第8話 さなたん、スキャンダル



 れいにーを前にして早苗はそれ以上何かを言う事はできず、テーブルに置かれたスコーンを一口齧った。スコーンが口の中でほろほろと崩れ、紅茶のふくよかな香りの中で程よい甘さが早苗を癒していく。カロリーは高そうだが、どこかで調整すればいい、なんて言い訳を脳内でごにょごにょとしていると、早苗のスマホが1件、コメントを通知した。――ひかりんからだった。


 いきなりのコメントに驚きつつ、確認すると、早苗の居場所を尋ねるものだった。




 8時に新木場公園で待ち合わせね、とひかりんに呼び出された。ちょっと、遠いしアクセスも悪いんだけど、と早苗が不服を漏らしたが、ひかりんは絶対に新木場公園での待ち合わせを譲らなかった。


 れいにーは事情を聴くなり、早苗に着いて行くと言ってこちらも譲らない。そういうわけで夜の新木場公園で早苗はれいにーと一緒にひかりんを待っていた。




 冷えるねぇ、と言いながら二人で夜の新木場公園を歩く。公園内は所々に街灯があるものの、木々が鬱蒼としていて薄暗く、川沿いにあるからか、冷たい風が吹いていた。空を見上げると星が綺麗に見える。子供が遊ぶ、と言うより、散策をするためにあるような何も無い広場に近い場所。


「さなたんっ。」


 背後からひかりんの大きな声がして振り向く。そこにはぜーぜーと肩で息をしながら強い眼差しを向ける彼女の姿があった。先程まで練習していたかのような格好だった。と、彼女は目を見開いた。


「れいにー……。」


 驚きに満ちた声。れいにーが頭を下げる。


「ひかりさん、すみません、勝手にさなたんさんに着いて来ちゃいました。」


「私のこと、知っているの。」


「大学生のアイドル――ユニドルも少し、興味あって、」


「そっか。有名な女オタクは伊達じゃないのね。さすが。」


 軽やかな声でひかりんが笑った。それから早苗に向き合い、すーっと息を吸った。


「向かいにスタジオがある。」


 静かな夜空の下でひかりんの声が響いた。


「そこで、2月13日、ユニドルの決勝がある。だから、さなたんのファーストライブに行けるかわかんない。練習で潰れるかもしれない。」


 うん、とさなたんは頷く。不意にひかりんの声が和らいだ。


「最初に会った時、なんか凄く腹が立った。猫背で自信無さげで自分のことで手一杯って感じでアイドルのオーディション、とか、アイドルを馬鹿にしないでって。アイドルは、辛くても胸を張って人に夢を見させる仕事なのにって……、でも、次に会った時、あんたは確かにアイドルらしくなっていた。」


 優しい声音ではあったが、目の前のひかりんは必死でもがいているように見えた。アイドルという遠い星に近付こうと手を伸ばして、早苗の想像も尽かないくらい走って、こけて、傷を抱えても、何度も立ち上がって走って来た少女。


「なんでわざわざ呼び出してこんなことを言いたくなったのか分からない。……さなたんっていうアイドルの卵は周りを巻き込んでいってどんどんファンを増やしている。あ、お礼を言いたくなったのかも。少し、夢見られた。あとちょっと必死で粘って走ればもっとファンを増やして本物のアイドルになれるかもしれないって。」


 ひかりんは嬉しそうに笑い声をたてた後で、腰に手を当てて悪戯な笑みを浮かべる。


「ちゃんと約束は守ってもらうから。私と一緒に活動する気なら私よりファンを得て、ちゃんと夢の続きを見させて。でも、そんなことはさせないけどね。」




 ひかりんは言いたい事だけ言うとそのまま早苗達を置いて駅の方へと走り出してしまった。置いてきぼりを食らった二人は顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出した。


「もう、そんなこと言うのにわざわざ呼び出さなくても良いのにねぇ。」


「本当ですよー。でも、久しぶりにあんな前向きなひかりさん、見ました。」


 ふふふ、とれいにーが笑みを浮かべた。


「ひかりんのこと、応援していたの。」


「実は、私、地下ドルオタクとして有名ですけど、元々ユニドルファンで、ユニドルで推していた人が夢を諦めきれないって地下ドルに転身したから地下ドルも好きになったっていきさつで……やめちゃったけど……だからユニドルも未だに好きで、イベントとかもよく行っているんです。」


