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井上カレーのSNSには、出店の様子や売り上げの記録に混じって、プライベートらしき投稿もあった。
話していたフットサルや、テニス、ランニングの様子。「今日は会社」とスーツの足元だけの写真。「あちい だりい」と愚痴だけの日。自分でもどうかと思うほど、いつまでも、いつまでも履歴をめくってしまった。
「いつも聞いてるラジオ おすすめ」という投稿があり、リンクを押すとつながった。ローカルのFMで、やさしそうな女性がのんびりしゃべっている。録音放送らしく、きょうはいいお天気ですね、お出かけにいいですね、と始まっている。ベッドに寝転んで、目をとじて聞いた。
投稿した日付は八月。どんな場所で、どんな気持ちで聞いていたのだろう。目まぐるしく気持ちが動いて、でも体はまったく動かせなくて、ただただたまっていくどうしようもないものを、早くどこかへぶつけてしまいたい。
「そうだ、ヨガ」
びよんと飛び起きて、前にもらったチラシを探した。うすくホコリをかぶった棚の前に、置きっぱなしになっている。
とりあえず行ってみて、それから報告するのもいいなと思った。なんとなくストレッチの真似事をしてみたら、足の先をつかむどころか背中すら曲がらなくて、むちゃくちゃ痛い。それでも必死に伸ばしてみたら、情けないうめき声をもらしてしまって、ひとりで吹き出した。
毎日やれば、どんなにつたなくても成果は出る。最初は先生が感心するほど固かった体も、ぐんにゃりと曲がるようになった。
足を投げ出して座って、かるく曲げればひじが床につく。足先ももちろんがっしりつかめる。初心者以前のレベルだけれど、確実にからだが変わっていくのがおもしろかった。
女性ばかりのヨガのクラスも、すぐに慣れた。女性からすれば大してめずらしくもないようで、無視するでもなくなれなれしくするでもなく、挨拶とプラス一言くらいは自然に話すようになった。
腹の底からじっくり息をはき、体じゅうに行き渡るように集中して吸い込む。この、複式の呼吸法が自分に合っていたようで、うまくできると気分がいい。
体のすみずみにまで酸素が行き渡り、頭のなかがまっさらに変わる。大げさに動かなければどこでもできるから、仕事中の休み時間にもときどき使うようになった。
先生のスピリチュアルな雰囲気や、遠い宇宙の話にはまだまだ慣れないけれど、聞いているとおもしろい。顔色がまともになり、気づけば体調もよくなって、早く井上さんに教えたいと思った。
シックな色のロングスカートの先生に、帰る途中に呼び止められた。着替えの入ったトートバッグを肩から下ろして、誰もいないスタジオにもう一度入る。
「ごめんね、帰るところを」
「いえ」
「浦田さんって、良ちゃんの紹介だったよね」
「え……あ、はい、井上さんからです」
りょうちゃん、と聞くと知らない人のようだ。俺と先生との、井上さんに対する歴史の差が、こんなところでうっすらと浮かび上がってくる。
先生は、ショートカットの髪をさらさら揺らして、おかしそうにうつむいた。鼻にしわを寄せている。
「こないだ会ったんだけど、浦田さんのこと話したら、聞いてないよってからまれちゃって」
きらきらした爪が口をおおう。あはは、と同じように笑って合わせた。
「良ちゃんね、今忙しくてで出店できてないから、うるさいの」
「はあ」
「今度、会って聞いてくれって。浦田さんに」
「はあ……?」
「そういうの自分でやってって言ったんだけど」
ねえ、というように小首をかしげてくる。話がいまいち飲みこめなくて、はあ、とうなづいた。
「浦田さんツイッターやってる?」
「いえ、見るだけで」
「アカウントとか、わかる? あ、わかるよね」
ごめんごめん、とひたいをぺしっとさわる。先生は、ふつうにしていればかわいい女の人なのに、ときどき仕草がおじさんみたいで楽しい。
「メッセージちょうだいって、良ちゃんが。飲みに行きたいんだって」
「え?」
「ごめんね、めんどくさいでしょうあいつ。気が向いたらかまってあげて」
じゃ、おつかれさま、ときれいな姿勢でカラフルな上着を拾った。ぽかんとしたまま、すこし離れて後ろを歩く。
スタジオを出ると、明日に向かう日が暮れかけていた。目の前のビルがささやかなオレンジに染まる。どこかでまたたくイルミネーションが、何度も何度も反射して、通りを明るく照らし始めている。
真正面から風が吹く。乾かしたばかりの髪の毛が、いくらでもかき混ぜられて、寒いはずなのに気持ちいい。ぐんと背筋を伸ばしてみると、体のすみずみまでがぽかぽかとあたたかかった。
アカウント名は浦田。プロフィールに「カレー好き」。趣味はヨガ、と付け足して、始めたばかりと添えておいた。電車に揺られて目をとじる。勢いでアカウントを作ってはみたものの、ほかにはもう書くことがない。
ガタガタと揺れる車体に体ごとスマホを揺らされながら、親指で画面をぐりぐり押す。井上カレーのアカウントをフォローして、ついでにさっきのヨガスタジオのアカウントもフォローした。
真っ暗な車窓に、ぽつりぽつりと光が流れる。ゆっくり息を吸いこんで、長く長くはく。大人になってからの友達なんて、どんなテンションで接したらいいのかよくわからない。
電車を降りて、夜道を歩く。メッセージの文面を、頭のなかで何度も消しては書き直した。
ベッドに転がっても、まだしつこく考えていて、考えすぎて寝そうになった頃、握っていたスマホがぶるぶる鳴った。メッセージだ。左側には、井上さんのバンのまるいアイコン。
「おつかれさまです! 浦田さん、て公園でいつも買ってくれてる浦田理さんで間違いないでしょうか」
「フォローありがとうございます」
「人違いだったら申し訳ございません」
フルネームで書いてあって、ドキッとする。一度しか言ってないと思うのに、覚えられていた。ははっ、と笑いがもれる。
返信にてこずってもたもたする。お疲れさまです、浦田です、とだけ書いて送信した。すぐに返事が入る。
「よかった! あってた!」
「ありがとうございます!」
続けてじゃんじゃん送られてきて、吹き出してしまう。
ヨガスタジオの先生のこと、仕事が忙しいこと、出店したくてうずうずしていること。
キッチンカーの車体にもたれて、浦田さんのおしゃべりを聞いているみたいだ。自分ひとりの薄暗い部屋が、いつの間にかあの日の公園に変わる。
流れる文字を追っているうちに、にんまりと頬がゆるんでいた。
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