第三九段 寺町界隈・鍛冶屋町通り
中島川の近くは散歩に最適であるというのは私のエッセイではたびたび登場する話であるが、寺町から鍛冶屋町にかけての一帯もまたのんびりと歩くことができる。
私の父方の祖父母の墓はこの地に眠っているのだが、手を合わせて頭を垂れて後に一人で歩くというのは寂寥感以上に自分の中に流れる血や歴史というものが確と感じられてよい。
ただ、その思いが大きく変わったのが二年前の晩秋であった。
夕暮れの頃に崇福寺通りから寺町に進み、晧台寺の手前で中島川に身体を向ける。
闇が少しずつ夕焼けを蝕み、逢魔が時の形容に相応しい禍々しさを湛える。
ただ、その景色はどこか情景めいており、私の中で何か消化できないものが渦巻くのを感じていた。
その正体に中通り商店街を歩きながら気付く。その刹那、鐘が鳴った。
夕闇や 長崎に告ぐ 鐘一つ
拙著「長崎の晩餐」の発句である。
老境に差し掛かった町の在り方がかほどに寂しいものかと驚かされたものである。
実際には、商店街に子供が一人遊んでいたのだが、そもそもが老人の多い地域ではあったのだが、それを差し引いても老人の占める割合が高い街並みに強い不安を感じずにはいられなかった。
とはいえ、鍛冶屋町の通りは裏まで含めて自然と歩く速さが緩やかになる。
決して、急な坂が多いわけではない。全くないわけではないのだが、この程度の勾配を坂とは言わない。
このあたりを強かに飲んだ後で歩き回ると秋風が非常に心地よい。
この通り沿いに贔屓としているバーがあるのだが、その味の懐かしさはひとしおである。
そして、元は長崎の台所と心の安寧を支えたと自負を見せる堂々たる街並みは安息を齎す。
まだ街の息吹を感じる以上、絶望に安穏と屈しているわけにはいかない。
やがて死ぬ 景色や近く 石畳 拒む壮年 立てる両脚
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