第7話

「もう……いや……」


 気づけば、私はそう口に出していた。

 震える私の体。その体を抱きしめてくれる力強い腕。いつも私を守ってくれる、私の騎士、ルータスだ。

 そっと見上げれば、整った顔にいくつもの赤い筋が流れていた。

 これは――血だ。

 もしかしたら、ルータスの血かもしれない。でも、きっと、この赤い筋の持ち主は――


「大丈夫です、イリー様。なにも起こっていません」

「なにも……起こっていない……?」

「はい。イリー様はいつも通りに起床され、朝の支度をしていただけ。大丈夫です。なにも起こっていません」


 ルータスは私の目をまっすぐに見て、言い聞かせるように呟いた。

 ああ……でも、ルータス。あなたのその血の付いた頬は……。私を抱きしめる手についたその血は……。


「侍女が……。ルータス、みんな……は、なぜ……?」


 ルータスのぎらぎらと光る水色の瞳から逃れるように、顔を背ける。

 そこにあったのは――女性の亡骸。

 さっきまで私の支度を手伝ってくれていた侍女たちが、今は物言わぬ死体となっていた。


「イリー様、問題ありません。彼女たちは……すこしだけ道を間違えたのです」

「道を間違えた……」

「はい。……大丈夫です。新しい侍女が見つかるまでは私が支度を手伝います。イリー様が不自由することはありません」


 もう一度ルータスへと視線を戻す。

 ……きれいな笑顔。きっと、本当に問題ないと思っているのだろう。

 三人の侍女が力尽きた手にナイフを握っていることも。そのナイフで私を襲おうとしたことも。……ルータスが即座にそれに気づき、三人を斬り伏せたことも。


「私は……、私がいるから……。私のせいで……」


 三人の侍女。みんな仕事ができる、笑顔が素敵な女性だった。

 でも、私に襲い掛かってきた三人は、普段の表情が嘘のように、怖く、苦しそうな顔で……。

 その表情が私のせいだとすれば……。三人を苦しめたのが私だとするならば……。

 そして――


「ルータスの手……真っ赤だ……」


 私を抱きしめていたルータスの左手を取り、見つめる。

 その手はべっとりと血に塗れていた。


「ルータスの手が……」


 侍女が亡くなったことも悲しい。裏切られ襲われたことも悲しい。

 でも、一番悲しいのは――ルータスの手を血に染めるのが私だということ。

 私がいるから……ルータスは……。


「ルータス……」


 これからずっと、私はこうしていくしかない。

 【春の力】は狙われ、何度も襲われるだろう。

 その度にルータスはその命を曝し、私を助けてくれようとするのだ。手が血に塗れることも厭わず、私のために……。

 そんなのは……もういやだ。


「……ルータス」


 もう……疲れた……。


「――私を殺して」


 私の言葉にルータスは驚かなかった。

 ただひどく悲しい顔をして……。


「……イリー様が望むなら」


 抱きしめられていた体が一瞬ゆるみ――次の瞬間にまたぐっと抱きしめられた。

 お腹に熱が走る。

 ルータスは私の望みを叶えてくれるようだ。


「るーた、す……」


 お腹からドクドクと熱が逃げていくのがわかる。

 なぜだか、痛みはあまり感じなかった。

 ルータスは有能な騎士だから、そういうことも得意なのかもしれない。

 さすが、私の騎士だ。

 最期にルータスの顔を見ようと、朦朧とする意識の中、水色の瞳を探す。

 すると、その瞳は――


「なか、ないで……」


 DEAD No2.『血に塗れた道』



***


 はい、死んだ。はい、次に浮上した死因これだね。


「みんな……裏切ってもいいけど、ルータスの前はダメだからね……」


 調子がよくなりベッドから起きた私は、また侍女たちに支度を手伝ってもらっていた。

 鏡越しに見る彼女たちはいつも通り。

 思わず、ルータスの危険性を伝えると、支度をしていた三人はお互いに目を合わせた。

 そして、三人合わせて、フフッと笑う。


「またお一人で考えごとですか?」

「イリエラクシェル様は昔から、想像の世界へと旅立つのがお好きでしたね」

「楽しいお話ですか?」


 優しい眼差し。明るい声。

 もしこの三人が私を殺す刺客となった場合、私はすごく傷つくと思う。

 みんなには元気に楽しく生きて欲しいよ……! みんなが裏切る想像をしてたなんて、私は最低だ…!

 ひん! と声を上げると、なぜか侍女たちはほっとした顔をした。


「良かった。すっかり元のイリエラクシェル様です」

「裏切るというのは、私たちがイリエラクシェル様を……ということですね」

「それならば、たしかにルータス様の前ではやめておきますね……。それは大変なことが起こったのでしょう」

「みんな、ごめんね……!」

「もったいないお言葉です」

「本当にいつも通りのイリエラクシェル様で安心いたしました」

「はい、これでこそイリエラクシェル様です」

「……みんな?」


 あれ……? 酷い想像をした私も私だけど、そんな私を見て、「いつも通りだーよかったよかったー」と安心するのはちょっと違うような……? あれ? みんな……?

 助けを求めるように、鏡越しにルータスを見る。

 すると、ルータスもこちらを見ていたようで、目が合った。

 その瞳がなぜか悲しそうに見えて――


「ルータス?」


 声をかけると、ルータスは珍しく目をさまよわせた。

 なにか考えごとでもしていたのだろうか。

 はて? と首を傾げると、ルータスはいつもと同じ優しい水色の瞳に戻る。

 その間にも侍女たちはどんどん支度を進めていく。


「今日はついに陛下との謁見です」

「緊張されていて、朝は調子が悪かったのかもしれませんね」

「そうかも……」

「陛下はこれまでイリエラクシェル様にお会いできていませんから、成長した姿をご覧になってお喜びになるでしょうね」

「……そうかな」


 そう! 今日は私の十五歳の誕生日! そして最初のイベント!

 私の父。国王への謁見の日なのだ……!

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