝から繰り広げられるお姉ちゃんの濃密なアタックにへとへとになった私は、誰も居ない教室の机に突っ伏していた。
それから二十分ほど経つと、友達がやってくる。
彼女は私の方をちょんちょんと突いて、
「おはよー。今日もおつかれだねえ」
と、いつもどおりのセリフを私に告げる。
「お姉ちゃんのせいでね」
私もおなじみになったフレーズで返した。
「いやー、それにしても、もう一ヶ月だっけ? こうなると、菜緒先輩の異変は、一過性の病気ってわけじゃなさそうだね」
「一生続くのかな……」
「愛されすぎて辛いってやつ?」
「そんなレディコミのタイトルみたいな」
「実際、そんな状態になってるからね。ほんと、先輩ってばなーんで急に変わったんだろうねえ」
「それがわかれば苦労しないんだけど」
いや、わかってもお姉ちゃんが戻るとは限らないのか。
それに、万が一、元に戻るようなことがあったら……む……わ、私は何を考えてるんだかっ!
私はお姉ちゃんが嫌いなんだから、元に戻ってくれていいの! 問題ないの!
「でもさあ、私はそれ、意外とよかったんじゃないかと思ってる」
友達は机に頬杖を突いて、保護者気取りの優しい顔で言った。
「どうして?」
いいことなどあるものか――私がため息交じりに感情を込めて言うと、彼女は困ったことに、たった一言で、それを否定してみせた。
そしてさらに困ったことに、それはたぶん、全ての核心を突いた言葉だった。
「だって菜々美、前みたいに“死にたい”って言わなくなったもん」
「あ……」
別にあの言葉は、おふざけで言っていたわけじゃない。
私は私が嫌いで、私を取り巻く世界も嫌いで、だから、本気で消えてしまえばいいと思っていた。
そのために一番簡単な方法は、結局、自分が消えることだから。
何度も何度もそう願って。
願うだけでは飽き足らず、方法を調べて、試すために、ホームセンターでロープを買ったこともあったっけ。
それは、本当の本当に追い詰められてて、精神状態が最悪のときの話だけど。
けれど、本気は本気だったんだ。
だからそれが消えたってことは――今の私の本心が、どういう形をしているかを示していて――
……いや、今さらか。
だって、もう一ヶ月だ。
その間に、私は何度も、数え切れないぐらいお姉ちゃんとキスをした。
拒むような仕草を見せても、お姉ちゃんは止まらない。
だって――私が、本気で拒んでいないことを、知っているから。
結局、どうしてそれを知っているのかがわからないから、もやっとしてるんだけど。
「菜々美は寂しがり屋なんだよねー」
「やめてよ、そういう言い方」
「だって、菜緒先輩と一緒に行動するようになってから、表情も柔らかくなったもん」
「気のせい」
「そんなわけないよ」
「何で言い切れる」
「菜々美がハッピーだと、実は私もハッピーだから。ハッピーセンサーは意外にも高性能なので、ごまかしはきかないの」
「脳みそハッピーの間違いじゃないの」
「どんよりしてるよりはそっちのがいいよ。菜々美だってわかってんじゃないの?」
意識はしなかった。
あえてなのか、偶然なのかは知らないけれど、自分が幸せかどうかなんて、わざわざ考えたりは。
けれど改めて考えてみれば――確かに、この一ヶ月は満たされていた。
人肌の温もりは、ただそれだけで私の心を癒してくれるから。
私が拒んでも、向こうから求めてくれるという事実が、私の寂しさを埋めるから。
忌々しいことに、気づけば私は、お姉ちゃんに寄りかかっている。
「人間ね、バカなぐらいがちょうどいいんだよ」
そう言ってケラケラと笑う友達。
私は呆れた顔でため息をついた。
こんなやり取りも、すっかり定番になっていて。
けれど今日は、友達が急に真剣な表情になったかと思うと、ふいにこんなことを尋ねてきた。
「菜々美が死にたいって言ってたの……あれ、やっぱり本気だったんだよね」
「死にたくなかったら言わないでしょ」
「いるんだよぉ。気を引くためにそういうこと言う子が」
「メンヘラじゃん」
「菜々美も似たようなもんだよ」
ぐさっと胸に突き刺さる。
確かに言動はメンヘラそのものだったけど、本気だからちが……いや、本気のほうがひどいのか。
私はメンヘラ以下だったのか……。
「あ、ごめんっ、そんなに落ち込まないでって!」
「死にたい」
「久々に言わせてしまったー!」
「もう私はダメだ。そうか、私は痛いメンヘラ女だったのか。リスカの画像とかSNSにあげちゃう系だったんだ。もういいや、死のう」
「落ち着いて菜々美! お姉さんが悲しむよ!」
「何でそこでお姉ちゃんが出てくるの!?」
「お、立ち直った」
「く、釣られた……!」
「それで話を戻すけど、死にたいって言葉が本気だとしたらだよ、あの『遺書を書いた』って話も本気だったのかな、って」
「遺書……ああ、書いてたねえ。見つかったらヤバいから、鍵かけて引き出しに入れてる」
「捨ててないんだ」
「……一応はね」
何かあって私が死んだときのために、残してあるのだ。
「じゃあ見せ――」
「絶対に嫌だ!」
「拒絶が強い……えー、そこまで全力で拒否られると逆に見たいんだけどー」
「自分が何を要求してるかわかってる? 友達に『自作のポエム見せてよ』って言うよりさらにひどいからね!?」
「ますます見たい!」
外道だ……外道がいる……!
