第2話 イケメンから不死のお願い
緑の馬に蹴られた翌日。朝起きてチサは体中に手を当て、何ともないことを確認する。やっぱり、昨日の出来事はリアルな夢だったのだろう。道路に突っ立ったまま眠ってしまったに違いない。最近ドタバタしてたし、疲れがたまってたんだとチサは思うことにした。
学校へ行く準備をし、仏間に行って仏壇に手を合わせた。仏壇では、優しく微笑む母と豪快な笑顔の父の写真が並んでいる。
「………。いい加減に移さないとね」
父の写真を仏壇から居間の戸棚の上に移す。チサの父は1週間前に両足骨折し、現在入院中である。数ヶ月前から、父は「すまん。俺死んでしまうわ」とチサに告げていた。
彼の勘はよく当たるものの、いつまでたっても彼は普通で元気であった。最近では、チサは父の訴えを半分冗談だと思って聞いていた。だが、父が骨折したことで只事ではないと分かり、両足包帯ぐるぐる巻きの彼に問いただした。でも。
父は「おっかしいなー。死んだはずだったんだが…」と首を傾げて呟いた以外、何も話してくれなかった。チサは父に対し激怒した。同時に、彼の生存に安堵もしたが。
あの時ほど、自分の心を動かしたことは無い。因みに、父の写真を仏壇に置いたのはチサではなく、「父ちゃんもうすぐ死ぬからな」としみじみ言った父本人である。
チサは改めて仏壇に向かい、写真の母達に挨拶する。
「母さん、ご先祖様。行ってきます」
外に出て、家の隣にある寺に目を向ける。いずれは、法師である父が戻る場所。
「そろそろ掃除しなきゃね」
もう、心が大きく動かされることは無いと思ったのに。昨日は何事も無かったはずなのに。昨日の夢のせいで心がやけに落ち着かないので、帰宅後は道場の掃除で気を紛らわそうとチサは思った。
学校到着後。先生や生徒に「ねえ、あなた馬に蹴られてなかった?」と聞かれることは無かった。やっぱり夢だったんだなと、チサは少し安心する。
「あ。おはよう、レンゲちゃん」
廊下にて仲の良いクラスメイトの後ろ姿を見つけ、声をかけた。その声に、三つ編みおさげの女の子が反応する。
「よ。おはよーさん、チサっち」
ずれた眼鏡を中指で押し上げながら、
「今日の現国、レンゲちゃんからだったよね」
チサの問いにレンゲが大きな溜息をついた。
「そうなんだなー。あーあ、人前で音読ってめんどくさ。昨日あんまり寝てないから、ほんとだるいわ」
レンゲが愚痴に続いてあくびもしたので、チサは軽く笑った。
「昨日は久々に夜も晴れてたもんね。星、綺麗に見えた?」
チサの言葉に、先程とうってかわってレンゲの目が輝く。
「めっちゃ綺麗だった!部活も久々に本題に入れて盛り上がったし!一昨日までは、ほとんどババ抜き大会部になってたからなあ…」
レンゲは天文学部であった。1日中雨の時期が2ヶ月近く続いていたので、彼女はヤキモキしてたという。
「今夜も晴れだし、楽しみだね」
「おう!」
レンゲが笑顔でうなづいた後、急に真顔になった。
「レンゲちゃん?」
「あの、チサっち。その、もし何かあったら。夜でもうちに遠慮なく連絡してな」
レンゲが心配そうな目で自分を見ていることで、チサは彼女が何を言いたいのか分かった。
「ありがと。しばらくでも一人暮らしはやっぱり怖いしね」
「おじさん早く退院できるといいよな」
「うん」
レンゲに気を使われてることに、申し訳なさを感じた。彼女の励ましに大きくうなずいた後、チサは次の話題を頭の中で探し始めた。
日中は滞りなく過ぎていった。
放課後。寝てすっかり元気になったレンゲと別れたチサは、自宅へと向かった。バスを降りた後も、またぼーっとして馬はなくても車などにぶつかることが無いよう、前を向いて歩く。
ふと、先程別れた時のレンゲの後ろ姿が頭に浮かんだ。彼女が活き活きと部活に向かう姿が、チサには羨ましかった。何かに熱中したい自分がいたが、父が退院するまで大人しく過ごそうという自分もいる。平穏がまた続くというだけで、今は満足だった。
せめて帰宅後は、寺の掃除に熱中しようとチサは思った。父が家に帰って、いつでも寺の務めが再開できるよう、綺麗に保たなければ。
小さな決意が、心の中に宿る。
チサは前をしっかり見続けながら、やや速足で道を進んだ。
自宅に着くと、寺の前に人の後ろ姿が2つあった。1人はチサと同じ制服を着た、黒髪ロングの色白少女。もう1人は私服を着て、浅黒い肌で蒼い髪の背の高い男性だった。
「あれ?」
チサは少女の方に見覚えがあった。一時期不登校と噂になった生徒、
「え、と。菅山さん…?」
チサはおそるおそる2人に向かって声をかけてみる。少女が声に反応して、こちらを振り向いた。少女の髪が、綺麗になびく。
「君は同じ高校の…」
凛とした瞳がチサを貫いた。ただの女子高生とは思えないほどの気高さをキョーコに感じ、思わず後ずさってしまう。彼女がチサの頭からつま先まですみずみと見る。
