第十四段 茂木
長崎の県産品で最も有名なものといえば恐らく枇杷であり、故に、長崎といえば茂木という名前を思い出す方は多いことであろう。
しかし、私にとっての茂木は港町としての印象が強く、釣りと船との関わりの方が大きい。
一応は収穫期に訪れたこともあるのであるが、後述する海の遠景を思い出すばかりである。
茂木は田上を越えた先にあり、歪曲を重ねた道とその名に恥じない木々を抜けて、初めてその世界を拝むことができる。
険しい道のりの先にあるのは海。
春の最中であれば蒼も朧。
下手をすれば全てを海鳥の声に誘われてしまいそうで、それでも、潮風の淋しげな様子に引き止められる。
それが、この土地である。
このように、私は茂木という場に対して幻想的な印象を持っているが、これは今に始まったことではない。
既述のことであるが、子供の頃の私にとって田上が『地の果て』であり、その先に控えていた茂木は一種の幻想郷であった。
それでも、長崎の一部として現実世界に組み入れていたのは木々と海のおかげであり、木々の抜け道が海という『長崎の出口』へと連れてゆくものだと思っていた。
長崎にとっての海は玄関であり、その先は異郷、であった。
そして、茂木を現実として私に印象付けたものがもう一つある。
まだ幼い頃、父に連れられて茂木に行った。
川に糸を垂らし、待った。
潮の薫りが穏やかに鼻先を通る中、一尾の鯊が父の竿にかかり、やがて死を迎えた。
この生こそが現実であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
陽光の下に揺らめく川面はどこか切なく、子供心に無常を感じただけである。
連綿と 流れる水は 川を行き 海へ空へと やがて我が身へ
是非はない。
ただ、帰る前に見た海は果てしなく揺らぎ続けていた。
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