依頼は突然に

「お願い滝田! 今度の学校祭でドラム叩いて!」


 そう言って滝田聡司たきたさとしの前で手を合わせたのは、聡司と同じクラスの結城紘斗ゆうきひろとだった。

 聡司はそのひょろりと高い背で、紘斗を見下ろした。どことなく赤みかかった茶髪。いつもは活発に動いているはずの目。

 それが今は、必死さを表すようにぎゅっと閉じられている。

 唐突な申し出に、聡司は面食らった。確かに自分は吹奏楽部で打楽器を担当しているが、軽音部には軽音部でドラムをやっている部員がいたはずだ。

 そいつはどうしたんだ、そう思っていると、紘斗が事情を告げてきた。


「いろいろあってさ。ドラム叩けるやつがいなくなっちゃったんだよ。このままじゃ学校祭に出られない! 頼むよ滝田! おまえだけが頼りなんだ!」

「ああ……うん。いいよ」

「ほんと!? ありがとう!!」


 ぱあああっと紘斗の表情が輝いた。よほど困っていたのだろう。吹奏楽部も学校祭でコンサートをやる予定なのだが、目の前でこうも真剣に頼まれると首を横には振りづらかった。


「助かるよー! 今度楽譜持ってくるから! サンキュー! ヒャッホー!」

「えーっと、うん」


 無邪気に喜ぶ紘斗を見て、聡司はあいまいにうなずいた。今さらやっぱりヤダと言うのは、とてもできない雰囲気だ。

 大丈夫だろうか、と不安に思う。

 そんなに期待されるほど自分は上手くないし、なにより他の吹奏楽部の人間の反応が心配だ。

 女子ばかりの吹奏楽部で、ただでさえ肩身の狭い男子部員。

 その中で、果たしてこのダブルヘッダーを了承してもらえるのか。楽しそうな紘斗を見つめながら、聡司は逆に暗い気持ちになった。



「断ってきてください」

「デスヨネー」


 うちでは猫は飼えないから戻してきなさい――そんな感じの断固たる口調で言ったのは、聡司の後輩、貝島優かいじまゆうだった。

 彼女はこの時点で、既に聡司よりも実力が上だった。中学の頃から真面目に練習してきた優は、高校から初心者で始めた聡司よりもはるかに練習量が多かったのである。

 なので先輩にも関わらず、聡司の立場は非常に弱かった。実力が伴っていないので先輩面をしても説得力がない。結果としてこうして、後輩に指導される始末である。

 ひょろっと背の高い聡司が、小動物みたいな優に怒られる様はなんというか――はたから見れば妙に微笑ましいものではあったが、やられている本人としては普通に屈辱的ではある。

 優はぷんすかと怒りながら、聡司を見上げて言った。


「そんな二足のわらじ、履きこなせるんですかっ? 練習できなくてどっちもダメになるなんて、そんなこと許しませんよ!」

「が、がんばればいいんだろ、がんばれば」


 反抗するように聡司は言った。後輩に反抗するというのもまた情けない話だが、完全に立場が逆なのでどうしようもない。

 それに、と、紘斗の裏表のない喜びようを思い出す。

 後輩に怒られる情けない日常。女だらけで気を遣ってなにも言えない吹奏楽部。

 でも軽音部だったら――こんなに肩身の狭い思いをしなくてもいいのではないか。そんな思いが聡司にはあった。

 逃げと言われてもしょうがない。しかしそれだけ、今のこの状況は聡司にとって不満のあるものでもあったのだ。


「こっちも軽音部も、両方がんばるよ。それならいいだろ」

「む……」


 珍しく強く言ってきた聡司に、優は驚いたようだった。口をきゅっと結んで「や……約束ですよ?」と首をかしげる。


「だ、だめですからね、むこうにかかりきりになっちゃ。こっちの練習に支障をきたさない。向こうはあくまでお手伝い。そういうことで――いいですか?」

「ああ。約束する」

「それなら……いいです」


 不承不承といった様子で、優がうなずいた。やった。これでこの気に食わない状況から一時でも抜け出せる。そのとき聡司は、そう思っていた。


 それがこれから起こる一連の騒動の始まりではあったのだが――この時の聡司はそんなこと、考えもしなかった。

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