第3話

「私が……あなたを、……殺す?」


 低く呟かれた言葉と同時に、ベッドのマットレスがぐっと沈み込んだ。

 ぼんやりと見上げたままの瞳をぱちぱちと瞬かせれば、そこには整った顔があって――


「……イリー様。……だれです? そんなことをあなたに吹き込んだのは……」


 ベッドで仰向けになっている私の顔の左右に置かれた腕。曲げられた肘の先の手は優しく私の頬を撫でている。

 黒い前髪が重力で落ち、私の額へとかかっていた。

 そして……。

 優しかった水色の瞳の奥。至近距離にあるそれを見つめれば、ぎらぎらと滾るものが見て取れた。


「あ……えっと……」

「イリー様。大丈夫です。正直におっしゃってください。悪いようにはいたしません」


 さっきまで座っていた騎士……ルータスは、上半身をベッドの上に載せ、私を押し倒すような姿勢になっていた。

 ぼんやりしていた頭が徐々に覚醒してくる。

 ま、まずい……。怒っている……!


「ルータス、ごめんね、違うの」

「違う……とは?」


 優しく、本当に優しく、頬を撫でられる。

 ぎらぎらしていた水色の瞳は、やわらかく細まっている……んだけど。でも……!


「私が……勝手に考えたことなの。……だれか、に、言われたわけじゃなくて……っ」


 あまりにも近い二人の距離。質問されている内容と、ぎらぎらと光った水色の瞳と。すべてが合わさり、胸がどくどくと早く鳴り始める。

 私はそこで、前世の記憶から、目の前の人物の情報を思い出していた。


 ――攻略対象者しかくその一。

 ルータス・マルク。二十五歳。

 黒髪水色の優しげな眼だが、目の奥がぎらぎらしている人物。

 彼は、王女が生まれた日から守護し続けている騎士だ。

 春の王女に仕える騎士は特別であり、春の騎士と呼ばれる。

 ルータスは王女が生まれる前から騎士としての教育と訓練を受け、必ず春の騎士になるのだ、と努力を続けてきた人間である。

 そのため、【春の力】に対して、並々ならぬ情熱があり、春の騎士の立場や役割に執着しているのだ。

 ゲームでは守れなかった春の王女を思い、真剣にヒロインを守ろうとするまっすぐな人という設定だった。

 もう二度と同じ過ちを繰り返さないために、【春の力】を持つヒロインを守るため、男関係を徹底的に排除する騎士だった。


 要は――ぐだぐだに愛する溺愛ヤンデレ。


「イリー様がご自分で考えた……のですか?」


 水色の瞳がぎらぎらと光り出す。

 そして、優しく撫でていたはずの手が、私の頬を掴み――


「ひんっ!」


 ――むぎゅっと摘ままれました。


「『ひん』じゃないですよ……。なぜそんな考えになってしまうのか……。私がこんなに誠心誠意お仕えしているのに、イリー様にそんな疑念を持たれるなんて……」

「ご、ごめん、なひゃ……」


 摘ままれているので、うまく発音できない。

 すると、ルータスはそんな私の顔をじっと見つめて――


「……はぁ。イリー様のその、ぽわぽわした顔を見ていたら、怒りも削げました」

「ほ、ほわほわしちゃ、かお……!」


 ……失礼では! 主に対して失礼では……! 超絶美少女ですけど……!

 むっ! と怒れば、ルータスはもう一度ため息をついてから、元のイスに戻った。

 摘ままれていた頬は解放され、痛みも残っていない。

 私は急いでベッドから上半身を起こし、ルータスを見つめる。

 目が合うと、ルータスはにこっと笑った。


「体調は良くなったようですね」

「あ、そうみたい」


 頭の痛みもないし、今朝からの不調も嘘のよう。


「では、イリー様がなぜ私にそんな疑念を抱いたのか。そのぽわぽわした頭で考えたことを最初から順番に話してください」

「ぽ……ぽわぽわしたあたま……!」


 失礼! むっと怒ったが、ルータスにはまったく効かない。

 それどころか……。


「イリー様。私はあなたが生まれてから、ずっとおそばにおりました。イリー様を裏切ったことは一度もありません。女神に誓って。イリー様もそれはご存じのはず」

「う……うん、ルータスはいつも味方でいてくれた」

「そうです。私はイリー様のことしか考えていません」

「う、うん」

「イリー様と生涯をともにする覚悟です」

「う、ん……」

「それを疑われた気持ち、やるせなさ。イリー様に伝わるでしょうか?」

「……ごめ、ん」


 ピキッて……。こめかみにピキッて青筋が浮いてるのがわかってしまった……。

 怒りは継続しているらしい。笑顔だけれども。水色の瞳は柔らかく細まっているけれども、青筋が……。


「イリー様。私はあなたの騎士です。謝罪はいりません」

「う、ん……」

「ですので」


 笑顔。笑顔だけど、圧。すごい。


「――ご説明を」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る