異界から嫁どり

屋敷ドラ

第1話 少女、未知との遭遇。

 久々に晴れた日であった。青空が気持ちいいほどに広がっている。

 学校の授業も終わり、帰宅部である霧崎きりさきチサは高校の門を出た。しばらく歩き、バスの停留所で足を止める。同じ学校の生徒達もそこに並んでいた。数分後、家の方向に行くバスに乗り込み、チサは空いている席に座った。

 バスが動き出し、チサは窓の景色を見ながら揺れを楽しんだ。いつもと同じデパートや薬局といった店、横に規則的に並ぶ街路樹などが窓に映し出されていく。ふと、1つ前の席に座った生徒達の、きゃいきゃいと話す声が聞こえてくる。隣りのクラスの女子達だった。


「ねえ、菅山すがやまの彼氏見た?ヤバくない?」

「うん。めっちゃヤバい。イケメン度高すぎ。あんなのどこで捕まえてきたんだろ」

「恋なんて興味ないって感じだったけど。あんな彼氏だと学校どころじゃないよねー」


 菅山というのは、この間久し振りに登校してきた菅山すがやまキョーコのことだろう。チサもちらりと見かけたことがある。くせっ毛黒髪の自分とは違い、ストレートの黒髪がよく似合う、綺麗な女の子だった。真面目そうな子に見えたが、ここ数ヶ月間不登校になってたという。

 人間誰しも、学校行きたくない日はあるもんなとチサは1人納得する。また登校できて、イケメンの彼氏もできてたなら言うことないだろう。

 自宅近くの停留所で降り、足を進める。緑が多い住宅街。前方にある公園からは、子ども達の遊ぶ声が聞こえてきた。

 チサは歩きながら、さっきの話が頭の中でふと浮かぶ。

 菅山さんの彼氏がもの凄くイケメンって聞こえたけど、どんな感じの人なんだろう。自分もいつか彼氏ができたらいいなあ。「………」

 物思いにふけり、気づくと下を向いて歩いていた。これは危ないとチサは顔を上げると。

 目の前に緑色の棒みたいなのが迫っていた。


「え」


 気づくも避けれず、棒がチサの体を思いっきり宙に飛ばす。

 痛みを感じる暇もなく、目の前が真っ暗になった。

 ああ。突然死とはこんなものなのかと、とぼけた思いを抱いた後。チサは意識を手放した。





「……たら、…………ものだぞ」

「………前に………しますよ」

 あれからどれくらい経ったのだろうか。人の声が微かに聞こえてきた。

 周りは未だ真っ暗で、体を動かすこともできなかった。というか手や足がある感覚がしない。

 あの世というところに来たのかもしれない。それか病院に運ばれて、意識と聴覚だけある状態になったのかもしれない。どちらにせよ、自分の体が無事ではないことになる。

 その割には自分の心が落ち着きすぎてることに、チサは少々自身に呆れた。

 だんだんと聞こえてくる声がはっきりしてくる。2人の話す声。どちらも男の人のようであった。つまり、今は女のチサと2人の男の3人きり。

 わーい、人生初めての両手に花ー。

 チサは虚しくなった。

「だいたいお前が余所見よそみしてるからこうなったんだろうが!」

「すいませんでした。では、後はよろしくお願いしまーす」

「謝罪が棒読みすぎる!」

 男の人たちが言い争っている。というか、1人がもう1人を叱っている感じであった。声色から、叱られてる方は全く反省していない様子である。その2人の温度差に、チサは思わず笑みの息を漏らした。

「ん?」

 叱ってた方の声が、ずいと近くで聞こえる。

「おい、水仙すいせん。どうやらこの人、魂は体にとどまってるみたいだぞ」

「…それは不幸中の幸いですね」

 水仙と呼ばれた男の声は、相変わらず遠くから聞こえる。

「なら意識は一旦出すことにするか」

「はー…うるさくなるのは好みじゃないのですが」

 かちゃりと、カップを皿の上に置いたような音がした。足音がこちらに近づいてくる。

 え?カップ?本当に、ここはどこなのだろうか。チサの頭の中が疑問だらけになり、さすがに焦った。

「もう俺達の存在に気付いてしまってるんだし、被害者に謝罪ぐらいはしろよ」

「報復されて怪我でもしたら綺麗に治してくださいね、炎龍えんりゅう…」

 やや情けない声がすぐそばで聞こえたと同時に。チサは全身の感覚がふいに掴め、直後背中をもの凄い力で押された。


「い……った…!」


 全身に痛みが走った後、視界が真っ白に明るくなる。背中がどん、と何かに当たる。それが真っ白な床だと分かった。床だけではない。上も下もどこも真っ白だった。自分の手足がぼんやりと見えてきて、その先に2人の男の姿も映した。

