7-3

 夕方になると小学生が何人かやってきて、めずらしそうにのぞいているのがガラス越しに見えた。レジの丸椅子から腰を上げ、ガラス戸に近寄る。俺の姿を見たとたん、ぱっと離れて走り出した。

 ガラス戸をあけて首を出す。きゃっきゃっとはしゃぎながら、まるでおばけでも見たような騒ぎっぷりで、一目散に野道を駆けていく。

 まだ背中より大きなランドセルががちゃんがちゃんと音を立てて跳ねる。高学年らしき子どもは大荷物でも軽やかに走り、小さな子が必死に追いかける。見ていたら頬がゆるんで、何度も何度も振り返る子どもにひらひらと手をふった。

 きゃあきゃあと騒ぎながら、いちばん小さな子がぴたりと止まってふり返してくれた。それからまたぱっと走り出す。

 店の中に戻って、入り口の棚に置いてある駄菓子を見た。明日から、天気がいい日は外へ出してみようかと端の方をぐいっと持ち上げる。金属の棚は見た目以上に重くて、ううんとうなってもわずかしか動かない。

 本体ごと出すのはあきらめて、ちいさな棚を用意しようか。それともガチャポンでも置いたほうが、足を止めてくれるだろうか。

 考えることはいくらでもあって、なんの制約もないからどんな風にでもできる。それがこんなに楽しくて、こんなに心もとないなんて、全然知らなかった。

 ばあちゃんはどういう根っこをかまえてここに座っていたのだろう。なにも聞かずに過ごした貴重な日々がなつかしくて、くやしくて、目をとじて必死に思い出そうとした。


「ガチャポンの機械かあ……」

「昔の駄菓子屋とか、入り口にあったでしょ。あれやってみようかと思って」

「ええ、それいつの昔?」

 耳に心地いい、やわらかに笑う声。商売のアドバイスがほしいと言い訳をして、夜になると毎日のように良さんに話しかけた。

 仕事終わったらちょっと相談させて、とメッセージを送ると、だいたいいつものビッグスマイルが返ってきて、なんでもないような通話が始まる。この時間がとても好きだ。

「いいと思うんだけど、なくてもいいと思うよ」

 否定を差し出してみせるときも、まず肯定から入るのが良さんらしい。ドキッとして聞いた。

「なくてもいい?」

「うん。小さい子ならたぶん、そのうち親について店にくると思う。それで慣れたら、なんにもしなくてもひとりで来るようになると思う。あくまで俺の予想だけど」

 うひひと笑う声までうれしい。同じように笑って、手元のペンをくるくる回す。

「それにね、まあ、こんなこと言うのもなんだけど……」

 声をひそめて、咳払いまでした。

「自販機とかガチャポンってね、荒らされるときは荒らされるんだよね。いや、もちろん必ずじゃないけど」

「ああ、なんかわかる」

「だから、なくてもいいならそのまんまでいいと思うよ」

 わかる、と返すとなんとなく味方を得たように声に張りが出る。良さんのこういう素直な反応が大好きだ。

 それにしても、そのまんまでいい、という言葉がなにか引っかかる。考え始めてみたけれど、すぐには取り出せなくて、ペンを握り直してメモに残した。

「順調だねえさっちゃん。うらやましいよ」

「良さんのおかげだよ」

「いやいやいや、俺なにもしてないし」

「してる。アドバイザー兼コンサルタント兼……」

 あっはっはと笑い声が届く。ほんとうに、こうしていてくれるだけでどれほど助かっているだろう。

 ほぼほぼ勢いで会社をやめ、部屋を引き払い、祖母がいた家に住み店を回すことになった。自分で決めたこととはいえ、あまりに先の見えないあてのない日々で、正直恐ろしくなることもある。

 一年、三年、十年とたったとき、俺はここでひとり気難しい店番のじいさんとして居座り続けるのだろうか。絶対に自分で払うと啖呵を切ったこの店のローンも、自分の借金も、こんな細々とした経営で本当に払いきれるのだろうか。

 店の前の田んぼは田植え前で土がおこされ、モンシロチョウが飛び、野道には小さな花がふわふわと揺れている。空気が澄んで空は高くて、見渡す限りの青空にどこまでも雲が伸びる。

 こんな贅沢な風景はそうそうないとわかっているくせに、見ても見てもどこか心の奥までは入ってこない。頭の中は不安でいっぱいだった。

 ひとりで耐えるのが当たり前と思っていたけれど、どうにもならなくて良さんに相談した。さすがにほんとうのことは言えなくて、他愛もない話ばかりこぼしている。

 それがよかったのか、それがほんとうのところなのかはわからないけれど、ずいぶん助かっているし癒されている。

「良さん」

 ぽつりと名前を呼ぶと、うん、と気の抜けた声が返ってくる。それがうれしくておかしくて、声に出さずに小さく笑う。

「なに? なに一人で笑ってんの」

「なんでもない」

「またあ? さっちゃん秘密多すぎるでしょ」

「そんなことないよ。良さんにはなんでも話してる」

「うっそだあ」

 窓の外はしんとして、前に住んでいたマンションのような、かすかな雑踏も聞こえてこない。ときどき夜に鳴く鳥の声がして、他には葉擦れの音がたまに聞こえてくるだけ。

「良さんの声だけあれば十分だと思って」

 ぴたりと動きが止まる。見えるわけはないけれど、スマホから耳もとに聞こえてくる一切の音が止まったから、そんな気がした。

「さっちゃんはさあ、いきなりすごいこと言うよね」

「え? そう?」

「うん。心臓ちぎれるかと思った」

 俺が少し笑うと良さんも笑う。こんなか細い電波でも、つながっている、とたしかに思える。

 なかなか言葉にできない感情ばかりがぐるぐる回るけど、それでもいい、と思った。

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