第6話 ルータス視点

 その日のことを今でも鮮明に思い出せる。

 小さな赤ちゃんは私を見て、ふわっとほほ笑んだ。

 そして、その小さな、小さな手を伸ばし、私の人差し指をきゅっと握ったのだ。


「これが……運命なんだね」


 十歳だった私は、自然とその言葉が出た。

 【春の力】を持つ王女。イリエラクシェル・ピア・ファルセ・エズランオ。これが私の『運命』だった。


「必ず……春の騎士になる」


 小さな赤子を……、イリー様を私自身が守るのだ、と。

 振り返ってみれば、そのときまでの私は、まだ努力が足りていなかったと思う。

 春の騎士という、騎士の最高位を目指す気持ちはあったが、必ず春の騎士にならなければいけない、というような、飢餓感はなかった。。

 私が春の騎士を目指したのは、両親に勧められたのがきっかけだ。

 ちょうど私が生まれたころ、前春の王女様は病に伏せ、死期が迫っていたらしい。そのことはすべての国民が知っており、どこか暗い雰囲気が国全体に漂っていたと聞いた。

 ただ、春の王女は消えることはない。

 女神から【春の力】を授けられて以来、この国からそれが失われたことはなかった。

 春の王女が死んだ際の【春の力】の移行は二種類ある。


・春の王女が亡くなったときに、生を得ている王族の女性へ継承される。

・春の王女が亡くなったとき、数日以内に誕生する王族の女性へと継承される。


 これまでの歴史上、ほぼ前者で【春の力】は移行してきた。

 普通に考えて、春の王女の死と、新たな王女の誕生が重なることはあまりないからだろう。

 だが、イリー様はその時点から特別だった。

 前春の王女様が亡くなられたとき、王族の女性たちは、自分こそが春の王女になるのだろう、と待ち構えていたらしい。

 しかし、【春の力】を授かったのはイリー様だった。

 本来ならば、出生まではあと二ヵ月ほどかかるはずだったが、イリー様の母は早くに産気づいた。そして、生まれた赤子には【春の力】が宿っていたのだ。

 私はそんな特別なイリー様の騎士となるべく、それまで以上に努力をした。

 まだ十歳であった私はイリー様と寝食を共にし、昼夜問わず守り、訓練し続けた。幼かったため春の騎士の称号は与えられなかったが、代わりにその称号はずっと空白になっていた。

 そして、五年後。十五になり成人の儀を済ませた私は、ようやく春の騎士としての称号を与えらえることとなった。

 そのことについて、周りが驚いていたのは、今もまだ新しい。

 『赤子の春の王女様は、まだ生きていたのか』と。


 ――春の王女は短命である。


 赤子の春の王女が生まれたと聞いたとき、すべてのものは先が長くないとすぐに感じていたのだろう。

 それは、【春の力】のせいだ。

 死ねば力の継承が行われるという仕組みは、【春の力】が欲しい王族の女性、またそれを自陣に迎えたい勢力からすれば、非常にわかりやすい。

 この国を守り、豊かにし、春をもたらす、女神の力。


 ――欲しければ、春の王女を殺せばいいのだ。


 そうすれば【春の力】は移行する。

 たとえ今、【春の力】を持っていなくとも、【春の力】をもつ王族が自陣にいなくとも。手に入れるまで殺し続ければ、それが叶うかもしれないのだ。

 結果として、王族の女性は短命となり、春の王女となった女性は暗殺されることが多いのがこの国の歴史である。


「『どうして私を殺すの』……か……」


 今朝、イリー様に尋ねられたことを反芻する。

 朝から調子が悪く、倒れてしまったイリー様。目覚めにそれを聞かれたとき、血が沸騰するかと思った。

 これまで、イリー様に死の恐怖を体験させたことはないはずだ。

 穏やかな性質を持つ、本当に春のようなこの王女を守るため、そのようなことを排除してきたのに、と。


「ようやく……ここまできた」


 イリー様は十五歳になられた。ついに成人の儀が行われる。

 これまで隠れるようにして生きてきたイリー様が、ようやく国民の前に姿を現すのだ。

 小さな赤子は弱く、常に狙われていた。

 幸いなことにイリー様の両親は国王と正妃であり、この国でもっとも位が高い。その力が守りとなり、イリー様が今日まで生き延びたのは間違いないだろう。

 厳重に警備し、どこで暮らし、なにをしているか、隠し抜いてきたのだ。

 国民に姿が周知されれば、さすがに暗殺の手は緩む……と考えている。春の王女として地位を固めることで、イリー様は守られる、と。前の春の王女のように、天寿を全うできたなら……。


「……イリー様が笑顔でいてくれるなら」


 あの春のような笑顔がずっとずっと続いてくれれば……。私の運命が微笑んでくれていれば……。


「前世か……」


 突然の話で驚いたが、そういうこともあるかもしれないと思った。イリー様は特別だから。

 そこでもイリー様は亡くなっていたらしい。私はその可能性を否定できなかった。

 血に塗れた春の王女の歴史。イリー様に『死』の匂いが強いことは疑うべくもないからだ。

 そして、イリー様曰く、私がイリー様を殺すこともあるらしい。

 もちろん、私がイリー様を殺すことなどありえないだろう。だが……。だが、それを聞いたとき、一つの可能性が思いついてしまった。


「イリー様自身に頼まれたならば……私は……」


 『もういやだ』と。

 春の王女となり、逃げ隠れることも、命を狙われることも。すべてがいやなのだ、と言われたら……。

 イリー様を守るために、尽くしてきたこの血、これから流れるであろう血に耐えらえないと言われたならば、私は……。


「ルータス?」


 ベッドから身を起こし、侍女を呼び直し、支度を始めたイリー様が鏡越しに私を見る。

 桃色の髪に若葉色の目。大切に守ってきた、私の運命。


 ――どうか、ずっと、私とともに。

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