第十五段 風頭山(かざがしら)
昨年は坂本龍馬に注目が集まった年であり、その影響を受けて長崎も幕末探訪を売りにしての観光宣伝が活発に行われた。(作者注:執筆は二〇一一年)
その中でも随一の難所にあるのが亀山社中であり、その更に上が風頭山――かざがしらである。
風頭は長崎のハタ揚げ文化の一翼を担っていたと考えられる場所であり、今でも、『長崎ぶらぶら節』の中に謳われている。
しかし、その実際は開発の進行によって様変わりしているようであり、長崎を囲む単なる斜面の一部と化してしまっている。
ホテルと短期大学の存在もその表れであろう。
それでも、中腹には家庭菜園を営む古い一軒家が立ち並んでおり、長崎の斜面文化の一翼は辛うじて担っている。
ただ、長崎にとって今の風頭山が持つ最大の意義は花見の名所としての存在である。
注意が必要であるのでは、あくまでも『花見』の名所であり、花と絶景を味わうための場所ではなく、桜を通して宴を成し、そのひと時を楽しむ場所である。
とはいえ、花の持つ美しさは微塵も味わうことができないなどということはなく、夜桜と飾られた街の対比は長崎でも有数の眺望である。
だが、それ以上に美しいのは曙の桜であり、
一刻に 千金ずつを 敷き詰めて 六万両の 春の曙
という狂歌に掛け値なしの賛同を与えずにはいられないほどである。
そして、私にとっての風頭山は遠足の地であり、同時に、寂寥の地であった。
幼少の頃、ここを訪ねるのは葉桜の頃、遠足によってであり、級友のざわめきと移り行く季節の『匂い』との対比がいかにも象徴的であった。
毛虫に嫌悪感を覚えることもあった。
しかし、それ以上にこの両者につくかを悩んだ。
私はいずれか、未だに悩むことがある。
行く春や 銅たる志士も 寂しげに 来るべき春を 知らぬ子を見る
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