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目の端でスマホがピカピカ光っているのが見える。手のひらに貼りついていた受話器をはがして、スマホをつかんだ。良さんだ。
「さっちゃん、店あるんだから。そんな簡単に行くって言っちゃだめだよ」
いつものにぎやかなスタンプもなく、たった一言だけ入っていた。静かだ。なんだかいつもと様子が違う。
この店の休みは日曜日。ばあちゃんの代からそうなっているから、俺もそのまま引き継いだ。
お客さんのメインは平日のおばあちゃんや学校帰りの小学生だから、いちばん少ない日曜日に休みを取っているのだろうが、本当のところは、日曜日になるとみんな車で町のスーパーに買い出しに行くから。こんな「古い洗剤とひなびたお菓子しかない」店は、日曜日には誰も来ない。
すぐに返す気力がなくて、久しぶりに良さんのSNSを見た。出店再開のお知らせと、日付と、あの公園の場所。「新作は特にありません」と顔文字でにこやかにくくっているのが、良さんらしい。
最近の投稿をくるくるたどった。仕事の愚痴、空の写真、天気の話。新作のコーヒーがおいしかった話。前と変わりない。
めくっていくと、ニュースの記事やキャンペーンのリツイートにはさまれて、見逃しそうになるほど短い一行がぽつりとあった。
「会いたい」
どきりと心臓が跳ねる。前後を見ても、なにもヒントになるようなことは書かれていない。
時間を見たら真夜中で、眠れなかったのか、仕事が長引いたのか。情けないことに、この日は電話をしたのか、そもそも前回話したのはいつだったか、すぐには思い出せなくなっている。
傘をバサバサと振る音がして、引き戸が開いた。小さな巾着袋を下げたおばさんが、がばっと店に入ってくる。
「まだいいかな。洗剤一本だけちょうだいな」
「はい、どうぞ」
せかせかと食器洗いの洗剤をつかみ、レジが揺れる勢いでドンと置く。代金が払われ商品を渡すと、はいどうも、とまた急いで帰っていった。
心はまたスマホの中に戻る。会いたい、の言葉に込められた、まっすぐで苦しい気持ちは誰に向かっているのか。すぐに聞いてみようと指を動かせたらいいのに、うまくまとまらない。
つい衝動で発注をかけたけれど、支払いは間に合いそうか。急に一商品を増やすとすれば、一応は埋まっているこの棚の、どこをどう開ければいいか。
やることも考えることも山ほどある。スマホをポケットへねじ込んで、まず目の前の仕入帳を広げた。
夜は八時に店を閉める。ガラス戸の内側のカーテンを閉め、戸締りをしていると、ばたばたと誰かが走って来たりする。
それ以降も、二階の明かりがついているからか、意外と遠慮なくチャイムを押されたりガラス戸をノックされたり。明日学校で使う物差しが割れていたとか、麦茶のパックをうっかりきらしていたとか、いろんな理由でちらほら訪ねてくるから、意外と気が抜けない。
最初の頃はいつまでたっても休めないとイライラしたけれど、「助かった」と喜ばれるとこちらもほっとするようになって、すっかりおなじみになってしまった。
今は、テレビをつけても音楽をかけても、外の気配がわかるように、少し控えめにしている。
それもさすがに十時を過ぎるころには収まる。そこからは本当に気を抜いて、店のことを集中して考えることにしている。以前はこの時間が良さんに相談と言いつつ通話する時間だったけれど、最近はひとりで集中して考えたくなって、パソコンを立ち上げて帳簿をつけたり調べたりと、眠くなるまで作業していた。
ムームーとスマホがうなる。放っておいても切れないから、取り上げてみると良さんだった。
「はい」
「あ、さっちゃ~ん? こんばんは~」
だらしなくゆるんだかわいい声。外の雑踏も聞こえる。
「飲んでる?」
「ピンポ~ン」
「リカ先生とか?」
「ないしょ~。さっちゃんの知らない人」
「なにそれ」
「さっちゃんの真似。俺に内緒ばっかりだから」
雑音がひどくて途切れ途切れになる。もうずっと聞いていない駅前の音だ。
「なんで黙るの~? 誰かいるの?」
「いないよ。危ないから切ってちゃんと歩きなよ」
ひゅんと息を吸う音が聞こえた。
「わかった」
ぷつりといきなり通話が切れる。外から虫の声がする。いつもの静かな部屋に戻って、次に仕入れようとしている商品が表示されたディスプレイを見た。
今期のアニメとタイアップしたスナック菓子で、中身はただのチョコ。おまけでついているカードが、売っているカードセットに入っていないものらしい。いわゆる、おまけを抜いたら捨てられる類のお菓子だ。
マニアはもう箱で仕入れてオークションサイトで高値をつけている。大人はわからないが、子どもはこんなところまで手が届かないから、自分でひとつずつ買って試すしかない。
ふとさっきの良さんが気になって、スマホを手に取った。履歴をめくっている最中に、また通話がかかってきた。
「はい」
「さっちゃん?」
「無事に帰れた? 今こっちからかけようと思ってた」
ふしゅっと空気がもれる。笑っているのかひと息ついたのか、わからない。
「大丈夫? あんまべろんべろんになるなよ」
「なんだよそれ、何様だよ」
声が笑っていない。いつもの冗談のような掛け合いでもない。
「最初は毎日すがってきたくせに、自分が調子よくなったらほったらかしかよ」
「良さん?」
「会いたいって言ってんだろ、バカあ!」
ひええんと悲鳴のような声がした。泣き出している。疲れて半分寝ていた頭が、はっきり覚めた。
「え、あれ俺に?」
「他に誰がいんだよ」
「いや、だって、良さんいろんな人と仲いいから……あ、そういう意味じゃなくて」
「人を八方美人みたいに言うな」
「八方美人じゃん。ああ、さみしんぼう?」
「なにそれ」
「リカ先生が言ってたから、人恋しすぎるって。ほら、俺と仲良くしてくれてるのも、たぶんそういうことかと思ってた」
慌てれば慌てるほど、言ってはならない言葉が飛び出していくのがどうにもならない。スマホの向こうでひりひりと空気が震えているのがわかる。
「でも、良さんはどうか知らないけど、俺はずっと」
「さっちゃんのバカ! なんだよリカとばっか仲良くして!」
「は? ちょっ、ちょっと待って」
「待たない。明日出店だもん、寝る」
「りょっ、良さん」
ぷつっと空気が断ち切られる。外でまた鳥がギャアッと鳴いた。夜の鳥はどこか悲し気で、さみしそうで、ひとり荒れているようで、嫌いだ。
ローテーブルに額を打ちつけた。スマホがゴトンと飛び上がる。言いたいことはまったく言えず、言うつもりのなかったことばかりを手当たり次第にぶつけてしまった。
スマホがふるえてすぐに手に取ると、ただのリマインダーだった。今日の予定が一瞬画面に出る。「良さんのカレー食べに行く」と間抜けでしあわせそうな文字が横切った。
机の上のキーを取る。スマホと財布をつかんで、ばたばたと下へ降りる。配達用の車に飛び乗って、エンジンをかけた。真っ暗な野道をガタゴトと揺れながら、上限ギリギリの速度で車を飛ばした。
東へ東へとひたすらに走ると、目の前の空が白けてくる。そういえば道も調べず飛び出してきたけれど、高速に乗ればどうにかなるだろう。
リーンリーンといやな警告音が鳴って、ガソリンのランプが点灯している。のどがかわいて死にそうだ。
さっき良さんに怒られて、ほんとうはそれがめちゃくちゃに嬉しかったことを、早く説明したくてたまらなかった。
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