3-3

 目が覚めるとスマホがピカピカひかっている。指をあてるとメッセージがざあっと流れて、その量に笑った。

 起きたついでに水を飲みながらゆっくり読んでいくと、最後にURLがあった。

「こっちのアプリのほうが連絡つきやすいので」

「よかったら登録してください」

「では、また」

 文末に、どこまでもあかるい笑顔のマーク。

 もう一度最初に戻って読み直す。言葉の端々に、井上さんの輪郭が見える。きらきらした目のかがやきも、やさしげな息継ぎも、ちゃんとわかる。

 こういう気持ちをなんというのだろう、と仰向けになって考えた。天井についた平べったい照明と、壁紙の継ぎ目。いつも見ているはずなのに、なんだか新しいものみたいに見えてくる。

 次の休みはいつだったか。その前に、出店情報を調べておこう。いや、もう本人に聞いた方が早いかもしれない。早くカレーがたべたいな、と思った。


 井上さんは、朝と夜に必ず投稿するみたいだった。朝のあいさつ、天気の話、軽い仕事の愚痴。昼のランチの写真には、早く出店したい、とぽつりと添えてあった。

 お疲れさまです! と書いてある時間が、相当夜中だったから、忙しいのがよくわかる。これで一体どうやって、日曜日の出店をこなしているのか。ますます不思議になった。派手なTシャツがなつかしい。

 教えてもらったメッセージアプリの宛先に、おはようと送った。すぐに返事が入る。

「昨夜、すいません送りすぎて」

 と、謝る絵文字。いえ、こちらこそ途中で寝ちゃって、とつらつら書いていたら、いきなり肩をたたかれた。

「浦田くん」

「はっ、はい」

 びくんと背中が跳ねる。胸ポケットにスマホをねじ込む。息が止まった。いつから後ろに立っていたのか、まったく気がつかなかった。

 上司はじろりと俺を見たあと、ふん、と軽めのため息をついて、

「昨日頼んだ書類は」

「はい、ええ、と」

 机の上にまとめておいた紙の束を差し出す。パラリパラリとめくる音。なんとなくひざをそろえて、鼻をすすって待っていると、うん、と低くうなづいた。

「これでもらっとこう」

「お願いします」

 椅子に座ったまま頭を下げる。まだドキドキと跳ねている。大きな体を揺らして、机を回っていってしまっても、なかなか心臓が落ち着かない。

「今上司に肩叩かれた」

 フリック入力がだいぶ早くなった。すぐに画面にあらわれたのは、鳥が驚く大きなスタンプ。いちいちかわいい。

「井上さんのせいなので、今度おごってください」

 打ち終わるとすぐにポケットにしまった。手を放す前にもう通知が鳴る。振動で胸がくすぐったくて、下唇をぐっとかみしめた。


 帰りの電車でSNSを見るのが日課になった。周りの人と同じように、スマホに目を凝らす。

 休憩、とタグがついたコーヒーの画像。アイドルの記事のリツイート。楽しそうに見えるけれど、井上さんの言葉はない。

 メッセージをひらいてまた読み返す。

「いいですよ」

 と絵文字のピースサイン。

「でも今ちょっと繁忙期で」

「クリスマスきらい」

 どこで見つけてくるのか、いろいろな種類のスタンプを貼ってくる。同年代に見えたけれど、俺よりずいぶん若そうに思える。

 文字のやりとりだけなのに、つながっていると思うのが不思議だった。新しい友だちのくれる、新しい空気。そういえば、ここ数年誰とここまでしゃべっただろう。会社と家の往復くらいで、ほとんど口をきかなくてもいい仕事だったから、自分でも驚くくらいに言葉をつかっていなかった。

 なにから話していいかわからない。だから、もっと話が聞きたい。伝わるかわからない、言葉の足りない文面を送ると、大きな笑顔のスタンプとメッセージが返ってきた。

「じゃんじゃんしゃべります!」

 井上さんはどこまでもあかるい。暗い夜道でひとり、スタンプと同じような顔になってにんまりした。


 それから、言った通り井上さんはいろいろな話をしてくれた。

 コンビニの管理の仕事をしていること。休みは不定期で、でも日曜日だけは死守していること。

 ほんとうは接客が大好きで、ここならと思って就職したのに、今はお客さんと関わる機会がほとんどない。だから友達付き合いをすごく大事にしていて、集まりには必ず参加したり、企画したりと忙しく充実させてきた。

 でもやっぱり、自分の手でお客さんになにかを届けて、ありがとうと笑顔をもらいたい。そうしていないと息をしている感じがしない。

 井上さんはせきをきったように、今までのことを教えてくれた。おはようやお疲れさまのあいだに、何度も昔の井上さんが見える。

 うん、とか、わかる、とか、大した相づちをはさめないのに、井上さんはどんどん教えてくれた。

 そういえば、あの日コンビニで見た井上良さんは、井上さんだったのかと聞いたら、本人だった。

「すいません気づかなくて」

「仕事中は鬼なんで」

 と、かわいい謝罪のスタンプ。このあたりになると、もう顔が見たくてしょうがなくなって、勝手に指が動いた。

「いつ会える?」

 相変わらずろくでもない文面しか打てない。それでも入力だけはずいぶん早くなった。

 いつもものすごい早さで返信がくるのに、しばらく待っても来ない。いつものスピードを期待していただけに、なんだかたまらなくなってしまって、落ち着こうと立ち上がる。

 冷蔵庫から水を出す。ふたをひねって口をつける。新しい人間関係は、どう扱っていいのかわからない。

 ベッドの端に座って髪の毛をぐしゃぐしゃかき混ぜた。思い出してゆっくりと息をはく。心拍が早くなっている。すこし落ち着こうと、体の底でうねっているものをはききって、ゆっくりと胸をいっぱいにした。

 やっと落ち着いたと思ったら、スマホがうなる。すぐに手にとる自分の動きが早すぎておかしい。

「出店したくて我慢できないので、友達集めてカレー出そうと思ってて」

「よかったら来てもらえますか?」

 急な敬語にすとんと落ち着く。

「ヨガの先生も来ると思うし」

「今のところ、休みがそこだけなので」

 ぽんぽんと入るごめんねのスタンプ。一体どんな顔をして打っているのだろう。

 今すぐ顔が見たいのに、画面の向こうにいるはずなのに、なんだか無性に遠く感じた。

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