14-4

 この間来たばかりなのに、文化会館のまわりはすっかりお祭り仕様になっていて、見違えた。

 地下の駐車場に車を停めて、あたりを見ながら歩く。商工会で知った顔がちらほら来ていて、そのたびに挨拶に近寄った。

「浦田さん、こっちこっち」

 張りのある声が呼んでいる。ぐるりと見回すと、広場につくられかけた大きなステージのすそに、吉田さんがいた。

 頭にタオルを巻き、なにかロゴの入ったTシャツを着て、大きく手を振っている。

「本格的ですね」

 早足で近寄って、見上げながらしみじみつぶやく。お祭りのステージというから、もっとかんたんなものを想像していたら、ずいぶん大きいし高さもある。

 スピーカーが広場のあちこちに設置されていて、テストなのかとぎれとぎれに音楽を流していて、それだけでもお祭りの空気が出始めていた。

 吉田さんはむふんと胸を張り、まぶしそうにステージを見つめている。

「りりたんのステージですからね。粘り強く交渉して、ギリギリまで予算を勝ち取りました」

 横顔はできるエリートサラリーマンそのものだ。アイドルファンだという一点を除けば、さぞOLさんにモテただろうに。

「吉田さん、それ、もしかして」

 一見ふつうのTシャツに視線をやりながら顔を見た。察しのいい目がきらっとひかる。

「もちろんもちろん、りりたんTです。あ、大丈夫ですよ、予備も何枚かあるんで。明日はとっておきのサイン入りバージョンで臨みます!」

 うきうきが隠せない感じの早回しでにこにこしゃべる。吉田さんは、いつもの吉田さんからだいぶ遠ざかっている気がする。

 このまま話していると俺まで着せられそうで、愛想笑いを貼り付けたままステージから離れた。昼前にはリカ先生とさなちゃんたちを迎えに行かないといけない。

 二人のスペースを見回って、頼まれていた什器を用意する。長机を運んだり、パネルのマットを並べていると、あっという間に時間が過ぎた。

 写真を撮って、良さんに送る。それだけなのに、そばにいて話しかけているように思う。

 見てほしいもの、知ってほしいこと。今そばにいられれば、と思うとき、手元のちいさな四角からすぐに話しかけられる。でも、それではもう足りない。

 着信が鳴って、ドキッとして画面を見ると店からだった。すぐに出る。

「もしもし、なんかあった?」

「んーん、ひまよ。明日はお祭りだからね、みんなそっちに気がいってるのかね」

「あ、そう。そんなら、なに?」

 母の声がぴたりと止まる。妙な間をおいて、続いた。

「どっち?」

「……ええと、なにが?」

「だから、こないだ連れてきた女の子ら、どっち?」

「え? なんのこと?」

「あんた、東京からお祭りに呼んだいうて、連れてきたろう。なんとかの体操の先生と、わっかいかわいいギャルの子ちゃん」

「え? あー、あはは」

 リカ先生とさなちゃんの言われように、思わず笑ってしまった。たしかに、体操の先生とギャルの子だ。

「ちがうよ。リカ先生は旦那さんいるし、ギャルの子も彼氏いるから」

「ほなら、誰よ」

「それは、お祭りが終わればちゃんと……」

「でも」

 ぐう、っと空気がこめられる。なにかしら爆発する前の母の雰囲気に、背中が勝手にうんざりした。

「どっちもちがうって言うんなら、あとひとりしか残ってないじゃない!」

「ひとり、って」

「あんたまさか、あの、いかにも気の良さそうな男の子……」

「良さんだよ。男の子って、俺と同じ二十五」

「そういうこと言ってんじゃないの。……まさか、そうなの?」

 ごくり、と息をのむ音が耳の中で鳴り響く。一秒が長い。

 沈黙は無言の肯定ととらえられたのか、興奮した母はさっそく勝手なことをわめき始めている。このまま黙っているとどんどんヒートアップしていきそうだ。

「そうだよ。良さんと一緒に暮らしていきたいと思ってる」

 ぷつりと空気が止まる。まだ騒いでくれていたほうがましだと思うほどの、得体の知れない沈黙だった。

「そう、か」

 ため息にのせられた一言に、押し込みきれない感情がこもっていて、目をとじた。まずはお祭りで良さんのいいところを見せて、順序だてて説明して、と練っていた計画が、すべて一瞬でくずれた。

 母の重くて長い長いため息が、いつまでも切れない。

「ああ、そうか……」

「母さん、順番に説明するけど、今度父さんも一緒に……」

「あ、はーい! 開いてます! ごめん、切るよ」

 ぶつりと電話が切れた。言いたいことが言えなかったイラつきと、疲れがどっと押し寄せる。

 いつからこんなに歯を食いしばっていたのか、あごがだるい。耳にお祭りの準備の喧騒が戻ってくる。

 吉田さんのいきいきした声が聞こえる。このあいだ酔いつぶれていた金物屋の三代目も来ているようで、元気な関西弁が高く響く。

 もたれていたいちょうの木は、葉をすっかり落としてはだかの枝だ。それでも、まわりに敷きつめた黄色の葉が日差しにまぶしく反射する。

 スマホがうなって、画面を見た。メッセージがつるりと下りてくる。

「あさって打ち上げ、7時集合。場所はいつもの大将」

 三代目の会のグループチャットだ。

「まだ始まってもないのに、もう飲みの予定とか」

「いやいやいや、飲むこと考えんとしんどうて」

「明日は盛り上げていきましょう!」

「ドルオタは暑苦しいねん!」

 他のメンバーのスタンプ、スタンプ、スタンプ。俺もつられて、OKのスタンプをひとつ送った。

 なんとかなる、と急に思えた。この町のひとたちは、しぶとくて、たのしくて、やさしい。

 どこにでもありそうなただの田舎の端だけど、ここにしかないものがたくさんある。この場所に根を張って、良さんと暮らしたい。同性だということが、どれほど道を阻むかは、やってみないとわからない。

 いちょうの葉を一枚ひろって、はらりと落とす。ひらひらときれいに舞って、足もとにふわりと落ちた。

 すこしめくれた葉の端が、ほんのすこしの影をつくる。その下にもいちょうの葉がある。その下にも、その下にも。

 なんにも根拠はないけれど、きっとどうにかなるだろう、と腹をくくった。

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