第3話 車が飛べば、馬も跳ぶ。

 チサの住む地域には総合病院があった。通う学校とはまた別方向に位置する。その病院の一室で、チサは父である霧崎きりさきトシゾウをじいっとにらんでいた。彼は大部屋で入院していたが、現在は珍しく父以外病室に誰もいなかった。トシゾウは娘の視線に反応せずに新聞を読んでいるが、わざと気づかないふりをしているのが明らかであった。

「父ちゃん、もう一度言うね。それ、本当に何があったの?」

 ギプスでしっかり固定された両足を指差しながら、チサは父に聞いてみた。が、「骨折ってやっぱ痛いよなー」と的外れな言葉しか返ってこない。

 小さな溜息が出る。バレバレに怪しい態度を取ってまで、自分に隠し続けたいのか。呆れ反面、彼から娘を何かから守りたい親心を感じ、チサは複雑な心境だった。


「菅山キョーコさんに会ったよ。あと、隼聖っていう人にも」

 

 覚悟を決め、チサは父に告げると。彼は見ていた新聞を横に放り投げ、目や口を大きく開いた。

「マジか」

「うん。マジ。なんか私、”星”をまとう女らしいよ」

「なんだそれ」

「あれ?父ちゃんは知らないの?菅山さんが言ってたんだけど、なんか魔女の息子と”星”をまとう女の絆で魔女が復活するらしいよ」

「…絆って…。つまりアレとコレしてソレができるってことだろ…」

 ぶつぶつ呟いた後、トシゾウの顔がみるみる青ざめていった。「うそん…」と父はかすれた声で呟いたが、「うそじゃないんだな、それが」とチサは返しておく。ここから本題。

「まだ信じきれないけど…ヤバい魔女が来て、世界を滅ぼそうとしたのって本当なの?」

 彼はもう娘には隠し切れないと思ったのか、がっくりと頭を下げ、口を開いた。

「…2ヶ月ほど前か。その魔女とキョーコちゃん達に出くわしてな。なんやかんやで彼女達に協力することになった。俺がおとりになることで、奴を滅するチャンスを作った。俺はそれで死んだと思ったんだが…」

 トシゾウの視線が両足に向く。

「なぜか足の骨折ですんでんだよなあ?」

 彼の首が思い切り横に傾いた。

「確か両手両足ちぎれちゃったと思うんだけど?なあ?」

「へ…変なこといわないでよ!」

 父の死に様を想像してしまい、チサは叫んでしまった。彼は生きてるのに、もしもと考えてしまうだけで涙が浮かんでくる。

「どれだけ人が心配したか…!今までなんにも話してくれなかったし。ただ死ぬ死ぬばっか言い続けて!」

「…悪かった。心配かけて、ごめんな」

 トシゾウの手が、チサの頭に優しく触れた。チサは涙を耐え切れず、父のそばに寄って、小さく嗚咽おえつを漏らした。



 チサの心が落ち着き、トシゾウから少し距離を取る。そして2つ目の気になることを聞いてみた。

「隼聖さんに、魔女の息子に狙われてるから死ぬなって言われたんだけど。気をつけて暮らしてたら大丈夫だよね?だって別の世界にいるんでしょ、その息子」

 チサの問いに、トシゾウが大きく首を横に振った。

「いや、駄目だな。隼聖君によると、そいつは俺達の世界にも干渉できるほど強い力を持つらしい。異次元からお前を殺すことも出来るはずだ」

「でも…もし死んでも、その世界に行くとは限らないでしょ?」

「おそらくお前が死ぬと同時に、奴は魂をさらう。すぐにでも年頃の女性に魂を入れ込むだろうな。そして無理矢理…」

 トシゾウの体がぶるぶると震える。娘の危機に怒りが湧き出たのだろうか。チサは父に手を伸ばしかけると。

「…初対面の男と不純異性交遊するなんて!父ちゃん許しませんよ!」

 わざとらしい涙目で、ずれた発言をする父を見て、チサはすっと手を戻した。



 「娘の貞操の危機がー」と泣きわめく父を適当になだめた後。外がそろそろ暗くなってきたので、チサは病院を後にすることにした。病室を出る際、父の「ちゃんと護衛つけてもらえよー」という声に「菅山さんにまた聞いてみるよ」と返しておく。