 そっか、と相槌を打ち、空を見上げる。夜の空には無数の星が競うように輝いているけれど、輝いて見えるのは星の中のほんの一部でしかない、なんていう。アイドル戦国時代なんて言われるけど、その戦いの舞台にさえ立てていない星達。参戦できないまま、燃え尽きてしまう星達もいる。それでも確かにこの空の中で多くの星達が誰かの目に止まり、輝いて映るように奇跡を掴み取ろうとしている。


「行こっか。」


 早苗はれいにーの手を握ってゆっくりと歩き出す。やや間があって、れいにーがファーストライブで歌う曲を口ずさみ、早苗も一緒になって歌っていた。




 帰り道の電車の中、ひかりんのSNSを二人して確認した。彼女のフォロワーは再び1万人を超えていた。




 ファーストライブはもう間近。それまでに早苗はひかりんを超えなければいけない。


「凄いですよっ。さなたんのフォロワー数、ファーストライブ3日前にして8000人超えていますっ。あ、また増えたっ。これは会場がファンが埋まりますっ。」


 幸せそうにれいにーがスマホを見て興奮する。今日は直前の舞台確認ということでライブハウスの前で、早苗、れいにー、アオケン、透、マスクマン、ウォッチャーが揃っていた。衣装もバッチリ出来上がっており、歌も踊りも仕上がっている。ご機嫌で早苗もにこにこと笑うが、ウォッチャーがどこか浮かない表情をしていた。どうした、とアオケンが尋ねるが、いや、とウォッチャーは首を横に振る。


「大丈夫なの。」


「気にしなくていい。」


 彼がそう言った瞬間だった。ライブハウスのドアが開けられて、汗だくのオーナーが飛び出してきた。


「さなたんさん、大丈夫かっ。」




「何、これ……。」


 早苗はライブハウスの事務所のテーブルに置かれたパソコンの前で絶句していた。そこにはさなたんに関するまとめが書かれていた。


『年齢詐称疑惑』


『婚活をしていた証拠はこちら』


『鶯谷に住んでいるという噂も……男漁りの為か?』


 画面をスクロールしていくとそれに対する感想コメントも載っていた。


『婚活じゃなくてマッチングアプリで男遊びだろ』


『真面目に婚活していた人に失礼だと思わないのか』


『ビッチアイドルふざけんなよ』


『これだから地下ドルは(笑)ババアにはぁはぁ言っていたみなさーん』


 急に視界を誰かに遮られる。れいにーの小さな両手が早苗の目を覆っていた。


「見ちゃダメですっ。」


 見ちゃダメ、と言われてももう遅く、早苗の目には大勢の人の怒りや悪意のコメントがくっきりと刻印されてしまっていた。完全には状況を整理できず、ぼぅっとした頭の中で、オーナーの声がした。


「こいつらを一応通報はしておいた……が、特定して訴えたりするには時間がかかる。まずファーストライブまでには当然、間に合わない。こちらとしてもさなたんさんの前にも後にも出演者が控えている。申し訳無いが、さなたん自身の身の安全のためにも、危険だと判断したらさなたんのライブは中止させてもらうかもしれない。」




 さなたんのSNSのフォロワー数は帰り道も増えていく。その増え方よりも悪意のあるコメントの増え方の方が遥かに早かった。


「ライブ、どうする。」


 アオケンが立ち止まり、尋ねる。早苗は何と返せば良いのか黙り込んだ。このまま続けて良いのか、続けられるのか。


 ――アイドルは、辛くても胸を張って人に夢を見させる仕事。ひかりんはそう言った。けれど今の早苗は胸を張って大勢を笑顔にできる自信が無かった。


「ライブとか以前の問題としてアイドルとしても致命的だしこれ以上はやめた方が、」


 透の言葉を遮るようにして、れいにーがぼろぼろと泣き出した。


「わ、私は、やめないで、ほしいです……。」


「なんで、れいにーが泣くのよ。」


 しゃっくりまであげる姿に早苗は思わず苦笑いするが、苦笑いしているうちに早苗の目頭も熱くなり、そのまま二人で道の真ん中で泣きじゃくり始める。男達が慌てたように二人をもう今日は休むように、と言っていた。




