4-2

「良さん、まだあ? おなかすいたよ」

 頭のてっぺんに大きなおだんごをつくった女の子が、カウンターにもたれかかってきた。にっこりと俺を見る。

「あ、学校の先生? どこの高校?」

「え? まさか」

 ちょっと笑うと井上さんも笑った。

「この人はふつうの会社員。俺の日曜日のお客さん」

「なーんだ。良さんいろんなところから連れてくるから、先生かと思った」

「学校にも売りに行くの? カレー」

「ずっと前にね。イベントとかに入れてもらったり」

「へえ」

 そこで新しく知り合った人を、こういう場へ連れてきて、とどんどん人の輪が広がっていく。ぜんぜん知らない人同士だけれど、井上さんのカレーが好き、という共通点がある。だからなんだか居心地がいいの、とお団子の彼女が教えてくれた。

「お兄さんスーツ着てるし、なんかピッてしてるから先生かと思った。ごめんね」

「お兄さんじゃなくて、浦田さん」

 井上さんがいちいち口をはさむ。自然と顔がほころんだ。

「じゃあうーちゃんでいいか。うーちゃん」

「いや、それは……」

 さすがに苦笑して、腕を組んで首を傾けた。レードルをぐるぐるしていた井上さんが口を出す。

「さっちゃんは? さとしだから」

「あ、かわいい。じゃ、さっちゃん、よろしくね」

 小首をかわいらしくかたむけて、握手の手を差し出してくる。慣れない感じに一瞬戸惑ったけれど、場の空気におされて同じテンションのふりをした。

「よろしくね」

「私、美大の……ちょっと、もう!」

 女の子のぷくぷくした手にふれようとした瞬間、誰かの手が伸びてきた。キッとした目つきの若い男子が、彼女の手をつかんで引っ込めている。

 お団子の彼女は、ごめんね、と口を動かしながらそのまま連れていかれた。同年代らしき男子は、離れてからもこっちをチラチラうかがっている。

 井上さんのほうを見ると、俺とおなじ苦笑い。小さい声で聞いた。

「彼氏かな」

「かなあ。かわいいね」

「あの女の子?」

「うん、ふたりとも。嫉妬したんだよ、浦田さんかっこいいから」

「はは、まさか」

 引いて笑うと、井上さんも笑った。カレーの鍋はぽこぽこと泡をおこしている。テーブルの上の軽めのフードもだいぶ尽きてきた。

「さて、配るか。浦田さんも手伝ってくれる?」

「え、いいの?」

「もちろん。今日はこっち側にいてよ。……あ、でもよごれちゃうかな」

 井上さんの指が、俺のジャケットのすそをくいっとつまんだ。遠慮がちにほんのすこしひらいて、中のシャツを確かめるようにのぞいている。

「脱いどく?」

「ああ、うん」

「あっちにコート掛けあるから」

 そっとレードルを置いて行ってしまう。ジャケットを肩から落としながら、ついて歩いた。心臓がまだおかしなスピードになっている。

 さっき、ジャケットの端をつかまれたとき、こわいくらいの衝撃があった。電流とか、雷とか、浴びたことはないけれど、そういう感じの強くてしびれるようななにかが。

「はいこれ」

「ありがとう」

 ハンガーを受け取る。思いついて、井上さんのエプロンのはしをつかんだ。行こうとしたところで、エプロンがつっぱって振り返る。

「ん?」

 振り向いた目をじっと見る。特にいつもと変わりない。なにか言おうとじっとのぞくと、とたんにキャップのつばをつかんだ。まだエプロンをはなしていないのに、強引に行こうとする。

「ちょっ、カレー焦げますから」

「なんで顔隠すの」

「いや、なんかそんなにじろじろ見られたら、普通隠すでしょ」

「また敬語?」

 ふっと吹き出して、キャップのつばから手がはなれる。ちらりと目が見えて、それがとてもやわらかに揺らめいていたから、なんだか安心した。

「ごめんごめん。ちょっと気になって」

「なにが?」

 うまく説明できる気がしなくて、あいまいに笑ってごまかした。せまい廊下を歩いて、カウンターに戻る。積み上げてある皿をとって、大きな炊飯器のふたをあけた。

「浦田さん、なにが?」

「ないしょ」

「えー? なにそれ」

 カウンターの上に、ごはんをのせた皿をどんどん並べる。井上さんはまだぶつぶつ言っている。

「おいしそう!」

「やっときたー」

「俺、大盛りね」

 ひとりが振り向くと、みんなが寄ってきてカウンターの前に並ぶ。子どもの頃の給食当番みたいだ。

「ごはんの量に注文がある人はさっちゃんに言ってね」

 井上さんが手慣れた感じで大声を出す。すぐに声が上がった。

「さっちゃん? 誰?」

「はーい、俺でーす」

 やけになって大きな声を出す。ゆるくひらいた手のひらをひらひら振ると、いっせいに注目が集まる。慣れない立場がおもしろくて、歯をみせて笑った。井上さんも同じように笑っている。

「少なめについでいきますんで、大盛りの人は言ってくださーい」

 はーい、といろんなトーンの大合唱。まるで大人の小学校だ。最初はぎこちなかった俺の愛想笑いも、だんだん慣れてきた。

 お団子の彼女に皿を渡す頃には、ひとりひとりと自然に目を合わせていた。

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