 帰宅途中、あと1つ聞くことを忘れてたことに気づき、チサは足を止めた。

「…緑の馬のことについて聞くの忘れてた」

 父のことで頭がいっぱいだったので、すっかり忘れていた。緑の馬は敵か味方か気になっていた。思い切り蹴られたはずなので、魔女の息子の刺客だと思ったこともあったが、体は何ともないので断定は出来ない。バスを乗り継いで病院まで戻るのは手間であり、さらに今日は学校の授業が終わり次第すぐに病院に向かったため、チサの体は疲労を訴えていた。

 明日こそは菅山キョーコか父に尋ねてみようと思い、チサは再び足を自宅へと動かした。

 

 翌日。不思議なことが起き続けたせいか、チサはよく寝れなかった。眠い目をこすりながら学校へ向かう。バスに座れたら、しばらく目を閉じて休もうと考えた。

 バスの停留場はもう目の前であった。ふと、チサの足元に何かが転がってきて、靴にコツンとぶつかった。

「小石…?」

 急に現れた石に疑問を感じた。顔を上げると、前方から大きなタイヤが転がってきくるのに気づいた。

「え?なんで?」

 こっちに真っ直ぐ向かってくるタイヤを慌ててチサは避ける。そして次の物体を目にした瞬間、愕然がくぜんとなった。

 車が上空を飛んでた。薄汚れた白の普通車が、右前方の空からギュルルと音をたててこちらに向かってくる。

「えええええ…」

 一度空中に浮かんだまま車は動きを止め、プスンと音を立てた。狙いを定めるかのように、ギギギとやや左斜め下に車体を傾けた。

 言うまでもなく、自分を狙っている。チサはどこか逃れる場所はないかと辺りを見回す。車が再びギュルルンとエンジン音を立てた時。慌てて公園のドームの中へと走った。

 間一髪。チサがドームの奥へと逃げ込んだ時に、衝撃音を立てて車が入り口にぶつかってきた。幸いチサが居るところまでは入りきれず無事ではあったが、その場から逃げられもしなかった。

 硬い遊具にぶつかって、ボンネットがひしゃげていても車は動きを止めなかった。グワン、グワンとドームの奥へと入り込もうとしている。時々ぼたぼたとよだれのように、車から液体がこぼれ落ちている。古ぼけたガソリンの臭いに、何度もチサはむせ返った。舞い上がる粉塵ふんじんも加わり、まともに息が出来ない。

 チサは全身から汗がき出した。どうにかしたいのに、どうすることもできない状況。足元が震え、涙で目がかすんだ。

 急に車が動きを止め、再びプスンと音が鳴った。どうしたのだろうと、チサが息を飲んだ時。車が後ろへ急発進し、止まり、向きを整えていた。

 運転席には、誰も乗っていないのに。

 チサが「もしかして…」と呟く時には、気づくのが遅すぎた。例の魔女の息子が、自分を殺そうとしているのだと。

 今にもスクラップになりそうな車が、ギュオオオオ…と今まで一番大きな音を立てた。間違いない。最大限の力を発して、こちらへ向かおうとしているのだ。たとえドームの中に車が入りきらなくても、ぶつかることで爆発するだろう。そうなればドームの中の自分は死ぬに違いない。

 チサの頭の中で死の恐怖が渦巻いた。一瞬、父やレンゲの顔が浮かぶ。これでお別れ?ううん。絶対、嫌だ。死んだら諦めるけど、死ぬまで諦めたくない!

 ごくりと唾を飲む。

「う…うわああああああああああっ!!!」

 チサは叫び声を上げ、気合を入れた。

 ギッと車を睨み、ドーム入口へと走った。上手く体に力が入らず、速く進むことが出来なかった。だがドームの中でただ死を待つより、車がぶつかるより早くドームから出て逃げ切ることにけたかった。


 車がせまってくる。逃げたい。生きたい。

 

 わずかな外の光に向かって、チサが手を伸ばした時。




「私が馬なら。あなたはまるでいのししですね」




 天から。声が聞こえた気がした。

 あと少しでドームの入口にぶつかろうとしていた車が、横方向に軽くすっ飛んだ。車は公園のしげみにぶつかり、メキメキと音を立てた。

「あ…」

 ドームの外へ出て、チサは茂みにからまって動けずにいる車を見て呆気あっけに取られた。そして、前方へと視線を移すと。チサの顔が引きつった。

「みどりの…馬」

 体の色が青緑で、頭に枝のような角が1本生えた馬が、ブルルと声を出して立っていた。馬の目が、車からチサの方へと向き変わった。

 自分をったはずの緑の馬。

 なのに。のはなぜだろう?