 鶯谷駅を降りて独りで歩いていると脳内にニュースサイトの文言が浮かぶ。


『鶯谷に住んでいるという噂も……男漁りの為か?』


 バッと後ろを向く。誰かが早苗を見ているかもしれない。SNSの今まであげてきた自撮りには、ブス、承認欲求強過ぎ、というコメント。もしかしたら誰かが鶯谷で歩く早苗の姿を見てずっと嘲笑っていたのかもしれない。不意に息が苦しくなる。嗚咽を漏らしながらアパートに歩いた。




 部屋に着くと、それぞれからスマホにコメントが来ていたが、早苗はそれらを見ること無く、布団に身体を預ける。


「良かったな。」


 突然、アマビエの浮いた声がして早苗はびくり、とする。理解できず、は、という声だけ漏らすと、脳内で言葉が続いた。


「大勢にお前の顔が見られている、ということだろう。」


「何、言って、」


「こういう手があったのか。人という生き物は悪目立ちする存在に目を向けがち、とはな。知らなかった。アイドルなんてまどろっこしいやり方はやめてこれからはこっちに切り替えよう。」


 ふざけないで、とふつふつと怒りが湧いてくる。けれど怒る対象は自分の中にあって睨んだり叩くことも突き放すこともできない。まとめニュースや悪口のコメントを書いた人間もそうだ。匿名で悪意の愉快犯で、特定できない限りは相手に抗議したり怒ったりすることができない。瞬間、自身の無力さを悟り、一気に力が抜けた。そのままいつもの夢の中へと落ちていく。




 ――早苗は昔、住んでいた東京の家の中で立ち尽くしていた。狭いリビングには誰もいない。それが夢の原理のためか、それともそれが日常だったからか、彼女は判断がつかなかった。早苗の玩具である着せ替え人形が傍で片付けられることも無く転がっている。相変わらず酸素が薄く、歩くこともできない状態で早苗はぼぅっと考えを巡らせる。……これが早苗。結局、突出して優れたところも無ければ、一人では何もできない。運良く、生き延びてきた一人の人間で、アイドルになろうとしたところで簡単に潰れてしまう、アマビエの代理。どうしようもなく、ちっぽけな命……。




 ピンポン、とチャイムが鳴らされた。早苗は布団の中でうずくまり、外に出ることを拒否するが、再度、ピンポン、と鳴らされ、少し間が空いた後、ピンポンピンポンピンポン、と連打される。脳内に顔の見えない男達が扉の外で待ち構えて、早苗を嘲笑おうとしている姿を描いてしまいながら、そっと扉の覗き穴から扉の外を覗くと、そこには1人の少女――ひかりんの姿があった。震えながら鍵を開けると、ひかりんは早苗の部屋にズカズカとあがりこんだ。あがりこんでから早苗に声をかけた。


「あ、お邪魔しますから早くお茶出しなさい。」




 お茶を出せ、と言われても独り暮らしの仮住まい。お茶はペットボトルで早苗の口をつけたものしか冷蔵庫に無く、仕方なくコップに水道の水を入れた。テーブルも無いのでひかりんの前に直で置くと、彼女はコップを掴み、一気飲みして言葉を発した。


「あんたのファンに訊き出して来た。酷い顔ね。」


「ごめん……。」


 早苗は声を絞り出す。けれど、その弱々しさに苛立ったかのようにひかりんは語気を荒げた。


「ふざけないでよっ。こんなの、私は認めないから。何とかあんたのライブに行けるように練習日程無理して調整したのよっ。」


 ドン、とコップが床に置かれる。


「なんで元の顔に戻ってんのよ。さなたん、帰って来なさいよっ。あんたに一度でも夢見た私を後悔させないでっ。」


 ひかりんは泣いていた。泣きながら早苗に背中を向けて言う。


「絶対に成功させて。私に夢を見させてよ……。」




 ひかりんが帰った後も早苗はぼぅっとしていた。と、ギクシャク、と身体が動き、冷蔵庫からペットボトルに半分ほど残っていたお茶を取り出している。なぜ、自分の身体動いているのか理解できず、少しして、アマビエに乗っ取られていることに気付いたものの、彼女は完全に為されるがままとなっていた。




