12-4

 キンコン、と呼び鈴が鳴る。玄関だ。

 時計を見ると十一時。こんな時間に買い物に来る人は、たぶんいない。

「なんか音したよ?」

「ごめん、ちょっと出てみる」

 つながったままのテレビ電話を放置して、階段を下りる。玄関のガラス戸に小さな人影があって、すぐにわかった。

「ごめん、こんな遅くに」

「母さん、なんかあった?」

「うん、麦茶をね、買い忘れてね」

 頭にカーラーをつけたままの母は、俺の横をすり抜け、真っ暗な店にてくてくと入ってくる。

 暗がりで麦茶のパックを迷いなく取り、レジ台に置いた。

「いいよ、明日で」

「だめだめ、こういうことはきっちりしないと」

 言われるままに小銭を受け取る。もうレジは閉めているから、隅の方にそのまま置いた。

 用がすんでも母はなかなか帰ろうとしない。なんとなく、俺の顔と二階の部屋をうかがっているような目を、きょろきょろとさまよわせている。

「誰か、いるの?」

「え? いないよ」

「話し声がしてたから」

「ああ、電話してた」

「えらい大きな声だねえ」

「テレビ電話。……なに、もう用事すんだんなら」

 ほらほらと肩を押し、玄関に向かわせようとした。が、母はびくとも動かない。

「誰かいい人いるんなら、連れて帰んなさい」

 背中から放たれた一言に、ぎょっとして固まってしまった。良さんのことはまだ一言も話したことがないのに、一体どこから。

「な、なに急に」

「あんたがこないだからコソコソ電話したり、夜中に急に走ってったり、休みの日なんて朝から晩まで帰ってこなかったりしたろう」

 食道から胃がすうっと冷える。振り向いた顔は、真剣そのものだ。

「結婚するなら早い方がいいから。向こうさんのためにもね」

「いや、それはできないから」

「え?」

 暗がりで、母の目が凍りつく。顔じゅうの筋肉が、一瞬でビシッと固まった。

「あんた、まさか遊びでフラフラ付き合ってんじゃ……それともまさか、人様の」

 声がむらむらと怒りを帯びて、麦茶のパックがむぎゅうとゆがむ。母の肩に置いていた手を外して、落ち着こうと腕を組んだ。

「いや、そうじゃなくて。ちょっと待って、説明するから」

「一度、連れてきなさい」

「わかった、わかったから」

「ね、約束よ。早いうちにね」

 じっくりと強く促すように頷いて、やっと帰っていった。

 玄関をしめて、真っ暗な店を横切って、明かりのついた二階へ向かう。

 画面をのぞくと良さんがいない。部屋が見える。ごちゃごちゃしていてあったかい、良さんの好きなものがたくさんつまった秘密基地。

 ぼんやり見ていると、かすかな寝息が聞こえた。画面の向こうは近くて遠くて、ほんの少し下を向けば、見れるかもしれないものが見えない。

 切ろうかと思ったけれど、そのままにしておいた。起きてすぐの顔が見たいし、起きてすぐ、まずは良さんの声が聞きたいと思った。


 スマホを取り出して、まずはリカ先生に連絡をとった。

 田舎のお祭りで、ヨガのワークショップを開いてほしいとお願いすると、やってみたいと喜んで返してくれた。

「浦田くんのお店は、どんな感じなの?」

「ツイッター見てもよくわかんないから、もっといろいろ出してみたら」

「私も協力するよ」

 ありがたい申し出だ。言われてみれば、見るだけで、アイコンすら設定していない。これならいくら見てみても、浦田商店のことはなにひとつわからないだろう。

 まずは、店の写真を撮って載せよう。アイコンは屋号がいいだろうか。

 あれこれ考えてみると、ずいぶんぼんやりしたままで、よくまあここまでやってこれたものだと呆れて思う。

 この間の集まりで、聞いて帰った若い店主たちの店の名前を検索した。すぐにヒットする。ページを見てみると、見事としか言いようがない。

 店のよさ、これからやりたいこと、魅力あふれる自己紹介。どれをとっても、企画に慣れた人の仕事だ。

 真っ白な自分のページを見る。まだなにもない。

 自信を持って出せるのは、ばあちゃんから受け継いだ湯飲みとテーブルくらいだろうか。それと御用聞きと貼り紙だ。

 あぐらをかいたまま、うしろの畳にごろんと寝転ぶ。これからどういう店にしていきたいか、いよいよ固めるときが来た。

 ディスプレイの中から聞こえる、良さんのかすかな寝息を聞きながら、ゆっくり目を閉じた。

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