異界から嫁どり
屋敷ドラ
第1話 少女、未知との遭遇。
久々に晴れた日であった。青空が気持ちいいほどに広がっている。
学校の授業も終わり、帰宅部である
バスが動き出し、チサは窓の景色を見ながら揺れを楽しんだ。いつもと同じデパートや薬局といった店、横に規則的に並ぶ街路樹などが窓に映し出されていく。ふと、1つ前の席に座った生徒達の、きゃいきゃいと話す声が聞こえてくる。隣りのクラスの女子達だった。
「ねえ、
「うん。めっちゃヤバい。イケメン度高すぎ。あんなのどこで捕まえてきたんだろ」
「恋なんて興味ないって感じだったけど。あんな彼氏だと学校どころじゃないよねー」
菅山というのは、この間久し振りに登校してきた
人間誰しも、学校行きたくない日はあるもんなとチサは1人納得する。また登校できて、イケメンの彼氏もできてたなら言うことないだろう。
自宅近くの停留所で降り、足を進める。緑が多い住宅街。前方にある公園からは、子ども達の遊ぶ声が聞こえてきた。
チサは歩きながら、さっきの話が頭の中でふと浮かぶ。
菅山さんの彼氏がもの凄くイケメンって聞こえたけど、どんな感じの人なんだろう。自分もいつか彼氏ができたらいいなあ。「………」
物思いにふけり、気づくと下を向いて歩いていた。これは危ないとチサは顔を上げると。
目の前に緑色の棒みたいなのが迫っていた。
「え」
気づくも避けれず、棒がチサの体を思いっきり宙に飛ばす。
痛みを感じる暇もなく、目の前が真っ暗になった。
ああ。突然死とはこんなものなのかと、とぼけた思いを抱いた後。チサは意識を手放した。
「……たら、…………ものだぞ」
「………前に………しますよ」
あれからどれくらい経ったのだろうか。人の声が微かに聞こえてきた。
周りは未だ真っ暗で、体を動かすこともできなかった。というか手や足がある感覚がしない。
あの世というところに来たのかもしれない。それか病院に運ばれて、意識と聴覚だけある状態になったのかもしれない。どちらにせよ、自分の体が無事ではないことになる。
その割には自分の心が落ち着きすぎてることに、チサは少々自身に呆れた。
だんだんと聞こえてくる声がはっきりしてくる。2人の話す声。どちらも男の人のようであった。つまり、今は女のチサと2人の男の3人きり。
わーい、人生初めての両手に花ー。
チサは虚しくなった。
「だいたいお前が
「すいませんでした。では、後はよろしくお願いしまーす」
「謝罪が棒読みすぎる!」
男の人たちが言い争っている。というか、1人がもう1人を叱っている感じであった。声色から、叱られてる方は全く反省していない様子である。その2人の温度差に、チサは思わず笑みの息を漏らした。
「ん?」
叱ってた方の声が、ずいと近くで聞こえる。
「おい、
「…それは不幸中の幸いですね」
水仙と呼ばれた男の声は、相変わらず遠くから聞こえる。
「なら意識は一旦出すことにするか」
「はー…うるさくなるのは好みじゃないのですが」
かちゃりと、カップを皿の上に置いたような音がした。足音がこちらに近づいてくる。
え?カップ?本当に、ここはどこなのだろうか。チサの頭の中が疑問だらけになり、さすがに焦った。
「もう俺達の存在に気付いてしまってるんだし、被害者に謝罪ぐらいはしろよ」
「報復されて怪我でもしたら綺麗に治してくださいね、
やや情けない声がすぐそばで聞こえたと同時に。チサは全身の感覚がふいに掴め、直後背中をもの凄い力で押された。
「い……った…!」
全身に痛みが走った後、視界が真っ白に明るくなる。背中がどん、と何かに当たる。それが真っ白な床だと分かった。床だけではない。上も下もどこも真っ白だった。自分の手足がぼんやりと見えてきて、その先に2人の男の姿も映した。
1人は緑の髪が腰の長さまであり、中性的な顔立ちをしていた。もう1人は黒髪短髪で赤い目をし、爽やかそうな青年であった。2人とも、中華風漫画でみかけるような奇妙な格好をしている。