 アマビエに乗っ取られたまま日々は進んだ。アマビエができることは早苗の四肢を機械的に操ることだけらしく、歌や踊りを再現することはできなかった。だから早苗はアマビエによって毎日歩かされたが、レッスンに通うことなどは無く、SNSの更新も止まっていた。ファーストライブのカウントダウン告知は4人のうちの誰かがしてくれているらしかった。




 ファーストライブ当日。アマビエは鞄にさなたんの衣装を鞄に詰め込んでいた。


「……やめてよ。」


 早苗は声を出す。早苗の意思を反映する事無く、その体は準備を進めている。リハーサルは一時間後。


「なぜ。」


 アマビエは不思議そうに問う。スマホのチャットで皆が早苗に「大丈夫か」といった内容のコメントを送っていて、「大丈夫じゃない」と返したくても、アマビエがそれを許さない。それどころか代わりに「大丈夫」と返事までしてしまっている。チャットは厄介だ。自分発信でコメントがなされればそれが自分のものだという事になるし、自分の思いではない、と証明するすべは無い。否定できないまま、着々とさなたんのファーストライブの準備が行われていることが通知されていく。もう行くしかない、となったところで彼女は小さく呻いた。


「……せめて、化粧はさせて。」




 舞台に立つから、と早苗は約束する事でアマビエに乗っ取られた身体を取り返した。


 ライブハウスに裏口から入ると、既に控室では今日の舞台に立つ予定のアーティスト達が何組か集まっていた。一人じゃライブ会場を埋められないから集団でライブを開く人達。誰かの人気にあやかり、あわよくばそのファンを掠め取ろうとしながら、ある者は無欲そうに微笑み、ある者は野望を隠さずギラギラとした光を瞳に宿している。


「さなたん、大丈夫か。」


 アオケンが不安そうに早苗に駆け寄った時、一段と華やかな女性達――悩殺マリアというグループ――がキャーッと楽しそうに笑い声を立てた。地下ドルとしては比較的大手のアイドルで、今回のライブの目玉。彼女らは明らかに早苗の方を見て笑っていた。


「超ウケるーっ。」


「私のファンがさなたんと合コンしたことあるってぇ。」


「あはは、ファンに手を出すアイドルってやつ。あ、デビューより前に枕営業するアイドルかぁ。先進的。」


 ぐ、と早苗は黙って俯くしかない。と、突然、その中央にいた、一番人気の三つ編みの女の子が押し黙った。彼女の前にはれいにーが立っていた。三つ編みの女の子はバツが悪そうに視線をれいにーからそらす。けれど、れいにーが動かないのを見てぼそり、と呟いた。


「何よ……。」


「なんで、こんなことしたの。」


 れいにーの大きな声が悲しそうに響いた。気付いたら控室内がしん、と静まり返っている。


「こんなことって……、知らない。」


「知っているよね。なんで、したの。」


 れいにーが問い詰めていた。ファンに対しては大手の地下ドルと言えど無下に扱えないらしく、他のメンバーも息をひそめていた。


「向こうはれいにーに任せて、さなたんは舞台に集中しな。」


 ウォッチャーがぐい、と早苗の背中を押す。早苗が戸惑いながらも背中を向けると、三つ編みの女の子の声が響く。


「れいにーがッ、れいにーが悪いんじゃんッ。なんで今まで推してくれていたのに、どうして推し変なんか、それも、あんな、ポッと出の素人……。」


 わぁ、と彼女は泣き崩れたようで控室がざわつく。他のメンバーの宥めるような声に、早苗への非難が混じっているような気がして息が苦しくなった。




 リハーサルは簡単なものだった。照明の最終チェックと音響が問題無いか少しだけ流して終わり。その後は本番まで好きに移動すること。早苗は帰ろうにも帰る事もできず、ただ時間が流れていく。その間に4人がライブハウスの人達に頭を下げて回っているようだった。