 1人は緑の髪が腰の長さまであり、中性的な顔立ちをしていた。もう1人は黒髪短髪で赤い目をし、爽やかそうな青年であった。2人とも、中華風漫画でみかけるような奇妙な格好をしている。

 緑髪の男が軽く頭を下げた。

「全身骨折にしてすいません」

 黒髪の男の目つきが鋭くなる。

「君、こいつ殴っていいぞ」




 ひと悶着後、2人の男がチサに軽く自己紹介した。緑髪で背の低い方が水仙すいせん、黒髪で背の高い方が炎龍えんりゅうと名乗った。チサも取り合えず自分の名を言う。

 炎龍がチサの後ろを指で差す。振り返るとベッドがあり、そこで誰かが横たわっていた。というか全身ボコボコ状態の、自分。詳しく言葉で表したくない程、無残な状態であった。炎龍の顔が悲しそうに歪む。

「君は今、魂の存在だ。君の体があんな状態だから状況説明のために、一旦体から抜いてもらった」

 吐けるわけないのに、チサは強い吐き気に襲われた。なんとか息を整え、分かりましたとうなづく。未だ現実か夢か分からないが、首を縦に振ることしかできなかった。

「その…こちらの不手際で、君の体は重篤な状態だ。治療するから、悪いがしばらくここに居てくれないか」

 炎龍が深々と頭を下げた。

 色々聞きたいことがあるが、とりあえず。

「あの…いったい何があったんですか?」

 チサの問いに、水仙がばつの悪そうな顔をして答える。

「私の不注意であなたを蹴り飛ばして全身骨折させてしまいました。申し訳ありません」

「蹴り飛ばしたって…え、と。棒みたいなのがあったのは覚えてるんですけど」

 確か、緑の棒に飛ばされたはずた。

「多分私の足でしょう。私としたことが10年ぶりに油断してしまいました」

「足?緑色なんですか?」

 水仙の顔や手はやや明るい肌色だ。

「…すいませんが。説明がめんどくさいです」

 水仙に思いきり目や顔を逸らされる。おまけに溜息も吐かれた。すると炎龍が苦笑いをしながら説明した。

水仙こいつは緑の馬でもあるんだ。馬の時に君は蹴られて全身骨折。そして俺の治療空間で君の体を治療中。魂が体にとどまっていたのは良かったよ。ここも広いから、下手に離れてたら探すの大変だからな」

 緑の馬や魂など、漫画にありそうなことをつらつらと言われたが。チサは目を丸くするしかない。

「納得いってない顔だな。まあ、それも仕方ない。俺達は…異世界から来たから」

 炎龍が真剣な顔をして、信じにくいことを告げた。


「…おしゃべりが過ぎませんか」

 水仙の声に鋭さが増す。炎龍が途端に気まずい顔になり、俯いた。

「君の体は元通りにするから。少しの間我慢してくれ」

 炎龍が、チサの体が横たわっているベッドのそばへと向かった。魂のチサにはもう目もくれず、傷だらけの体に向かって両手をかざしている。漫画でも出てくるような治療でもしているのであろう。本当にそれで治るのだろうかと、チサには疑問であったが。

「チサ、でしたか。ここであったことは忘れるようにしておきます。もう質問はしないでくださいね」

 水仙の尖った声で釘を刺され、チサは聞きたいことがあっても口を閉じるしかなかった。




 また、どれくらいの時間を真っ白の空間で過ごしたのだろうか。チサは床に体育座りをして体が治るのを待っていた。よく見るとかかとから細い糸のようなものが出てて、傷だらけの体と自分を繋いでいるみたいだった。本当に今の自分は魂の存在らしい。

 軽く溜息をついた後、チサは2人の様子をちらりと見る。

 炎龍は黙々と治療を続けている。真剣な顔つきで行っているので、それはありがたい。一方、水仙はベッドと反対の方向で椅子に座り、優雅に茶を飲んでいた。時々、視線がこちらに向くことがあるが、すぐに逸らされる。監視のつもりだろうか。

 ちょっと。確か加害者ですよね、あなた。

 チサはなんだか腹が立ってきた。立ち上がり、わざと音を立てて水仙に近づく。

 水仙のそばに立ってにらんだが、彼はチサを見ようとしない。意外にもごつごつした筋肉質な手で、彼は持ってたカップをテーブルにあった皿に置いた。

「…何かご用でしょうか」

 明かに面倒くさそうな声が飛んでくる。負けじとチサは口を開いた。

「質問はしません。その代わり、謝ってください」

「先ほど謝りましたが」

「もっと謝ってください。心から、謝ってください。ふかーく頭を下げて、”チサさん、本当に申し訳ありませんでした”と言ってください。加害者なら、当たり前ですよね?それぐらい、馬鹿でも分かりますよね?」

