第十一章 つなぐ場所

11-1

 店に戻ると、入り口の前に車が停まっている。黒の大きな乗用車だ。

 周りの景色がてらてらと光るボディに映り込んで、ゆがんで見える。ぐるりと避けて引き戸を開け、中に入った。

「おお、戻ったか」

「叔父さん、ご無沙汰してます」

「なあにを、馬鹿丁寧に。聞いてるよ、いろいろ」

 はあ、と頭を下げて愛想笑いを浮かべる。レジに座っていた父は、ゆっくり丸椅子から立ち上がって、奥の上がり口に腰かけた。

「こっちに上がっていかんかな、義兄さん」

「ほんじゃ、ちょっとお邪魔していこか。車、ええかな」

 ポケットからキーを出しかける。父にちらりと目配せされて、すぐに返事をした。

「大丈夫ですよ、今日は配達も来ませんから」

「そうかい。邪魔になったら言うてな」

 よいしょ、と声をかけ、奥の部屋に上がる。父がお茶を出し、お菓子を見つけて、二人で小さな座卓に座り込むのが見えた。


 ここに住むことになってから、もう半年ほどになるけれど、叔父が来たのは初めてだ。なんとなく気が落ち着かなくて、そろそろとレジの中に入る。

 丸椅子に座るとなにかが膝に当たって、見ると仕入帳の上に小さなチラシが置いてあった。

 白黒のかすれた印刷で、日付を見ると去年の秋だ。「みんなのふるさと つぐみマルシェ」と大きな字があって、屋台やステージや花火や、なんやかんやと書いてある。

 場所は町の駅前広場。俺がここに住んでいた頃にはなかったお祭りだ。

 ふとスマホを出して一枚撮った。最近、ほんとうになんでもかんでも写真を撮って、良さんに送っている。

 こんなどうでもいいようなものまで、と思うけれど、体の距離が離れている分、ひとつでも多く同じものを共有したかった。

 送るとすぐに返事が入る。

「俺も行きたい」と、キッチンカーのスタンプ。見ただけで頬がゆるむ。

「ああ、それ、見たかね」

 父が奥から声をかけ、ゆっくり下りてきた。すぐにチラシを持って立ち上がり、そばに行く。

「こんなのあるんだね」

「去年、一昨年か。町のほうの若いもんが、へ、ふぇ、フェス? いうんかな、ああいう今風のお祭りの真似しようとか言い出してな」

「へえ」

 ピリリリリ、と大きな着信音がした。叔父のため息と舌打ちが聞こえる。

 電話をとって、はい、はい、とぶっきらぼうに答えている。父と静かにしていると、しぶしぶと表へやってきた。

「もう帰ってこいと。まったくうるさいのう。ちょっと寄り道したら、すぐこれじゃ」

 ふひひと父が小笑いをもらして、叔父もにやりと笑っている。息抜きもできんのう、と大きく伸びをした。

 座卓の上を見ると、個包装のまんじゅうが置かれたままになっている。

 叔父が玄関を出る前に、店のナイロン袋にぱぱっとつめて、走って追いかけた。車のエンジンがぐるんとうなり始める。

「これ、持ってってください」

 窓をコンコンとたたいて、袋を差し出した。驚いた顔の叔父は、すぐに窓を下げて手を出してくる。

「ああ、ありがとう。あれ、なつかしいなあ、テーブル。ばあちゃんがおるみたいや」

 ばあちゃん、という言葉にぐっと胸がつまる。すぐに言葉が浮かばなくて、黙って笑って頷いた。

 車はゆっくりと道に出て、細い道路をのんびり走る。空はまだ明るいけれど、ちらちらと星が見える。

 テールランプが見えなくなって、ひとつ大きく息をついた。

「これ、義兄さんがえらい褒めてたで。ああいう人じゃから、お前の顔見ては言わんけどのう」

「え?」

「テーブルもきれいに磨いて、お茶も出して。近頃は御用聞きも始めたと言うたら、理はいい店にしてくれたなあ、て、何度も何度も言うとった」

「そんな、ばあちゃんの真似してるだけだし」

「そうか。でも、義兄さんはそうしてくれて嬉しいんじゃ」

「なんで? コンビニにしたかったんじゃないの」

 父はふと言葉を切って、長い長い息をついた。遠くの空がだんだんと暗くなり、星がますます明るくなる。セミの声もすこし小さくなってきた。

「亡くなってすぐは、みいんな辛いもんよ。ぜんぶ無いなってしまえ、と思うこともある」

 ぽつり、ぽつりと静かな声が、足もとに落ちていく。

 そういえばあのときは無我夢中で、ほんとうはみんながどう思っているかなんて、考えてもみなかった。ばあちゃんの店が消えるのがいやだと俺はしがみついたけれど、叔父さんにしてみれば消したいくらい、強くて濃い大事な場所だったのだろうか。

 自分に当てはめて考えてみると、良さんのカレーを他の人が引きつぐなんて、考えたくもない。誰もあんなふうにはできないと思うし、できたとしても、俺はいつまでも認めないだろう。

 井上カレーのあのバンの、ハンドルを握るのは絶対に良さんだと思っているし、他の人がさわるなんて、良さんが許しても俺が許さない。

「さ、もう閉めるんじゃないか」

 父がサンダルをざりざりいわせて、となりの実家に戻っていく。くるんと振り返って、目を合わせずに強く言った。

「母さんが、たまには食べに帰れと、つまらんそうにしとる」

「あ、うん」

「せっかく帰ってきたのに、となりにおるのに。たまには顔見せえ」

 言い終わらないうちに歩き始めて、玄関に入ってしまう。古い引き戸は、ガラガラ、ピシャンとなめらかに閉まった。

 あのとき直した建付けが、まだ生きている。ばあちゃんの大きな大きな力にはまだまだかなわないけれど、俺にもすこしはなにかある。

 スマホを出して引き戸を撮った。また笑われるかもしれないけれど、どうしても聞いてほしくて、地味な引き戸の写真を送った。

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