5-3

 叔父の家に着くと、塀のまわりに何台もの車が路駐している。大きな玄関は、たくさんの靴で埋め尽くされていて、かなりの数の人が集まっていた。

 母が中に向かって声をかけると、ぱたぱたと小走りで叔母が出て来た。喪服の上からかけたくすんだピンクのエプロンで、手をぬぐっている。

「あら、ふくちゃん、お父さんも。……ええと、こちらは、どちらさま?」

 母を見て、父を見て、それから俺を見て、不思議そうに小首をかしげた。母がくすくす笑っておかしそうに、叔母の肩をぽんとたたく。

「やあだ、うちの子よ」

「ああ! さっちゃんかい! まあまあ、立派になって」

 すっかり背中が丸まって、小さくなった叔母に向かってぺこりと頭を下げる。くしゃくしゃと笑う顔を見て、もんやりとなつかしさがこみ上げる。

 背中はすっかりまるまったけど、声は変わっていない。髪も体も薄くなってはいるけれど、目はらんらんと輝いていて、むしろ昔より生き生きとしているようにも見えた。

 

 大広間の客間に通されて、端のほうに座り込む。見覚えのある顔もあるし、きっとお互いに見たこともない、きゃあきゃあと走りまわる小さな子どもも。このみんなが、たったひとりのばあちゃんから、枝葉に分かれて生まれてきたのだと思うと、気が遠くなるような感じがする。

 部屋の奥にどっしりとした棺が横になっていて、まわりには大げさな飾りもしつらえてある。線香のにおいが漂っていて、暖房も控えめにしてあった。

 大きな額縁の中にいる祖母が、凛とした目でこちらを見渡している。こんなに元気な顔で写真におさまっているのに、もうどこにもいないなんて、まだ全然ほんとうのこととして受け止められない。


「えー、集まったんならはじめよか」

 部屋の中心に、木目の強い大きな座卓がある。そのいちばん奥に座った叔父が口火を切った。叔父の頭の上のほうから、祖母もじっとみんなを見ている。

「ばあちゃんの店、と家の、土地と建物をどうするか」

 しん、と場が静まる。風が窓を打つ。ちいさな子が、こわい、と声を上げて、太い腕にしがみついているのが見えた。

「うちでいいなら、うちが継ぐよ」

 母が、遠慮がちながらくっきりと手のひらを上げる。その小さな手のひらに、いっせいにみんなの視線が突き刺さった。

 叔父がちらりと目配せをする。視線の先にいる叔母が、丸まった背中のまま、おずおずとあごを上げた。

「あれは、あの、うちが継いで更地にもどして、コンビニかなんかに貸したほうが」

「でも、近所の人が、あの店はあのまんま続けてほしいと」

 口ごもりながらも返す叔母。気圧されながらも曲げない母。

 まるでテニスの試合のように、みんなの視線が代わる代わる動く。母と叔母のあいだに、見えないけれど、しっかりとした壁があるのがよくわかった。

「あの店がないと困るという人が、ほんとにいるのよ。この間も山の上の……」

「あんな薄暗い店、近所の人が来るだけでしょう。今風のコンビニのほうが、どんなにか」

 母の言葉を、叔母が遮る日が来るとは思わなかった。

 額縁の中の祖母はなにも言わない。穏やかに笑う目は、ガラスの反射でかすかにうるんでいるようにも見える。祖母がこの場にいてくれたら、ぴしゃりと一発でおさまって、あんなにゆがんだみんなの顔を見なくてもすんだかもしれない。

 周りにいる親戚が、聞きたくもないことをこそこそと話す。叔母も母も叔父も父も、そんなにねじ曲がった人間じゃない。少なくともうちの父と母は、質素に堅実に暮らしている。けんけんと言い合いが続く部屋を、そっと抜け出して庭に出た。


 こっそりつかんできた上着を羽織って、真っ暗な庭を見回した。客間と居間からもれてくる明かりで、敷石がほんのり照らされている。奥のほうに良さそうな岩を見つけて、ふちに腰かけた。

 ふとスマホを出す。メッセージはない。SNSを見てみると、あたらしい投稿があった。

「俺も田舎に帰りたい~」

 どきんと胸が鳴る。勘違いかもしれない。でももし、俺のことが井上さんの頭の片隅に、すこしでもあるのだとしたら。外に向かって書き込まれた、自分のかけらを見るのははじめてで、ばかみたいに胸が騒いだ。

 重苦しくなっていた肺が、ふわんと宙に浮かぶ。吸い込む空気の、土や葉のにおいがぐんぐん迫る。にやにやがおさまらなくなってしまって、真っ暗な中で一枚写真を撮った。

「見える?」

 メッセージをつけて送る。ぼんやりとうつる松の木と、明かりがこぼれる母屋の縁側。もっときれいな写真を送ればよかったのに、どうしてかここを送ってしまった。ここにいる俺と同じものを、今すぐ見てほしいと思った。

「旅館?」

 すぐに返事が入って、ぐっと息がつまる。母屋からは、言い合う声が次第に大きくなって、たのしくなさそうな抑揚だけが響いてくる。

「親戚の家」

「すっげー! 俺も行ってみたい」

 ビッグスマイルのスタンプ。今日も見れてよかった。風が強くて耳が痛くなってきたけど、中には入れない。

「おいでよ。なんにもないけど」

「まじか! そういうの超憧れる」

「井上さん、田舎は?」

「俺実家が東京だから、ないの」

 情けない顔のスタンプに癒される。ひとりで笑って、ふと顔を上げた。よく見ると、雲が明るく照らされて、目まぐるしいくらいに流されていく。まんまるな満月がのぞいて、思わずスマホをかざした。

 スマホの中の月は、なかなかつかめない。ぼやけた輪郭をどうにかしたくて、画面を何度もなでてつついて、やっとうまく撮れた。すかさず送る。

「月。そっちと同じかな」

 ビルの街でも、たぶん同じように出ているはず。同じ月あかりが届いているはずだ。

 そう思うと急に力がわいてきて、ひざにぐんと力が入る。そろそろと部屋に戻った。

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