15-2

「なに、どした」

「いや……うん、まさか、そんな風に言ってもらえるとは」

 長い長いため息をつきながら、目をとじている。ぎゅっとしわの寄ったまぶたが、細かく細かく震えていた。

 そのとき、宮下がここまで抱え込んできたさまざまな重みを、ほんのすこしだけ知れたような気がした。

「結婚すんの? あ、もうしてるのか」

「籍は入れてる。式は上げない」

「なんで? 真帆にドレス着せてやんなよ」

 うん、と言葉をにごした。

「まさかとは思うけど、俺に気を遣ってとかは……」

「あ、いや、違うんだよ。真帆の家がちょっと大変でな。もうだいぶ落ち着いてきたんだけど」

「そんなの初めて聞いた」

 言ってから気がついた。俺が宮下を頼っていたように、真帆は誰にも言えないことを、宮下に相談していたのかもしれない。

「それであのとき、真帆の家の返済を手伝おうと思って売却を……お義父さんが入院して、追いつめられてく真帆を見てたら」

 宮下の声に込められたものは、俺が真帆に対して持っていたものより、ずいぶん強い。良さんを知って、それがどんなものかよくわかった。

 代わりがいない。比べようがない。むずかしいようでかんたんな、たったそれだけのこと。もっと早く知っていれば、と思ったけれど、今でよかったのだとも思う。

「ほんとにごめん!」

 夢から覚めるような大声だった。お祭り会場の端のほうで、ほとんど人はいなかったけれど、がばっと頭を下げる宮下を慌てて止める。

 昔はしょっちゅうはたきあっていたその肩を、久しぶりにつかんだ。

「もういいから、やめてくれよこんなとこで」

「いや、俺はあのとき、どうにかして真帆と一緒にいたくて、浦田が大事にしてたものを全部!!」

「わかった、わかったから」

 ほとんど絶叫だ。声を抑えてくれ、と両手で制した。

 大して動いてもいないのに、ぜいぜいと肩で息をしている。いつも冷静な宮下が、こんなになることがあるなんて。うろたえて涙目になっている宮下には、ずっと憧れていた要領のいい男の影もない。

 宮下はなかなか頭を上げない。髪の毛が日差しを反射する。

 風が強いから寒いかと思っていたら、日差しが強くてそんなに寒くない。久しぶりに頭をくしゃくしゃとかき混ぜてみたら、熱を持った髪の毛が手のひらにちくちく刺さって痛かった。

「真帆のどこがそんなに気に入った? いや、いい奴だけどさ」

「うん……どこっていうか、なんだろうな」

 目じりをぬぐって、ほんのりたのしそうに首をひねる。髪は俺がかき回したまんま、ぼさぼさだ。

 その顔を見ていると、真帆にこういう奴がいてくれてよかった、と心底思えた。

「真帆じゃないとだめなんだよ。ああごめん、なんかまとまんないんだけど、なんていうか」

「わかる。そういうの、あるから」

 目が合った。その奥のやさしいひかりが、うれしそうにうなづいている。ふと、ひらいてみようと思えた。

「俺も、さっきの人がそんな感じで。今度家に連れて帰ろうと思ってる」

「え? さっきの、って」

「良さん。さっき、店番代わってくれただろ。あの兄さん」

「えっ、まじかー!! うわ、いいなあ! おめでとう浦田!」

 むりやり手をつかまれ、ぶんぶん振って腕をたたく。どんな顔をされるかと思っていたら、予想外の反応で、こっちがついていけない。

「真帆にも紹介させてくれ! ああ、俺ほんと今日来てよかった!」

「いや、あの、同性とか、なんかないの? きもちわりいとか」

「はあ? あっはは、そんなの前時代の感覚だろ」

 からっとあかるく笑い飛ばした。そうだ、宮下はこういうやつだった。胸のなかに、じゅわじゅわと強いものが生まれてくる。

「お前まさか、そんなこと気にしてんじゃないよな。絶対間違ってないから。見てたらわかる。絶対間違ってないよ、あの人は」

「なんだよそれ」

「ムープランニングの元専務の目。人を見る目は自信あるから」

 ふざけたウインクに、腹を抱えて笑った。笑っているうちに涙が出て、それがじわじわとあたたかいものに変わる。

「ありがとう。良さんのこと、頑張ってみるわ」

「おう。……あ、でもお前は交渉下手だったからな。とにかく粘れ」

「うわ、苦手」

「浦田はめんどくさいの嫌いだもんな」

 下がった目じりが、前よりもずっとやさしい角度になった。イベントの予定時刻を知らせるアナウンスが流れ始めている。

「ごめん、戻んなきゃ。また後で寄って」

「うん! 真帆も連れていく」

 せき止められていた五年越しの流れが、ゆるゆると流れ始める。ばちんと合わせた手のひらが、びりびりとしびれてかなわなかった。

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