5-4

「あら、戻ったの」

「ごめん、抜けてて」

「いいよいいよ。今日帰ったとこで、疲れるでしょう、こんなところ」

 従姉になだめられて、そっと末席にすわった。話し合いはいよいよヒートアップしている。いつの間にか立ち上がっているのは、叔父と、叔母と、うちの母だった。

「まあまあ、義兄さんも。お前も、ほら、座らんか」

「痛い痛い、ちょっと、引っ張らんでよ!」

 鼻息が荒くなっている母の腕を、父がつかんでいる。引きずるように座らされ、叔父もつられて腰をおろしている。

「どうなってるとこ?」

 前に座る従姉にこそっと聞く。

「さっちゃんとこのお母さんらが継ぐってなりかけてんだけど、その、歳が歳だから……」

 気まずそうに目が泳ぐ。この人はほんとうにやさしい。

「その後はどうすんだって。さっちゃんも美樹ちゃんも東京で、帰ってくるわけないんだからって」

「ああ……」

「だから、うちのに継がせろって」

「うちのって、誰?」

「私は無理よ、旦那さんとこの店があるもの」

「妹の雪ちゃんは?」

「あの子らも無理よ。やっと家建てたとこなのに」

「なら、誰も無理ってこと?」

「そうよ。だからこんな話し合い、するまでもないのに」

 従姉が仕方なさそうに、やさしい目で頷く。しみじみと労わってくれているのがよくわかった。

「さっちゃんが結婚して、こっちに帰ってくるかもとか、おばちゃんが言ってたよ」

「それはないわ」

「そういう言い方しないの。美樹ちゃんとさっちゃんしかいないんだよ」

 ほのかに強くなる語気に、はっとした。両親には、俺と美樹しかいない。美樹は、あのままいけば東京で誰かと結婚するのだろうか。そうなると、父と母のことをあずかるのは俺だ。

 目の前の話し合いは、他人事ではない。さっき外で浴びてきた冷たい風が、急に心臓に届いたようだった。ふうっと息をはいて、ぐっと腹に力を入れる。それからまっすぐに背筋を伸ばした。

「さっちゃん、なんだか見違えたね」

「なんで、どこも変わってないよ」

「背すじがピッとして、顔もりりしくなった」

 従姉の抱いている赤ちゃんが、くりくりした目で見つめてくる。ふざけて顔を突き出すと、だあ、と喜んでくれた。

「ほんとにね、いい人いるんなら連れて帰ってあげて」

「やめてよ姉ちゃんまで」

「あら、おばちゃんみたいだった?」

 ああらあら、と小さくおどけて赤ちゃんを揺らす。赤ちゃんはちいさな握りこぶしを元気にふって、一緒に笑って踊っている。

 まんまるな瞳をのぞいていると、あんまりにまっさらで透明で、なにもかも見透かされているような気がしてくる。

「ほんとに誰もいないの?」

「姉ちゃん、しつこいな」

 笑って首をかしげると、赤ちゃんも一緒に首をかたむける。きゃっきゃっとはずむかわいらしい声が、まわりの人を和ませている。

 不毛な話し合いに飽きてきた、従姉のまわりの半径数人の人が、赤ちゃんを小声であやす。にこにこと笑顔が広がっていく。

 その様子を見ていたら、じわじわと世界のピントが合ってきた。見える。

 さっきからおぼろげに浮かんでいて、でもそれは無理だろうと押しこめてきたものが、じわじわと形をつくって浮かび上がってくる。


「俺も行ってみたい」

「おいでよ」

「その後はどうすんだって」


 さっき井上さんにもらったメッセージと、俺の返事。従姉から聞いた、話し合いの原点。頭のずっと底のほうで見つかった答えが、今にも外へ外へとせり出してくる。

 目をとじて、答えの中心をじっと見つめてみる。大好きだった祖母の笑顔。店から生まれる明るい声。いつかの公園の井上さんと、キッチンカーと重なって、ぱちんとはじけた。

「はい」

 腹から声を出し、まっすぐに手を上げる。ヨガに鍛えてもらったおかげか、俺の手は空に引っぱられるように高く高く、真上に上がっていた。

「なにあんた」

 母がこっちを向く。ぎょっとした空気が広がって、みんながいっせいにこっちを向いた。

「俺が継ぐ」

「なにをいきなり……いいからそこで座ってなさい」

 早口でまくしたてられる。ぎろりとにらむ母の目が本気だ。

 大きな座卓の向こうでは、叔父のダブルの喪服の腹が、どっしりとせり出している。まっすぐに目を見て言った。

「俺がばあちゃんの店を継ぐ」

 ざわり、と大きく場がうねる。目の前の従姉も、まんまるな目をして、口をぽかんとあけていた。その顔と、俺のぴんと張った腕を見て、赤ちゃんがうれしそうにころころと笑う。

「なに、結婚でも決めてきたか」

「それはない」

「それはないて、そしたらひとりであの店こもるつもりか。身の程知らずの借金かかえて、とうとう東京暮らしが辛くなったか、ええ?」

 叔父が背もたれからわずかに身を起こした。重く太い声と目が刺さる。伸ばした指がへなへなとしおれかけて、もう一度ぐっと伸ばした。

「借金はあと二年で返せます。うちの親が継いで、その後は俺も手伝う。叔父さんのほうには適当な人がいないんだから、これでいいんじゃないですか」

「理、いいから黙っといて」

「すまんね義兄さん、あれは頭に血が上って……」

 父と母が交互になだめて、叔母がそそくさと立ち上がる。そのへんの女の人に声をかけて、ささっと部屋を出た。

「わかったわかった。とりあえず、今日のところはお開きにしよ。おい、お通夜の準備」

 ぱんぱんと大きく手をたたいて、叔父がまとめた。端のほうの数人が、客間の物入れからさらに座卓を運んでくる。客間との境のふすまが外されて、すぐに大きな宴会場が出来上がった。

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