 水仙の顔が引きつると同時に、後方から慌てる声がした。

「君!それ、水仙こいつにとって禁句!」

 炎龍が言うも遅く、チサは水仙に両手を強く掴まれた。青筋立てて怖い顔した水仙に視界を占領される。ぎり、と手首に力を入れられた。今は魂の存在なはずなのに、強い痛みが走る。

「誰が馬鹿ですか。確かに私は馬ですし、角も生えてますけど知識は豊富です。訂正しなさい、今すぐ」

「ふ、ふかーくお辞儀して謝ってくれたら、考えます!」

 チサは睨み返し、掴まれた手をぐいと水仙の方に押し返す。生きてて初めてイケメンと密着状態だったが、胸はドキドキというよりムカムカだ。

 下を向き、両足を踏ん張らせてチサは対抗する。その時、彼の香りだろうか。微かに、花の匂いがした。と、同時に。

 頭上から、すん、と匂いをかがれる音がする。

 途端にチサの顔が熱くなり、慌てて水仙の顔を見やる。彼は呆けた顔をしていた。

 私の体、変な匂いだっただろうか。

 ますます顔の熱が上がり、チサは彼から離れようと身じろぐ。が、掴まれた手は少しも動かすことができなくなっていた。

 このまま何かされるのだろうか、とチサは恐怖を感じた。

「…モウシワケアリマセンデシタ」

「え」

 ふいに両手を離される。今度はチサが呆ける番だった。水仙はロボットの様にかくかくと深いお辞儀をすると、謝罪を繰り返した。

「ホントウニモウシワケアリマセンデシタ。では、チサも訂正してください。私が馬鹿ではないと」

 水仙のあまりの態度の変化についていけず、チサは「…はい」と答えるしかなかった。

 2人の様子を離れたところで見ていた炎龍は「ふむ」と息を吐いた後、また向きを直して治療を再開した。




 その後。チサは水仙からもの凄く距離を取ったところで体育座りをし、再び体が治るのを待っていた。水仙は水仙で元の席に座っており、あごに手をあてて何やら考え込んでいる様子であった。また変なことをされるのではと、チサは時々彼に視線を送ったが、水仙はこちらを見向きもしない。一応謝罪はしてくれたので良しとしたいところであったが、何故かモヤモヤした。

「チサちゃん」

 ふいに頭上から優しげな声がかかる。見上げると、炎龍が微笑みながらチサの真後ろに立っていた。

「治療終わったよ。待たせてごめんな」

「い、いえ。ありがとうございます。炎龍さん」

「一応、体がこれで大丈夫か確認してくれるかな」

 チサは「はい」とうなずき、立ち上がって自身の体の方へと向かった。炎龍も後に続く。

 ベッドに、傷1つない自分の体が横たわっていた。自分の寝顔を見るのは初めてで、なんだか変な感じがする。

「はい。大丈夫だと、思います。本当にありがとうございました」

 チサは炎龍に頭を下げ、礼を言った。

「こちらこそ。君達がどういう体の構造してるのか、よく勉強になったよ。ヒトの時の俺達とあまり変わらないようだから、治療もそれほど時間がかからなかったしな」

 治療のついでに、彼に全身観察されてしまったことに、チサはやや血の気がひいた。水仙どころか、炎龍にも変態くささを感じてしまう。顔をひきつらせ、「そうですか…」と答えるのが精いっぱいだった。最悪、観察はしてもいいから口には出さないで欲しかった。

「さて。それではここでの記憶を無くしてサヨナラしましょう」

 いつの間にかチサの背後に水仙が立っていた。

「わあっ!」

 チサは思わず声を上げ、全身を震わす。

「うるさいのは嫌いなのですが…」

 水仙の顔がチサの首筋に近づき、またすぐに離れた。

「まあいいでしょう。すぐ静かになります」

 絶対また匂いをかがれたと感じ、鳥肌が立った。一刻も早くここから出たくてしょうがない。

 ふいに、とん、と。水仙に背中を指先でつつかれる。

 なに?と思った途端、ドンと体中に衝撃を受けた。あまりの衝撃の強さに、チサは意識を手放した。





「………」



 空が、オレンジ色に染まってる。遠くから、数羽のカラスの声が聞こえてくる。

 公園には、子ども達の姿は見えなかった。

 チサは、視線を地面に落とす。いつもと変わらない帰り道。緑や家、遠くに店が連なる風景。ごつごつしたアスファルトの道路。

 なぜ、自分は何時間も同じ場所で突っ立っていたのだろう。

 いや。違う。

 あの衝撃と暗闇を、いつもと変わらないはずの体が覚えている。


「私…確か、はずなのに…なんで?」


 そう感じることさえ、何かの気持ち悪さが沸き上がる。

 チサはもう一度「なんで」と疑問を口にしたが、答える者は居なかった。

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