しかもニヤニヤしてるあたり、わかっててやってるなこいつぅ!
「あんなものを人に見られたら私、もう本気で死ぬから。死んだあとに見られるならともかく!」
「気になるなぁー……でもあれだなあ、うっかり見られて悶え苦しんでる菜々美を見たい気持ちもちょっとあるなぁ。菜緒先輩、部屋に出入りしてるんでしょ? 何かの拍子に見たりしないかなぁー」
「引き出しには鍵がかかってるから、簡単には見れ――」
「……ん? どしたの菜々美、急に固まったりして」
「鍵……かけたっけ」
「へ? かけてなかったの?」
「何週間か前に、見たんだよね。久しぶりに、その遺書を。それから、あれを机の上に置いて……元に、戻した? いや、戻してない。その記憶がない」
じゃあ、あの黒歴史文書、もとい遺書はどこに行ったんだろう。
思い出せ私。
あれを家族に見られたら即家族会議だぞ、一生言われ続けるぞ。
いや、下手すると追い出されてあの家にいられなくなるかもしれない!
「あはは、なにそれ。じゃあ意外と、菜緒先輩が変わった理由って、それを見たからだったりしてね」
私の遺書を……お姉ちゃんが……見た?
『私たちの望みは、一緒だから』
お姉ちゃんが、見て、そして――
『未来の菜々美からラブレターをもらった』
――私の気持ちに、気づいたんだとしたら。
「ああ……」
「菜々美?」
「ああああ……」
「急に立ち上がったりしてどうし……ってうわ、顔色がすごいことにっ。保健室行く?」
「うああっ、あああぁああ……!」
「おーい、菜々美? 菜々美ー?」
「うわぁぁぁぁぁあああああああああッ!」
私は頭を抱え、髪をわしゃっとしながら、思わず叫んだ。
なんてこった。
なんてこった。
「なんてこったあぁぁぁあ!」
「何が!?」
「そうか、だからお姉ちゃんはあんなことを、急に、急に! あれ、でもそれって、つまりお姉ちゃんも――」
「遺書の話? え、じゃあもしかして、やっぱり菜緒先輩に見られたの?」
「ごめん友達っ、私、帰る!」
「学校はどうすんの!?」
「今日は休むっ! それどころじゃなくなったの! じゃあねっ!」
私は鞄を掴んで、全力疾走で教室を出た。
そのまま速度を緩めずに、登校する生徒たちの流れを逆流して駆け抜ける。
ただし――私は基本的にもやしなので、体力はそんなにもたない。
裏門をくぐる頃にはかなりガタが来ていて、スピードダウンしていたけど、一応は走っているつもりで前に進んだ。
駅に到着する頃には汗だくだく、膝がくがく。
乗客の少ない電車に乗り込み、席に座って呼吸を整える。
家の最寄り駅に着くまで十五分。
扉が開いた瞬間、電車を飛び出て再加速、改札もダッシュで通り過ぎる。
家までたどり着くと、只今も言わずに、靴を乱暴に脱ぎ捨てて二階へ駆け上がった。
まずは私の部屋に滑り込む。
誰もいないので急ぐ必要はないけれど、気持ちの逸りを抑えきれない。
「無い、無い、無い、無いっ!」
鍵付きの引き出しを漁っても、あの封筒は見つからない。
次は他の引き出し、本棚、机の上、ベッドの下、終いには家具を退かして裏側まで調べたけれど、どこからも出てこなかった。
「最悪だ……最悪すぎるうぅ……っ!」
私の部屋にないってことはつまり、すでに誰かに見られたってことで。
もはや最悪の可能性しか残っていない。
そしてその最悪の中でもマックスに最悪な、お姉ちゃんの部屋に私は足を踏み入れる。
最近はよく通うようになったこの部屋。
あのベッドで二人で寝ることも多くなった。
だから、大体のものがどこにあるかは把握していて、その中でも、私が見たことのない場所は――机の横に置かれた、小さめの引き出しぐらい。
取っ手を指先でつまみ、恐る恐る、開く。
――筆ペンで『遺書』と書かれた封筒が、そこに入っていた。
「お……おぉ……ぬおぉぉおおおおお……!」
私はしゃがみ込み、喉の奥から絞り出すようなうめき声をあげた。
見られた。
たぶん私の人生で一番の黒歴史を。
死んだ後には見てほしいけど、死ぬ前に見られたら私が死んじゃうぐらいのダークネスの塊を。
見られてしまったんだ、お姉ちゃんに。
だからお姉ちゃんは、急に変わったんだ……。
そしておそらくだけど、これがお姉ちゃんの手に渡った理由は、誰かが探したり、持ち出したりしたからじゃない。
私がこの遺書を読んでいたあの日、机の上には、一冊の漫画があった。
それはお姉ちゃんが借りていった、あの漫画。
そう――あのとき、うっかり漫画の間に挟んでしまい、紛失して、それがお姉ちゃんの手に――
瞳を閉じれば思い出す、私がこの遺書に記した、割と痛めなセンテンスの数々。
「ぐわああああぁぁーーーっ!」
あまりに、あまりにダメージが大きすぎる。
転げ回りたいぐらい胸が痛かった。
というか実際に転げ回った。
そうじゃないと、この気持ちを整理できそうになかった。
ああ――ほんと、こんな怪文書が、なぜ存在してしまったのか。
絶対に、誰も見ないほうがいいと思うし、見る機会があっても流し読みするべきだと思う。
だって、死ぬつもりの人間が吐き出した呪いって……包み込むものがないから、正直すぎるんだもん。
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