4-3

「さっちゃん、いい感じになじんできたね」

「ありがとう。おかげさまで」

「私、さなっていうの」

 お団子の後れ毛がかかる耳たぶに、ちらちらとカラフルなピアスが揺れる。にこりと笑うとえくぼが見えた。

「あれ、俺とおんなじさっちゃんじゃん」

「そう! さっきそれ言いたかったんだけど、ごめんね彼氏が」

「いいじゃん、幸せそうだったよ」

 にっこり返すと、ぷっくり頬を上げてうれしそうに笑う。かわいいなあ、と思った。

「さっちゃんも幸せそうだったよ、さっき。良さんもね」

 カレーの皿を受け取って、離れる直前にこそっと教えられた。大した意味がないことは分かっているのに、どうしてかそのひとことがずっと残る。

 みんながみんな、それぞれに、好きな場所でカレーを食べている。フロアとテラスにそれぞれテーブルがあって、ソファの前にもローテーブルがある。フロアの真ん中に三つあるまるいテーブルは、空の皿でいっぱいだ。

「食べてないんじゃない?」

 井上さんがこそっと声をかけてきた。見ている限り、なにも食べていないのはお互いさまだ。

「井上さんだって、そこから一歩も動いてないでしょ」

「俺はいつものことだけどね。浦田さんカレー食べたくて来たのに、うっかり最後まで手伝わせちゃって」

「いいよ、あとで食べるから」

 首を伸ばして鍋をのぞくと、底が見えない。もうひとつぐいっとのばして中をのぞきこむと、やっと見えた。空の底が。

「ない……」

「うん、その、だから、ごめん……」

 謝りながらもにまにましている。久しぶりのカレーが、大好評のうちに完売してうれしいと顔にかいてある。おかしくて吹き出した。

「あははは、なに、もうないの?」

「人数分プラスアルファ作ったはずなんだけどなあ」

 ふんわりした眉毛が八の字に下がる。レードルをカランと鍋にかけた。

「おかわりいっぱい来た?」

「いや、最初から大盛りが多かったかも」

「そっちかなあ」

 もっと話そうとしたらのどがはりついて、グラスのフルーツウォーターに手を伸ばす。さわやかでみずみずしくて、ほんのり甘い。

「ああもうおなかいーっぱい。浦田さん、ゆっくり食べられた?」

「いや、それが……」

 ぽんぽんとおなかをなでるリカ先生に説明しようとして、おかしくて口がゆるむ。こらえきれずに吹き出した。

「俺がどっかで間違ったみたいで、残ってなくて」

「えー? 食べてないの?」

 がっしりと腰をつかんで、反対の手を頭にのせている。ヨガで鍛えたまっすぐな姿勢と、おじさんみたいな仕草が妙にツボにはいってしまって、体を折って笑った。

「なあに、浦田さん笑い上戸?」

「なんだろ、さっきから。腹減りすぎて変なのかな」

「良ちゃんも食べてないんでしょう。ほら、これだけとっといたから」

 目じりの涙をぬぐっていると、目の前にちいさな焼き菓子が出された。ピンクと水色のふわふわドームに、チョコがとろりとかかっている。

「リカさすが! ありがと」

「俺も、いただきます先生」

 二人でつまんでぱくりと食べた。さくさくの生地を口にいれると、しゅわっととける。あまくてうまくて、ぎゅっときた。

 となりで井上さんが、大げさに背中をそらしてうまいと叫ぶ。リカ先生が、んもーと言って呆れている。

 ひとり、またひとりと、散り散りに解散していく。テラスから夕日が差し込むころには、井上さんと二人きりになった。皿を片づけ、ごみを拾い、床にモップをかける。手を動かしながらいろんな話をした。


 途中でがまんできなくなった井上さんが、こっそり持っていたおやつを出してきて、二人で食べた。もぐもぐと頬を動かす。無性に楽しい。

「カレーが食べられるって聞いてきたのになあ」

 ぽつりと言うと、ふはっと吹き出す。

「もう、それずっと言われんのかな、俺」

「言うよ、食べるまで」

「じゃあ今度。って言っても、休みがなあ……」

「そんなに忙しいの?」

 パンの袋をくしゃりと丸める。ごくんと大きく飲みこんで、息をはいた。

「俺のエリア、人が足りてなくて。担当増やされてるから」

「そっか。……うう、カレー」

「わかった! 俺が浦田さんとこ行ってつくる!」

 あははと軽い笑い声。まるい目がますますきらきらひかる。俺はなにをしようとしていたのか、無意識のうちに腕のほうへと手が伸びて、あわてて握って引っこめた。

「ま、ないか」

 井上さんがぱんぱん、とひざをたたく。よし、さっさと片づけよう、と立ち上がった。さっきからずっと目で追っているのに、横を向いていて表情が見えない。

 行ってしまう、と思うのと同時に体が動く。エプロンをつかもうとしてやめて、あたたかそうな腕をつかんだ。ぎょっとした顔で振り返る。

「えっ、どした」

「つくってよ、カレー。うちでも、だめなら井上さんちでも。ここでも、他の場所でもいいし、どこだって行くから」

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