緑髪の男が軽く頭を下げた。
「全身骨折にしてすいません」
黒髪の男の目つきが鋭くなる。
「君、こいつ殴っていいぞ」
ひと悶着後、2人の男がチサに軽く自己紹介した。緑髪で背の低い方が
炎龍がチサの後ろを指で差す。振り返るとベッドがあり、そこで誰かが横たわっていた。というか全身ボコボコ状態の、自分。詳しく言葉で表したくない程、無残な状態であった。炎龍の顔が悲しそうに歪む。
「君は今、魂の存在だ。君の体があんな状態だから状況説明のために、一旦体から抜いてもらった」
吐けるわけないのに、チサは強い吐き気に襲われた。なんとか息を整え、分かりましたとうなづく。未だ現実か夢か分からないが、首を縦に振ることしかできなかった。
「その…こちらの不手際で、君の体は重篤な状態だ。治療するから、悪いがしばらくここに居てくれないか」
炎龍が深々と頭を下げた。
色々聞きたいことがあるが、とりあえず。
「あの…いったい何があったんですか?」
チサの問いに、水仙がばつの悪そうな顔をして答える。
「私の不注意であなたを蹴り飛ばして全身骨折させてしまいました。申し訳ありません」
「蹴り飛ばしたって…え、と。棒みたいなのがあったのは覚えてるんですけど」
確か、緑の棒に飛ばされたはずた。
「多分私の足でしょう。私としたことが10年ぶりに油断してしまいました」
「足?緑色なんですか?」
水仙の顔や手はやや明るい肌色だ。
「…すいませんが。説明がめんどくさいです」
水仙に思いきり目や顔を逸らされる。おまけに溜息も吐かれた。すると炎龍が苦笑いをしながら説明した。
「
緑の馬や魂など、漫画にありそうなことをつらつらと言われたが。チサは目を丸くするしかない。
「納得いってない顔だな。まあ、それも仕方ない。俺達は…異世界から来たから」
炎龍が真剣な顔をして、信じにくいことを告げた。
「…おしゃべりが過ぎませんか」
水仙の声に鋭さが増す。炎龍が途端に気まずい顔になり、俯いた。
「君の体は元通りにするから。少しの間我慢してくれ」
炎龍が、チサの体が横たわっているベッドのそばへと向かった。魂のチサにはもう目もくれず、傷だらけの体に向かって両手をかざしている。漫画でも出てくるような治療でもしているのであろう。本当にそれで治るのだろうかと、チサには疑問であったが。
「チサ、でしたか。ここであったことは忘れるようにしておきます。もう質問はしないでくださいね」
水仙の尖った声で釘を刺され、チサは聞きたいことがあっても口を閉じるしかなかった。
また、どれくらいの時間を真っ白の空間で過ごしたのだろうか。チサは床に体育座りをして体が治るのを待っていた。よく見ると
軽く溜息をついた後、チサは2人の様子をちらりと見る。
炎龍は黙々と治療を続けている。真剣な顔つきで行っているので、それはありがたい。一方、水仙はベッドと反対の方向で椅子に座り、優雅に茶を飲んでいた。時々、視線がこちらに向くことがあるが、すぐに逸らされる。監視のつもりだろうか。
ちょっと。確か加害者ですよね、あなた。
チサはなんだか腹が立ってきた。立ち上がり、わざと音を立てて水仙に近づく。
水仙のそばに立って
「…何かご用でしょうか」
明かに面倒くさそうな声が飛んでくる。負けじとチサは口を開いた。
「質問はしません。その代わり、謝ってください」
「先ほど謝りましたが」
「もっと謝ってください。心から、謝ってください。ふかーく頭を下げて、”チサさん、本当に申し訳ありませんでした”と言ってください。加害者なら、当たり前ですよね?それぐらい、馬鹿でも分かりますよね?」
水仙の顔が引きつると同時に、後方から慌てる声がした。
「君!それ、
炎龍が言うも遅く、チサは水仙に両手を強く掴まれた。青筋立てて怖い顔した水仙に視界を占領される。ぎり、と手首に力を入れられた。今は魂の存在なはずなのに、強い痛みが走る。
