15-8

「二階をこっちの上まで突き出して、キッチンを入れて、カフェのフロアを広めに……」

「そんなら下も増築……ってそれしたら駐車場なくなっちゃうか。案外むずかしいもんだね」

 あせて黄色くなった手書きの間取り図を、ボールペンの頭でとんとんとつつく。この店が建ったときの図面だ。

 クリップボードを持つ姿が、しっくりなじむ。くちびるをペンの背でつつきながら、ぽそっと言った。

「カフェ、ちっちゃいのでいいよ?」

「なんで? せっかくなんだから、広くしようよ。このままだったら、テーブル一つくらいしか置けないし」

「うーん……カウンターだけでもいいんじゃない?」

 さっと新しい紙を出して、カリカリとペンを走らせる。そういえば、手書きの字はあまり見たことがない。

「こうして、ここんとこに椅子をこう、並べたらさ。広々してのんびりできるかも」

「良さんがいいなら、それでいいよ」

 横から手を出して、井上カレーつぐみ店、とメモの頭に書いた。

 そこに良さんがくるくると枠を描いて、ぐーっと口の端を上げる。みどりの風がさわさわと流れて、メモの端をちらちらとなでる。


 第三回のふるさとマルシェも無事に終わって、冬が来て春が来た。最近、母がやっと、良さんが遊びに来ても出ていかなくなった。

 父と美樹とはすっかり打ち解けて、美樹の提案で店を改築することに。二階のスペースを改造して良さんの店にして、やっと、ふたりで住むところもこっちで探そう、といえる段階になった。


 はじめてのふるさとマルシェの後、良さんのことで母ともめて、しばらく家を出た。

 せっかくだから二人で暮らす準備をしようと、良さんのところへ転がり込んで、つぐみの浦田商店まで通勤する生活をしていた。

 長時間の通勤はなかなか大変だったけれど、家に帰れば良さんがいる。そのことが尽きない力をくれて、むしろ前よりも充実していた。

「そうだ、智也が今度、県大会に出るって聞いた?」

「聞いてない。じゃあ短距離の決勝で勝てたのか、すごいな。山田のおばあちゃんが言いに来た?」

「ううん、お母さんのほう。よっぽどうれしかったみたいで、俺おんなじ話三回も聞いたよ」

 最近は休みの日につぐみまで来て、店番を代わってくれたりする。良さんがいる日を狙って来る人もいて、俺がいる日より売り上げがいい。

 ずっといてくれたらいいのに、という声もちらほら聞いた。なんの気なしにもらった一言が、どれだけ俺たちの中に響いているのか、どう返していけたらいいのかと、いつも思う。

「よし! そろそろ草引きの続き」

「いいよもう適当で。あんなの半分嫌がらせで言ってるだけだから」

「何言ってんの、お母さんがやっと口聞いてくれたんだよ! なんて言ったか覚えてる?」

「庭の草引いて、ってぼやいただけだろ。ほんとにごめん、母さんの態度がいつまでもあんなで、良さんにばっかいやな思いさせて……」

「そんなのいいから、そのあと! 『そこの子も手伝ってやって』だって! 俺のことだよ!!」

 よほど嬉しかったのか、鼻の穴までまあるくふくらんでいる。ピンクのほっぺをかわいく持ち上げて、長袖のシャツをふんっとまくり上げた。

「見ててよさっちゃん。あのジャングルみたいな庭をピッカピカにして、お母さんの度肝を抜いてやるんだから」

 そのやんわりした見た目からは想像もつかない。意外なほどしたたかにかがやく目を、きらりと光らせる。

「もしかして、これって嫁姑問題の始まりかな……」

「さっちゃんなんか言った?」

 短く首を振る。ふふん、と笑顔でうなづいた。

 つばの広い農作業用の麦わら帽子は、常連のおばあちゃんに教えてもらった。サイドにポケットのついたワークパンツは、八百屋の吉田さん。

 金森さんには、効率が三倍になるという、うさんくさいうたい文句の草取りガマを。水分補給のペットボトルは、浦田商店にたっぷり並んでいる。

「はい、さっちゃん!」

「うえー……」

 軍手をぐっと持たされる。この前つくったばかりの指輪が傷つくといけないからと、俺の分まで良さんが用意していた。

「軍手も置こうよ。町のホームセンターまで行くのめんどくさいし」

「あ、それいいかも」

「草取りセット、ってコーナー作ってさ。あ、むしろ御用聞きで草取り一時間千円の貼り紙を……」

「これ以上仕事増やさなくていいから」

 心の底から好きなのだ。人とかかわり、助け合っていくことが。

 良さんの目の走る先を見ていると、これからどんなことが起こるのだろうと、いつもはらはらしてまぶしくて、目がはなせない。


 庭の端から、店の入り口を振り返る。ばあちゃんの白いテーブルの横に、ひとつ増やした空色のテーブル。

 つるりとした天板は、まだ塗装を終えたばかりで、傷ひとつない。ばあちゃんがどっしり構えていたような、ほんとうにふつうの店に、いつかたどり着けるだろうか。

 真っ白なテーブルに、ペットボトルの水滴がひとつ、ふたつ。空からのひかりを反射して、にんまりとやさしくひかっている。

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