第8話

 今日は私の十五歳の誕生日。

 朝から乙女ゲームのことを思い出し、倒れていたせいでちょっとバタついているが、国王との謁見には問題なさそうだ。

 この国は十五歳を成人と定め、さまざまな権利が与えられる。

 私はその第一歩として、まずは父である国王へと挨拶をし、そこから儀式などをする予定だ。

 これから国王に謁見するわけだが――


「陛下は私を覚えいてるかな……」


 ――私の記憶に、父である国王の姿はない。


 支度を終えた侍女たちは部屋を去り、今はルータスと二人きりだ。

 まだ家をたつには早い。

 ソファへと座り、思わず呟く。すると、ルータスが近づき、私の前へと跪いた。


「覚えていらっしゃいます」

「……みんな、そう言うけど、でも一度も会ったことがないんだよ?」

「生まれたときにお会いしていますので、一度は会っていますね」

「……一度だけ、ね」


 ルータスの優しい声を聞きながらも、私の心は晴れない。

 私が暮らしているのは、王宮から離れた離宮である。

 この国でもっとも栄えている王都。そこに王宮が建っている。

 王都は王宮の南側にあり、北側には森が広がっていた。森は一般人の侵入が固く禁じられでいる。離宮はその森の中にひっそりと佇んでいた。

 王宮に住んでいる国王が来れない距離ではないはずだが、国王の訪れはない。


「陛下は……私を恨んでいる?」


 ちゃんと答えを聞きたくて、ルータスの水色の瞳を見つめる。

 これはきっと、謁見の前に知っておくべきことなのだ。


「私を産み、体が弱った王妃様は亡くなってしまったんだよね。そのせいで……」


 国王と王妃はとても仲が良かったと侍女に聞いたことがある。

 そして、私を産んだあと、王妃である母は体調を崩し、亡くなってしまったことも……。

 幼い私の世界は離宮と森。そして、ルータスと侍女たちしかいない。生まれたときからそうだったから、疑問に思ったことはなかった。

 でも、ある日、絵本を読み、子どもには「父と母」がいることを知ったのだ、

 世界は「ルータスとほかの人」でできているわけではないと気づいた私の衝撃たるや……。

 私の世界は絵本とは違った。

 父とは会ったことがなく、母は亡くなってしまった。衣食住に困ることはないが、ルータスと侍女以外の人間と交流を持ったことはない。

 それが一般的ではないのだろうと気づいたのはいつだったか……。


「イリー様。正妃様のことはとても残念なことでした。けれど、それはイリー様のせいではなく、病のせいです」

「うん……」

「陛下は今も新しい妃を娶っておりません。そのため正妃様の位はイリー様のお母様のままなのです。それは――陛下の愛なのだろうと、私は考えております」

「……うん」


 それはわかる。母への愛なのだろう。

 わかるからこそ……怖くなる。

 国王が愛していた王妃。その体調を崩す原因となった私。何度考えても、心の奥がズキズキと痛むのだ。

 この痛みを国王も持っていたら……。その痛みの原因の私を恨むのではないだろうか。

 そして――



***



 ――目の前には、きれいな金色の髪がさらさらと揺れていた。


「……イリエラクシェル」


 低く威厳のある声。紫色の瞳は冷たく私を見下ろしていた。

 発せられる威圧感を受け、体がガタガタと震える。

 初めて会った父。国王であるジュリウス・シズ・エズランオは手に短剣を握っていた。


「これがわかるか? イリエラクシェル」

「い、いえ……」

「これはな、我が愛する王妃が携えていた守り刀だ」


 短剣が鞘から抜かれる。

 冷たい刀身がピタリと頬に当てられた。


「【春の力】は受け継がれる。お前である必要はないのだ」


 その言葉に私ははくはくと浅い息を繰り返した。

 そう。【春の力】は巡る、息吹の力。私一人が死んだとしても、失われるものではない。

 この国に暖かな気候と豊かな恵みをもたらす力。……王族の女性がいれば、私が保持者である必要はないのだ。


