15-4
テントの影が、長机をやっと隠した。日陰が店のスペースにぴたりとはまる。
出店が開く時間を過ぎて、明らかに人の流れが増えてきた。金物屋の三代目の呼びかけが、遠くの方からかすかに聞こえてくる。ああしていれば熱心な三代目だけれど、心の中は飲み会のことでいっぱいなのか。
吉田さんの推すアイドルのファンだろうか、同じようなTシャツを着た人も集まってきた。男ばかりかと思っていたら、若い女子もいる。
みんな同じように目をかがやかせていて、全身から気合いが立ち昇っている。少しは見に行ってみたいと思ったけれど、父さんも母さんもなかなか姿が見えない。
ぐーんと背中を伸ばした。良さんのキッチンカーも、きっと盛況だろう。
いっそおばあちゃんたちに断って、ほんの少し駆け回ってこようかと段取りをめぐらせた。いけそうか、と人ごみに目を凝らすと、ぽつんとたたずむ女の人がこちらをうかがっている。
「こんにちは。よかったら、休憩していきませんか」
いつもの調子でにこっと声をかけ、手のひらをぱっと上に向けた。このへんにベンチはない。座るところを探しているのだろう、と勝手に思った。
「あ、いえ。ええと、あの……」
長い髪を耳にかけ、収まりきらずにふわりと流れる。それを何度もくり返す。
ワンピースを着て、ちっちゃなハンドバッグを持って、おめかししている女の人だ。そわそわした感じだから、遠くからの観光客かもしれない。
「浦田さん、ですよね」
「はい。あ、お店の方に来ていただいてましたか」
「いえ、行ったことは、ないんですけど」
ぴんと緊張した声。確認するように顔を見て、うつむいて、またちらちらと伺っている。
あんまりないタイプのお客さんだ。一定の距離を取らないとだめだと言わんばかりに、テントから一メートルほど先にきちっとパンプスの先をそろえて立っている。決して近づいてこようとしない。
「沙織ちゃん! 早かったね。あら、もう話してたのかね」
「あ!」
突然、人ごみの中から母が出た。女の人は声に振り向くと、なぜかほっとしたようにうちの母に駆け寄って、ぺこぺこと頭を下げている。
「すみません、私、近くにいて。見てたら、声かけてくださって」
「いいのいいの。なあんだ、ゆっくり話してたらよかったのに」
「いえ、お仕事中ですから」
湯飲みをふたつ、取り出した。お盆をくるりと拭く。
「どうぞ。お茶、いかがですか。母さんも」
「そうだね、座っていこうかね」
「えっ、でもそんな急に」
「いいからいいから。ま、ちょっとおいで」
「はい……」
なんの会話か、さっぱりわからない。でもとりあえず、これで抜け出せる。
足元の袋からお菓子をふたつつまんで、お盆にのせた。
「母さん、俺ちょっと見て来るから」
「なに言ってんの。あんたいなくちゃダメでしょうが」
「いや、店番代わってくれって頼んでただろ」
「あとでね。今は、ちょっと座んなさい」
言い返そうと口を開く前に、ぐんっと手首を引っぱられる。有無を言わせないその力強さに、しぶしぶ腰を下ろした。
すぐに腕時計を見る。早くしないと、お昼になってしまう。
「理、こちら、高松さんとこのお嬢さん。ほら、知ってるだろ、町の薬局の」
「あー……バス停のとこの?」
薬局は町に一件しかない。郊外にドラッグストアができるまでは、みんなそこへ買いに行っていたから、さすがに覚えている。
「はじめまして、高松沙織です」
凛とした、きれいな声だった。ひざに置いたハンドバッグをきゅっと持ったまま、ぺこりと頭を下げる。長い髪が犬の耳のようにふわんと垂れて、かすかな香水のにおいが漂った。
どういう用事か知らないが、わざわざ来て頭まで下げるということは、なにかあるのだろう。ポケットから名刺入れを取り出して、一枚差し出した。
「はじめまして、浦田商店の浦田です。母がいつもお世話に……」
「なあに、固いことして。今日はちょっと顔をね、覚えたらいいと思ってね」
「はい」
「今度、お茶でも行ってゆっくり話したらいいわ」
なにかで見たことのある光景だ。
仕切ろうとする年かさの人。白っぽいワンピースの若い女。うかつに崩せない緊張感。ついていけてない間抜けな男。
これはたぶん間違いない。まさか自分が、その枠の中に押し込められているとは。
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