最終章 第二回つぐみマルシェ

15-1

 昨夜は仕込みがあるからと、早々に通話を切られた。

 予想外のタイミングで母に知られてしまったことは、まだ話すべきではないと思っていた。でも良さんは鋭いからと覚悟していたから、突っ込まれずにほっとした。


 リカ先生とさなちゃんたちを町のホテルに迎えに行って、会場に送った。そこからは俺もチケットの販売でテントに立っていることになり、あとは良さんを待つだけになった。

 響く音楽とお祭りの音。空は高い。青く透んでいて、空気がつめたくて、出店のたべもののいいにおいが空に吸い込まれていく。

 各商店が出した出店と、募集して集まった屋台や手作りの店や、とにかくたくさん。広いと思っていた文化会館の入り口前にずらりとテントが並び、人も物もぎっしりとつまっている。

 今年は去年よりさらに出店が増えた、と吉田さんが胸を張っていただけはある。去年の様子を知らないのがこんなにくやしいなんて。

 浦田商店は、駐車場の一角をもたせてもらった。休憩スペースは文化会館の中や広場のほうにもあるけれど、いつもの常連さんに使ってもらいたくて、店の白いテーブルを持ってきた。

 長机に並べてあるのは、リカ先生とさなちゃんの店のチラシ。ヨガのワークショップの余ったチケットと、井上カレーのショップカード。それから、浦田商店で今一番人気の、マグレンジャーのチョコと駄菓子をすこし並べた。

 見ればみるほど、なにもない。かろうじて店から持ってきた、お茶出しセットがあるくらいだ。

 倉庫を探っているうちに出てきた、大きな給水ジャーに入れたお湯が、夕方にはぬるくなることはもう試して知っている。そのときはキッチンカーの電熱器を使わせてほしいと、良さんに頼んでおいた。

 どうしようもないほど、まわりの人に助けられている。俺ひとりでできることなんて、荷物を運ぶくらいだ。

 また暗いふちに引きずりこまれそうになって、せめて愛想のいい顔をしていようと、無理やり口角を上げて前を向いた。とたんに、息が止まる。

「浦田。……久しぶり」

「こんにちは」

 ぽっこりとふくらんだおなかの前で、はずかしそうに手を組んでいる。元彼女はもう立派なお母さんの顔をして、表情も仕草もまるで別人だ。

 守るように寄り添って立つ宮下も、ぜんぜん知らない顔をしている。

「……宮下」

 のどの奥から絞り出すようにして、やっと声が出た。二年前に俺を裏切って、なにもかもを持っていった親友の名前を、もう一度声に出して呼ぶことがあるなんて。

「もうすぐ産まれるから。最後の遠出に、ってこいつがうるさくて」

 真帆の長い髪が、うつむく頬にかかる。ふふっとはにかむ頬の色を、よく知っていたのに。ふたりの空気も言葉の意味も、すべてが遠い遠いところにある。

「忙しいとは思うんだけど、よかったらあとで、ちょっと話できないかな」

「私、そのへん見てくるね」

 真帆がすいっとその場を離れる。いかにも情のこもったまなざしで、宮下がその背中を見送る。

 なにを言おうとしているのかは大体察しがつく。今の二人の仕草だけで、もう充分だと思った。

「俺はべつに、話すこととか」

「浦田はなくても、俺は……」

 とんとん、と誰かがやさしく肩をたたいた。ふりむくとひかりがはじける。

 いつからそこにいたのか。一緒にいられる一分一秒を惜しいと思っているのに、呼ばれるまで気づかなかったなんて。

「良さん! いつから来てた?」

「いや、びっくりさせようと思って」

 にまっとひろがるくちびるに、俺がどれだけのものをもらっているか。

「ここ見てるから、行ってきなよ」

「え?」

「ごめん、聞こえちゃって。俺もちょっとしか時間ないから、早く!」

 あたたかい手に、ぽん、と背中を押される。よろけて一歩踏み出した。

 宮下がほっとしたように、先導するように歩き出す。振り向いて良さんに目をあわせると、それだけでいやなものが消し飛んだ。

「ごめん、こんなときに。……いや、でも、教えてくれてよかった」

「なにが?」

「ふるさとマルシェのお知らせ、わかるように入れてくれただろ」

「さすが。宮下なら察してると思った」

 ふっと笑いがこぼれて、自分でも驚いた。もう許せるようになっている。宮下のことも、真帆のことも、自分のことも。

「俺、真帆が好きで好きでどうしようもなくて。言うべきかずっと迷ってたんだけど、あのタイミングでムープランニングも傾いただろ」

「うわ、久々に聞いた」

「俺も久々に言った。……勝手に売却まとめて悪かったと思ってる。あれは」

「いや、もういいよ。あれはあれで、いいタイミングだった。少しでも遅かったらもっと借金増えてたと思うし」

 宮下の言葉が返ってこない。顔を見ると、見たこともないほどまんまるな目で固まっている。

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