 馬がこちらに近づいてきた。また蹴られるのではと思い、チサは一歩後ずさった。

 逃げたいのに、力がうまく入らない。驚くことが起きすぎて、体が状況についていけない。それでもかかとを後ろ後ろへと移動させた。馬がチサの様子を見て息を吐いた。

「…ご心配なく。今日は間違っても蹴りはしませんよ。一応はあなたの味方ですから」

 チサの眉間みけんしわが寄った。感覚が麻痺まひしてしまったのか「馬がしゃべった」、なんてベタな言葉を言いたくなかった。

「さて。さっさと私に乗ってください。車がまた襲う前に逃げますよ。アレはあなたがいる限り、ちりになるまで動きますから」

 馬がちょいちょいと前足でチサを手招きする。

 車がまたブルブルと音を出し始めたので、チサは慌てて馬のそばに駆け寄る。

「………」

 チサは動きをピタッと止めた。急いで馬に乗ろうと思ったが、乗り方が分からない。とりあえず両手を伸ばして背につかまるが、乗れない。

「ああもう。手間がかかる人ですね」

 馬がひざを曲げて背を低くした。なんとかまたがる。

「手足を使って、どうにしっかりつかまってください。間違っても首に触れないでくださいね。振り落としますから」

 馬に蹴られるのも振り落とされるのも嫌なので、どうにか手足に力を入れて掴まる。それを見計らって、馬が空高く飛んだ。

「………つっ!!」

 一気に高い空へと上がった衝撃に、チサは息を詰まらせた。馬は上空で一旦動きを止め、チサに再び釘を刺した。

「静かにしてれば、私達の姿は見えません。くれぐれもうるさくしないでくださいね」

 あれこれとうるさい声に、なんだか聞き覚えがあるなあとチサは感じた。



 馬が空を走り続けている。

 どこへ向かうのだろう。チサはぎゅっと馬に掴まりながら、ぼんやり考えた。顔は左真横に向いていて、動かすことが出来なかった。ほぼ空しか見えず、今どこにいるかも分からない。

 今日は学校サボり扱いだろうな。レンゲちゃん、心配してるかな。と、現実的な心配が出てくる。ただ、車の音はもう聞こえなかったので、逃げ切れただけで一安心だった。

 それに、冷たい声とは裏腹に馬の背は温かかった。



「着きましたよ」

 しばらくして馬の動きが止まり、声が聞こえた。チサは少し顔を上げた。

 まだ空の上だった。

「降ります」

 ここはどこ、とチサが聞く暇もなく馬が地面へと急降下した。危うく舌をむところであった。

 とん、と馬が軽く降り立った所は森の中のようであった。若々しい木々が、チサ達を囲んでいる。「さっさと降りて下さい」とうながされ、チサはどうにか地面に足を付け、立つ。体がふわふわと浮く感じがした。

「あの…ここはどこですか?」

 この馬からしてまともな返事は来ないだろうなと思いつつも、一応聞いてみる。

「………」

 案の定。馬は口を閉ざし、そっぽを向いている。腹は立つが、襲う車から助けてくれた命の恩人でもある。チサは大人になることにした。

 馬に向かって、深々とお辞儀じぎをする。

「さっきは、助けて頂きありがとうございました。嬉しかったです。私、霧崎きりさきと言います。良かったら日を改めてお礼をさせてください。ではさようなら」

 こういうのは礼を言って、さっさと去るのが一番だ。どこに森の出口があるのか分からないが、なんとかするしかないだろう。命があるだけ大満足だ。

 チサは顔を上げ、一歩を踏み出す。

「動かないでください。チサ」

 馬に自分の名を呼ばれ、ぎょっとなった。馬がひょいと木の後ろに隠れる。数秒後。その隠れたはずの木から、緑の長い髪をし目鼻立ちが整った青年が現れた。彼は四角の眼鏡をかけ、僧侶のような服を着ていた。チサの目が大きく丸くなる。

「あれ?もしかして、緑の馬…さんですか?」

 青年にあきれ顔で大きな溜息をつかれた。

水仙すいせんと呼んでください」

「え、と。水仙…さん」

 水仙は満足げにうなずいた後、チサのすぐ隣まで移動した。

「さて、さっさとついてきて下さい。あなたの味方のところまで案内します。くれぐれも私の傍から離れないでくださいね。一応はあなたの護衛ごえいなんですから。それと、静かにしていてくださいね」

 人の姿になったら余計にうるさくなったなあと、チサは横を歩く水仙を見ながら思った。

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