第九章 恋愛感情

9-1

 朝日がビルの向こうから、空を照らしている。公園の駐車場に車を停めて、やっとひと息ついた。

 あたりはすっかり明るくなって、ジョギング中の人や犬を連れた人が行きかう。こんな時間なのに、もう公園の一日が始まっていた。


 出店は昼前からだから、まださすがに出店の準備をしている人はいない。もう二度と失言しないためにも、少し休んでおきたくて、眠ることにした。

 頭はカッカとしていて寝付けそうにない。むりやり目をとじてみたけれど、やっぱりどうしても落ち着かなくて、結局うろうろすることにした。

 駐車場を出て、広い公園をのんびり歩く。いつもキッチンカーが集まっていたあたりも、まだ誰もいない。

 がらんとひらけていて、それなのにどこか狭く見える。周りの木々に隠れているのか、鳥がたくさん鳴き合っていて、空気が澄んでいて気持ちいい。

 井上カレーのバンが出る指定の場所から、いちばん近いベンチに腰を落ち着けた。なんとなくスマホを見る。

 あれからはなにも連絡はない。今までごまかしてきたものを、今日こそは言葉にしなくてはと、かたちを整えたくて目をとじた。

 離れた道路の車の音が次第に増えていく。鳥の声が薄くなる。風が気持ちよくて、ついうとうとと頭が揺れる。

 背もたれがありがたくて、うちの店の前のベンチも背もたれをつけたいなと思いながら目を閉じた。


 目が覚めるとめちゃくちゃに日差しがきつくなっている。汗がだらだらと首を伝う。

 おかしな角度で寝ていたからか、肩も首も痛い。まだ開ききらない目をしょぼしょぼさせて、よろよろと木陰に移動した。

 いつの間にかキッチンカーが大集合している。もう昼だ。はっと目をやると、井上カレーのバンがある。その中できびきびと動いている人影も見える。

 見つけた途端に力が抜けて、ずるずると木の根元に座り込んだ。

 まだお客さんは並んでいない。他のキッチンカーも音楽を流していないから、開店準備中なのかもしれない。

 待っているべきだと思ったけれど、ふらつく体が勝手に立ち上がり、まっすぐに歩きだしていた。


 発電機のうなる音。カレーのにおいはまだしてこない。黄色と白のストライプのほろの下に入って、しなやかなTシャツの背中に声をかけた。

「こんにちは」

「あ、すいません、まだ準備中で……」

 振り向いた目がまんまるに驚いて、かわいいくちびるがぱたっと閉じる。そこから動きが止まってしまった。

「ごめん、忙しいときに」

 返事はない。黙って続けている。カレーの容器を袋から出して、まとめて端の方へ重ねて置いた。

「良さん、返事してくれなくてもいいから、俺ここでしゃべっててもいいかな」

「いいよ」

 ぽそりともらえた声がうれしかった。ほっとして両手を握り合わせて、ずっと考えていたことをひとつずつ取り出していく。

「昨夜飲み過ぎてたみたいだけど、大丈夫?」

「うん」

「聞いてもいい?」

「なに?」

 後ろを向いてフライヤーをカゴに入れている。まだ顔は見せてくれないけれど、声がまるくなってきた。たったそれだけのことに、心からほっとする。

「昨夜、誰といたの」

「さっちゃんの知らない人」

「仕事? フットサル? それともカレー関係?」

 振り向いた目がぱちりと合う。すぐにそらされて、また後ろを向いてしまった。一瞬だったけど、たくさんの感情がこもっていたのがわかる。

「どこまで踏み込んでいいのかわかんなかったから、聞きたかったけど聞かなかった」

 一気にしゃべって、ふうっと息をつく。時計を見るとあと少しで開店時間。また焦ってしまいそうになって、もう一度聞いた。

「あのさ、あと十分くらいだけど、まだしゃべってても大丈夫?」

「いいよ。お客さんが来るまでなら」

「ありがとう」

 横顔がほんの少し微笑んでいた。胸の端から端がぎゅうっと締め付けられる。

 去年の夏の終わりごろは、いつもこんな風にここに立って、ささやかだけど大きなしあわせを味わっていた。

「もう一年になるな。良さんのカレー食べてから」

「え?」

「たしか、初めて食べたの去年の秋だった」

「ああ……そうだっけ」

「あれ、覚えてない?」

「うそうそ、覚えてるよ。……さっちゃんの真似」

 目が合って、とてもやわらかく笑っていたから、同じようにくしゃりと頬がほころぶ。周りのキッチンカーはもう営業をはじめていて、いろんな音楽が混じって聞こえてくる。

「で、誰といたの?」

「へ?」

「昨夜。誰と飲んでた? 一人? それとも何人か?」

「さっちゃん意外としつこいな」

「しつこいよ」

 帽子のつばをぐっと下げている。ぷははと声を上げて笑ってくれた。

「だから、こうなるのが嫌だったからずっと我慢してた」

「ああ、そりゃ笑われちゃうよねえ」

「良さんは、どんなに仲良くしてくれても俺だけのものじゃないんだろうって」

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