「
顎に手を当てながらキョーコが男性に問いかけると、
「失礼する。お嬢さん」
端正な顔立ちの彼がずいとチサの傍に寄り、顔をチサの首筋に近づけ、すんと鼻を鳴らす。
「えええええっ」
身の覚えがある鳥肌が、チサの全身を駆け巡った。青年に体の匂いをかがれたことなど今まで無いはずなのに、既視をもの凄く感じてしまう。
チサの体がぶるぶる震えてるにも関わらず、隼聖は顔色一つ変えずにキョーコに告げた。
「間違いない。
彼の言葉に、キョーコが「りょ」とうなずき、チサの手首を優しく掴んだ。
「では霧崎チサ君。君に大事な話しがあるから、顔を貸してくれないか」
いいえ、と言わせないキョーコの堂々たる声と風格。思わずチサは「はあ」と、了承と取られる返事をしてしまった。
先程の隼聖の言葉―「ほし」とは。昔のドラマでいう
「君は霧崎法師の娘なんだな。なら、話は少し短く出来るな」
チサの入れたお茶を一口飲んだ後、キョーコは戸棚に置いてある写真を見て言った。
「話って。父ちゃ…父の骨折と何か関係あるの?」
チサの疑問に対し、キョーコが隼聖に一度目を向けた後、チサを見て「関係はある」と答えた。キョーコが再度、彼に視線を送る。
「隼聖君。元は君達が起こしたことだ。説明は僕ではなく、君がするべきだ」
隼聖がその言葉に大きくうなずき、今度は彼がチサを真っ直ぐ見た。
「まずは俺について話そう。俺の名は
「………」
「頭を抱えているがどうした?痛むのか?」
「と、とりあえず話を続けてください」
「分かった。鈴国に、強力な力を持つ魔女が襲いかかってきた。そいつをキョーコや俺の仲間と協力し、なんとか封印することに成功した」
「…………………」
「…顔がもの凄く歪んでいるな。俺達の世界の痛みを感じて悲しんでくれてるのか。優しいな、君は。大丈夫か?」
「…話を最後まで、どうぞ」
「ああ。だが、その魔女は異世界転移をして君達の世界に降臨した。君達の世界を魔所が滅ぼそうとした時、霧崎法師達が俺達と協力し、魔女を滅することに成功したんだ」
「………。ハッピーエンドで、良かったですね…」
「そう言ってくれるとは!改めて、君達の世界を助けられて良かったよ」
隼聖のきりりとした目がキラキラしている。チサが「さてどうしたもんか」と額に手を当てた時、キョーコの「くくっ」という笑い声が聞こえた。
「どうした、キョーコ」
隼聖が疑いを知らない
「いや。笑って悪かった。君達のやり取りが思ったより面白くてな。しかし霧崎君。残念ながら、まだエンドではないんだよ」
キョーコの瞳が静かに光る。彼女の言葉がゆっくりと続いた。
「魔女は滅する直前に予言したんだ」
―我は転生する。我が息子。星をまといし女。その絆から我は再び降臨し、世界を滅するだろう―
「隼聖君が住む世界の人々は、我々と異なり魂の匂いを嗅ぐことが出来るらしい」
隼聖がキョーコの言葉にうなずくと、チサに真剣な眼差しと声を送った。
「星をまといしとは、星の匂いがする魂であり唯一の者。その魂は、霧崎さん。君のことだ」
隼聖がチサに向かって深く頭を下げた。
「霧崎さん。君には悪いが、俺達の世界に絶対に来ないでくれ!君が死んで転生し、君と魔女の息子が結ばれてしまったら、世界が滅んでしまう」
これは、一応は了承しておいた方がいいんだろうなとチサは感じた。彼が安心するよう、深くうなずいておく。
「ありがとう!では君は、しばらくの間絶対に死なないでくれ。もちろん、君には終始護衛をつけよう」
さすがに護衛はいらないので、チサは「いえいえおかまいなく」と首を横に振った。隼聖が「なぜだ!?」と口を開いた時。
「…隼聖君。話は終わった」
キョーコの凛とした声が、居間に響いた。彼と、思わずチサまでが彼女を見る。
「一旦、我々はお
キョーコが立ち上がり、チサに軽く頭を下げた。
「話に付き合って頂くどころか、美味しいお茶もご馳走になり、ありがとう」
そして、彼女はにやりと笑った。
「なあ、霧崎君。僕は、君の持つ不信感が痛いほど分かるよ。人は百聞より一見、ってね…緑の馬に会ったように」
キョーコの含みのある言い方。夢であるはずの「緑の馬」という言葉に、チサは目を丸くした。チサが何故と問う前に、キョーコがさよならを言った。隼聖も「馳走になった。失礼する」と玄関に続く。
ドアの閉まる音が小さく響いた後、不気味なほど長い静寂が始まった。
チサは軽く溜息をつき、空になった2つの湯飲みを片付け始める。
とてもじゃないが、2人の話は信じられない。でも、2人の態度は、ふざけた感じではなかった。そして、緑の馬-。
「今度、父ちゃんを問い詰めてみるか…」
湯飲みを洗いながら、チサはぽつりと呟いた。
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