第二章 常連さん

2-1

 ここのところ、日曜日といえばだいたい休日出勤。誰もいないフロアでひとり仕事、という流れになっている。手当はつくし、平日に休めるし、しんと静かなフロアで作業できるのが特にいい。

 さらにいいのは、昼にあのカレーが食べられるところだ。事務所を出て、ちょっと歩いて公園に行くと、必ずキッチンカーが大集合している。

 最初はなにかのイベントなのかと思ったけれど、特に催し物がなくても出ているし、最近はそういうのが流行りなのだと後から知った。


「こんにちは」

「あ、いらっしゃいませ」

 井上さんがぱっと振り向く。にかっと笑う。俺にかける声が、常連さん向けの、気の抜けた感じになった。どうでもいいことなのに、なんだかうれしい。

「今日はどうですか」

「あと四食で完売です」

「お、やるね」

 いひひとうれしそうに笑う。いたずらがうまくいった子どもみたいで、ちょろっと出た八重歯までかわいい。カリッと引き締まった線の感じと、無防備な表情がアンバランスでおもしろい。不思議な人だ。

「まーた休日出勤ですか?」

「うん」

「もうずっとじゃないっすか。ぶっ倒れますよ」

「大丈夫、大丈夫。代休とってるから」

「そう? それならいいですけど」

 なんだか無性にくすぐったい。ふっと気が抜けてへらりと笑うと、またちらりと八重歯がのぞく。ほかほかのカレーが入った袋を受け取った。

「運動とかちゃんとしてます? たまには体動かさないと」

 きびきび動く井上さんに言われると、あははと情けなく笑うしかない。運動なんて、まったくしない。

「井上さんは? なんかスポーツとか」

「いろいろやってますけどね。結局これが一番です」

 ぽんぽん、とバンの壁をたたく。相棒、と言っているようだった。発電機とラジオもにぎやかにさわいでいる。ここのものは全部でひとつのチームみたいだ。

「フットサルのサークルとか、紹介しましょうか」

「いや、いいです」

「テニスは?」

「無理」

「逆にヨガ」

「逆ってなんすか」

「ランニング!」

「いやあ……」

 苦笑いで首をひねると、広場のまわりのキッチンカーが見えた。それぞれわいわいとお客さんが並んでいる。ひねりを戻すと、あくびをかみしめる井上さん。ここには俺ひとり。

「もっと、あっちの方に出した方がいいんじゃないすか」

「ああ……なんかね、一応序列があって」

「やっぱそういうのあるんすね」

「うん。ま、うちはここが一番だから」

 ぷくっとほっぺが持ち上がる。他の同じようなキッチンカーを見ても、焦りや苛立ちはないのだろうか。同じような会社を見つけては、必死になってリサーチを重ねたあの頃がかすむ。

 セミの声はすっかり消えて、代わりにさらさらと葉の流れる音がする。時折ざあっと風が吹いて、肩のあたりがさみしくなる。夏とは違って、またさらに、カレーのおいしい季節になった。

「ほら、早く食べてきてくださいよ」

「はいはい」

 軽口をたたいてベンチへ向かう。この感じがとてもいい。深入りせず、詮索もされず、楽しいことだけ口にしていられる。

 あったかいカレーをほおばると、やっぱりふるさとの昔を思い出す。実家にはしばらく帰っていない。とけかけたじゃがいもを味わい、サイコロの肉をかみしめる。

 最近、なにかにつけて思い出してばかりなのは、真新しい出来事がなにもないからだろうか。脳が刺激を欲しがっている。外から新しい情報がなにも得られないから、無理やりにでも引っぱり出してきているのかもしれない。

 座ったまま伸びをして、ゆっくりゆっくり息をはく。靴の先を、落ち葉が数枚、ころころと走っていく。

 井上さんのバンに、ひとり客がいる。ピンととがったヒールを履いているのに、さらに背伸びをしてのぞくオフショルダーの肩。高い位置のポニーテールが、きゃらきゃらと揺れている。

 カレーの容器を袋にまとめて、ベンチから立ち上がる。早く仕事をすませて帰ろうと事務所に向かった。

「フットサル……って、サッカーとは違うんだっけ」

 ぶつぶつ考えて、スマホをいじる。歩きながらすこし見て、なんだか違うなとすぐにポケットにしまった。

 ランニングなんて急にやったらぶっ倒れてしまいそうだ。ヨガならついていけるだろうか。交差点で止まってぼんやりして、以前どこかで見たしなやかな動きを思い出した。俺の体がああいうふうに動くか。

 頭が勝手に考え始めている。なにか新しいことをしてみようと動き始めている。慣れない感じで、そわそわと落ち着かないけれど、なんだかおもしろくなりそうな気がしていた。

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