7-2

「長男が相続した、っていう面子が欲しいんだよ、兄さんは。それさえすめば、あとはまあ……ここコンビニにしたって、実際どれくらい入るか」

 母は何もかもわかっていたという風に、ふっと下を向いて笑った。叔父さんはなにがなんでもこの店をつぶしたいのだと思っていたけれど、そういうことではなかったようだ。

「もう、あんな年になっても子どもみたいだろ、見栄ばかり気にして。相場よりちょっとは引いてもらったから、あんたは心配しなくていいからね」

 ゆっくりゆっくり、深呼吸をした。そうしないと、ぐしゃぐしゃと絡まったものがぼろりとこぼれてしまう。

「金額とか、口座とか、教えて。少しずつでも払うから」

 のどの奥からせり上がってくるものを、抑えつけてそう言うのが精一杯だった。俺はまた、なんの役にも立たなかった。

 丸椅子をじりりと引いて、レジスターの下をごそごそ探している。ちゃり、と鈴のような音がした。

「これ、裏の玄関の鍵。ほら、取りにおいで」

 椅子に座って子どもみたいに足をぶらぶらさせながら、腕をぴんと伸ばして微笑んでいる。いつかの祖母の姿と重なった。

 手のひらにのせてもらうと、ほのかな重みがある。一番最初の澄んだ銀色が色あせて、くもってそれがまた磨かれて、もはや金色がかっている鍵は、店の中のわずかなひかりを反射して静かにかがやいている。

「ありがとうございます」

 腰を折って頭を下げた。からっと笑って、母が椅子から立ち上がる。

「さあて、ごはんにしようか。荷物はいつ来るの」

「夕方には来ると思う」

「布団は、うちにもあるからね。ちょっとずつきれいにして……ああ、丸本さんにも頼んどかないとね」

 町にある問屋の名前だ。母はうきうきと、古いタイプの連絡帳をめくる。

「早いうち商品入れてもらって、ここを開けよう。それからご近所さんにも挨拶状……」

 はっとして、急に連絡帳をぱたんと閉じた。よいしょ、とつかんで、俺に押しつけてくる。

「ここから先は理の仕事だね。ごめんごめん、好きなようにしたらいいよ」

「え、そんないきなり?」

「なに言ってんの、一回やったことあるんでしょう」

 俺が友達とやっていたのは会社同士の商売で、こんなふうにひとりひとりのお客さんを相手にする商店じゃない。一度か二度、母にも説明した気がするけれど、大きくくくってまとめられているようだ。

 夕食の支度があると言って、母はさっさととなりの自分の家に帰っていった。からんとした祖母の店に、ひとり取り残される。

 天井の蛍光灯も、端がずいぶん黒くなっている。できることならLEDに取り変えたいし、くすんでしまった窓ガラスも全体に磨いて、それから剥がれかけの壁紙も。板壁の部分は塗り直して、もっと明るい店にしてみたい。

 ぐるりと見回しただけでも、手をつけたいところがこんなにもある。棚に並んだまばらな商品と、色あせた洗剤のパッケージが目に入って、飾りつけよりもまずは中身だ、と肩の力を抜いた。

 



「さっちゃんが帰ってきたら、もう安心ねえ」

「いまどき、めずらしい親孝行じゃ」

「うちの子も帰ってくるとか来ねえとか、でも向こうに家を構えたからねえ……」

 朝八時に開店して、すぐにお客さんが来る。こんなに早くからは誰も来ないだろうとのんびりかまえていたから、慌てて作業の手を止めた。

 営業時間が長くて、お客さんはまばらで、待ち時間はぽかんと座っているしかやることがない。手元でできる作業を持っておくといいと母に教えられ、とにかくなにかヒントがほしくて、祖母の仕入れ帳を広げていた。

「ありがとうございます。また来てください」

「あら、気の利いたこと言うね」

「ここしかないからね、いつでも来るよ」

 おばあちゃん達はかっかっかと元気に笑う。井上さんがしていたように、商品を入れた袋を両手でそっと包みこんで渡すようにした。気のせいかもしれないけれど、お客さんの目が一瞬だけ、うれしそうにきらりとかがやいて見える。

 洗剤、調味料、スナック菓子と、家にいくらあってもいいようなものがぽつぽつ売れる。

 ここから車で三十分の大型スーパーへ走った方がいくらか安く買えるし、ネットショップでまとめ買いしたり、業務スーパーに行った方が確実に安く買える。おばあちゃん達にはその足がないのか、方法がないのか、そこまで量があっても使いづらいだけなのかわからないけれど、ここの少し割高な商品をありがたそうに買っていってくれる。

 買い物がすんだら、表に置いてあるベンチに座ってのおしゃべりが始まる。最初はひとりで休憩しているのかと思ったら、もうひとり来て、次に買い物に来た人がそこで足を止める。

 うわさ話や畑の様子、テレビのニュースや今朝の新聞など、話題には事欠かない。長い人は一時間ほどのんびり座って、すっかり充実した頬をして帰っていく。

 祖母がここにいた頃は、祖母もその輪に入って一緒におしゃべりをしていた。一日中いろんな人と話していたから、すっかり情報通になっていて、あの話はどうなった、と聞きにくる人もいた。

「なあ、ウメちゃん、前に……」

 ベンチで話している一人がふと店をのぞいて声をかけ、しまったという顔をした。

「ばあか、今はウメちゃんじゃないと」

「ああそうじゃった、そうじゃった。ここでしゃべってたら、ついね」

 一瞬だけ空気がしんみりする。すぐに誰かが話し始めて、それもどこかへ流れて行った。

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