「誰が馬鹿ですか。確かに私は馬ですし、角も生えてますけど知識は豊富です。訂正しなさい、今すぐ」
「ふ、ふかーくお辞儀して謝ってくれたら、考えます!」
チサは睨み返し、掴まれた手をぐいと水仙の方に押し返す。生きてて初めてイケメンと密着状態だったが、胸はドキドキというよりムカムカだ。
下を向き、両足を踏ん張らせてチサは対抗する。その時、彼の香りだろうか。微かに、花の匂いがした。と、同時に。
頭上から、すん、と匂いをかがれる音がする。
途端にチサの顔が熱くなり、慌てて水仙の顔を見やる。彼は呆けた顔をしていた。
私の体、変な匂いだっただろうか。
ますます顔の熱が上がり、チサは彼から離れようと身じろぐ。が、掴まれた手は少しも動かすことができなくなっていた。
このまま何かされるのだろうか、とチサは恐怖を感じた。
「…モウシワケアリマセンデシタ」
「え」
ふいに両手を離される。今度はチサが呆ける番だった。水仙はロボットの様にかくかくと深いお辞儀をすると、謝罪を繰り返した。
「ホントウニモウシワケアリマセンデシタ。では、チサも訂正してください。私が馬鹿ではないと」
水仙のあまりの態度の変化についていけず、チサは「…はい」と答えるしかなかった。
2人の様子を離れたところで見ていた炎龍は「ふむ」と息を吐いた後、また向きを直して治療を再開した。
その後。チサは水仙からもの凄く距離を取ったところで体育座りをし、再び体が治るのを待っていた。水仙は水仙で元の席に座っており、
「チサちゃん」
ふいに頭上から優しげな声がかかる。見上げると、炎龍が微笑みながらチサの真後ろに立っていた。
「治療終わったよ。待たせてごめんな」
「い、いえ。ありがとうございます。炎龍さん」
「一応、体がこれで大丈夫か確認してくれるかな」
チサは「はい」とうなずき、立ち上がって自身の体の方へと向かった。炎龍も後に続く。
ベッドに、傷1つない自分の体が横たわっていた。自分の寝顔を見るのは初めてで、なんだか変な感じがする。
「はい。大丈夫だと、思います。本当にありがとうございました」
チサは炎龍に頭を下げ、礼を言った。
「こちらこそ。君達がどういう体の構造してるのか、よく勉強になったよ。ヒトの時の俺達とあまり変わらないようだから、治療もそれほど時間がかからなかったしな」
治療のついでに、彼に全身観察されてしまったことに、チサはやや血の気がひいた。水仙どころか、炎龍にも変態くささを感じてしまう。顔をひきつらせ、「そうですか…」と答えるのが精いっぱいだった。最悪、観察はしてもいいから口には出さないで欲しかった。
「さて。それではここでの記憶を無くしてサヨナラしましょう」
いつの間にかチサの背後に水仙が立っていた。
「わあっ!」
チサは思わず声を上げ、全身を震わす。
「うるさいのは嫌いなのですが…」
水仙の顔がチサの首筋に近づき、またすぐに離れた。
「まあいいでしょう。すぐ静かになります」
絶対また匂いをかがれたと感じ、鳥肌が立った。一刻も早くここから出たくてしょうがない。
ふいに、とん、と。水仙に背中を指先でつつかれる。
なに?と思った途端、ドンと体中に衝撃を受けた。あまりの衝撃の強さに、チサは意識を手放した。
「………」
空が、オレンジ色に染まってる。遠くから、数羽のカラスの声が聞こえてくる。
公園には、子ども達の姿は見えなかった。
チサは、視線を地面に落とす。いつもと変わらない帰り道。緑や家、遠くに店が連なる風景。ごつごつしたアスファルトの道路。
なぜ、自分は何時間も同じ場所で突っ立っていたのだろう。
いや。違う。
あの衝撃と暗闇を、いつもと変わらないはずの体が覚えている。
「私…確か、緑の馬に蹴られたはずなのに…なんで?」
そう感じることさえ、何かの気持ち悪さが沸き上がる。
チサはもう一度「なんで」と疑問を口にしたが、答える者は居なかった。
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