15-6

 どんな不穏な空気になっているかと思ったら、みんなけらけら笑っている。よく見ると父と美樹が来ていて、椅子はもういっぱいだった。

「あ、来た来た。おそーい」

「あ、私、これで」

「待って沙織ちゃん、せっかくだから食べていって。お父さん、ここ。お茶入れるから」

 母が立ち上がり、父を座らせる。ぱっと見回して、紙袋から予備の湯飲みを出している。

「私とお父さんの分は買ってきてるから。さっちゃん、それ配って」

 美樹と母にすっかり仕切られ、言いなりで動く。沙織さんの前にカレーを置くと、おずおずとした目を見せてくれた。

「すいませんさっきは、お恥ずかしい話を」

「いえ、どうかお気になさらないでください。ごめんなさい、私浮かれてこんなとこまで来ちゃって」

「謝るのはこっちだよ。本当にもう、なんとお詫びしたらいいか……。このバカ息子は、もう、なんだってまったく」

「お母さんてば。もう、早く食べよう」

「おうい、お茶が足りんぞ」

「ちょっとは自分でやってよ、お父さん!」

 ぷりぷりと母が怒る。まだ熱い急須をとって、いつものようにお茶を淹れた。お盆に乗せて、ふんと背筋を伸ばす。

「あち、あちち、これまだ熱いねえ」

「うん、いいねえ、甘くておいしいわ。兄ちゃんによう言うとって」

 プラスチックのスプーンを、ふおっと景気よくかざす。おばあちゃんたちが食べているのを、声をかけて撮らせてもらった。

「こんなババ撮ってどうするね」

「やあだよ、もう」

 しゃっしゃっと笑って、むせてしまった。背中をするするとすこしなでる。

 長机では、美樹と沙織さんがなにか話して笑っている。母がこちらをちらりと見ていた。


 みんなが食べ終わって、なんとなくほっとした空気になる。あっちにスイーツの屋台があったよ、と美樹がみんなを誘っている。

 片付けようと立ち上がると、テントの下に赤いキャップが入ってくるのが見えた。

「こんにちは! 井上カレーの井上です。今日はありがとうございます」

 ぴしっと頭を下げる。ど派手なTシャツに赤いキャップ。思い切りラフな恰好だけど、仕草はできるサラリーマンだ。

 思わず母の顔を見た。見たこともないほどに強張っている。父はそのまま、美樹はふつうだ。沙織さんは、気配ですべてを察したのか、また息をのんでいる。

「今回は浦田さんにお声がけいただきまして、こうして出店させていただいて……」

「前に、うちに寄ってくれた人よね」

「はい! 前回は会場の下見で、浦田さんのお店の方にも」

「ご両親は、いるの? 普段のお仕事は?……ご兄弟は何人?」

「ちょっと、母さん」

「いいから黙ってなさい!」

 ものすごい形相だった。びしりと空気がとまる。とにかく良さんを連れて行こうと、そばに寄った。

「はい、両親は健在です。今は離れて暮らしていますが、近所のマンションで、父母とも元気です。父は定年を迎えまして、去年から嘱託社員として……」

「良さん、もういいから」

 止めようと肩をつかんだ。良さんは微動だにしない。俺の手をそっと振り払って、きらりとしたたかな目を見せた。

「いいから、さっちゃん。ええと、母は近所のスーパーにパートで。実家はもともと商店街のとうふ屋だったんですが、生活が立ち行かなくなって、祖父の代で閉店しました。今は施設に入ってて、もうすぐ九十歳になります」

 とうとうと答える良さんの声に、みんなが聞き入っている。俺も初めて聞く話だ。

 情けないけど、一歩離れて、凛とした横顔をただ見守っていた。

「普段は、コンビニのエリアマネージャーをしています。専門学校を卒業しまして、バイトから社員に登用していただきました」

 ほう、と父がうなづいている。美樹がほほ笑んでいる。

「お客様と接するのが好きで、本当は現場に……ずっと店舗にいたかったんですが、うっかり出世してしまいまして。今は管理業務で、各店舗を回っています」

 どっとみんなが笑う。母の目はひとり厳しいままだ。

 良さんは怖気ることもなく、語るべき相手の目を、真正面からしっかりと見据えている。

「兄弟はいません。私一人です。そのせいか、人がたくさんいるところが好きで。友人を集めてカレーを振る舞っていたのですが、物足りなくなって、休日にキッチンカーで出店するようになりました」

 体の前で握っている手に、さらに力が入った。なにを言おうとしているか、なんとなくわかる。

「理さんに出会ったのもキッチンカーがきっかけで。日曜日のお客さんでした。いろいろとお話してくれて、すごく尊敬できる方だと思いました」

 そんな話は初めて聞いた。父と美樹が目を合わせて、にんまりしている。

「私と理さんのことを、すぐに受け入れていただくことは難しいと思っています。私たちには子どももできないし、残せるものはありません。ただ、二人で一緒にいたいんです。それと、お許しいただけるのでしたら、この先のご両親のお手伝いが少々できれば、それ以上のことはありません」

「少々といわんで。こっちのもんは人使いが荒いでのう」

「しっ、関係ないもんは黙っちょり」

 後ろのテーブルのおばあちゃんたちが口をはさむ。ふっと空気がゆるんだ。

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