「もう次の後継者は見繕ってある。成人になるまではお前でよかったが、これからはお前が邪魔になるだろう」

「わ、わたしは……陛下の邪魔になるようなことは……いたしません」


 必死で声を紡ぐ。

 成人の儀を終える前の私であれば、離宮に引きこもっているだけだ。だから、生を許されていたのだろう。

 そして――もう許されない。

 成人となり、自分の意思で行動を起こせるようになれば、父の意見に反対することもできるからだ。

 春の王女である、と国民や周辺諸国へ知れ渡れば、私の力は強くなる。

 父はそれを懸念して――


「陛下は名王であるとお聞きしております。だとすれば、私が陛下に異を申すことなどあるでしょうか」


 体の震えを抑え、陛下の紫色の瞳を見つめる。

 そして、その瞬間、「あ、だめだ」と思った。

 この目は……。この色は……。


「お前の言葉は聞いてない」


 ――私の運命は、最初から決まっていたのだ。


「王妃を殺したお前は、生まれる前から必要なかった」


 国王はそう言うと、私の頬から刀身を離した。

 冷たい刀身は消えたのに、頬には次から次へと冷たいものが流れていく。

 私の目からあふれた涙が、頬を伝い、床へとはらはらと落ちた。


「――やれ、ルータス」


 命じられたルータスが短剣を受け取る。

 その短剣は私のお腹に――


 DEAD No.3『存在の否定』



 ***


「ひん!」


 そこまで想像して、私は思わず声を上げた。

 死んだ。これだ。死因これだー!


「ルータス……、私……!」


 焦って、ルータスにぎゅうっと抱きつく。


「イリー様」


 頭を抱えられるような体勢になったルータスが困惑した声を上げているが、今はそれどころではない。

 私は今、これからの未来がわかってしまったのだ……!

 なぜ、攻略対象者が私を殺したのか。それは――


 ――この国の最高権力者である国王に頼まれたから。


 これだろう。

 もしかしたら……ルータスならば、私を殺さないかもしれない、とも思う。国王に頼まれたとしても……私のことを守ってくれるのではないか、という甘い願望が私の胸の奥に生まれているのは間違いない。

 だが、もしルータスが父の命令を聞かなかったとして、ほかの三人の攻略対象者は父の命令を聞くだろう。

 私の死因。それは父からの好感度不足……。


「もっと……幼いころに会えていたら……」


 幼児の魅力で父に溺愛される道……。あれが、あれがあれば……。やり直せたならば……!

 悔やむ。自分のぽわぽわさに……!

 父に会えないのかー。まあいいかーととくに不自由も不安も悲しみもなく過ごしてしまった……!

 絵本とは違う暮らしだったが、快適に暮らしてしまった……! 父に会いたいとかもあまり思わなかった……!


「イリー様は、陛下にお会いできず、苦しい思いをしていたのですか?」

「ううん。楽しく過ごしてしまっていた」


 すごく。


「そ、うですか……っ」


 私の答えを聞き、なぜかルータスの肩が揺れる。

 ……笑ってる。笑ってるね……!


「ルータスっ、私は真剣に……!」

「はい、申し訳ありません。ただ――うれしくて」

「……うれしい?」


 今、うれしいところあったかな? 父に恨まれて死にそうだなって私は思ってるけど……。

 ルータスの頭を抱きしめていた手をすこし緩め、じとりとルータスを見つめる。

 するとルータスの頬を染め、水色の瞳を幸せそうにとろけさせていた。


「イリー様が、陛下のことを気にせず、楽しく暮らせたのならば、私にとってこれほどうれしいことはありません」

「そう……」


 ルータスが本当にうれしそうで……。それ以上なにかを言うのをやめる。

 ルータスは私の髪にそっと触れ、撫でた。


「陛下にお会いすれば、すぐに不安はなくなります」

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