「もう、大丈夫ですよ。」


 控室の椅子に座る早苗のそばには、れいにーがいた。うん、と頷く早苗を他の出演者達が遠巻きに眺めている。本番まで身じろぎ一つ許されない空間。




 無情にも時は流れていく。早苗はれいにーに寄り添われながら舞台裏についた。早苗の一つ前の出番のマジシャンが聴衆を沸かせていた。客席は暗くてよく見えなかったが、拍手が何度も起こり、彼らが喜んでいるのが伝わった。ステージの上のマジシャンも得意げだった。


 マジシャンの出番が終わり、舞台が真っ暗になる。早苗は今から舞台中央の蓄光シールが貼られた場所に立って顔を上げなければいけない。足が震えて、今にも力が抜けそうになった瞬間、ぐい、と何者かに足を動かされる。――アマビエ、やめて。せめて私の足で歩かせて、覚悟を決める時間を作らせて。心の中で抵抗するものの、無視したかのように、早苗の足はずんずん、と中央に向かっていく。恐怖が足下からせり上がってくる。客席の様子は暗くて分からなかった。


 早苗が中央に着き、身体をアマビエに解放された瞬間、音が流れて照明が早苗の下に照らされていく。仕方なく、笑みを作り、ステップを踏み、歌い始める。けれど、その歌声はすぐに聴衆の罵声や嘲笑う声によって打ち消されてしまった。


 真っ暗な中、ババァ帰れ、死ね、などという情け容赦無い怒号。彼女の足は止まり、喉からは、ひゅーっという息しか出てこない。歌より釈明しろ、と声がして俯いた。


 と、最前列に見覚えのある顔があった。まだ幼い顔に決意を秘めた瞳、夢に向かって手入れされた肌、さらさらとした髪。ひかりんは唇をパクパク、と動かした。


――う、た、え。


 声にならない声が聴こえた瞬間、早苗の脳内にひかりんの声が蘇っていく。




――


『人に見せられないような登録内容で来るくらいならもう現実見て婚活した方が良いですよ。』


 出会った時の彼女は冷ややかだった。憎々しげであるようにさえ思えた。


『1ヶ月以内に私より有名になったらコラボ、してあげる。』


 どこか照れたような、でも、突っ張っていた少女。少しだけ早苗に期待をしているようにも思えた。


『だってアイドルでしょ。偶像なんだもん。自分で自分に夢を見られないでどうするの。』


 高いヒールの靴をボロボロにしながらも懸命に現実に抗っていた彼女はこの日、初めて早苗のことを「さなたん」と呼んだ。


『ちゃんと約束は守ってもらうから。私と一緒に活動する気なら私よりファンを得て、ちゃんと夢の続きを見させて。』


 夜空の下で、色々早苗に告白して、吹っ切れたような綺麗な笑顔を浮かべたひかりん。


『絶対に成功させて。私に夢を見させてよ……。』


 彼女は早苗の部屋まで来て泣きながら「さなたん」にすがっていた。


――




 早苗はマイクを握り直して歌っていた。遠くまで届くように、夢を。――誰かが私を見てくれるなら、私は歌う。一人じゃ何もできないけど、私は一人じゃないから。例え、今はほとんどの人に届かなかったとしても、私は未来を信じてこの想いを歌にして笑顔で叫ばなきゃいけないんだ。


 だって、私はアイドルだ。


 彼女の声は聴衆のざわめきによってほとんどがかき消されていく。それでも、歌声を止めようとはしなかった。




 早苗が、1曲めを歌い終えた時、一人の少女がつかつかと最前列から舞台へ歩み寄り、登っていく。慌ててスタッフが制止しようにも振り払い、彼女は早苗の胸倉を掴んで、聴衆の騒がしさは一層増した。しかし、すぐにその声は静まり返った。


 早苗はその時、自身の前に、ギューッと目を瞑るひかりんの姿を見ていた。早苗の鼻とひかりんの鼻はぶつかり合い、唇にはリップクリームの油と人の温度。それが、ひかりんによるキスだと気付いた時、彼女は満面の笑みで聴衆へと振り返っていた。



「私、ひかりんはこれからさなたんと一緒に活動します。」



 ひかりんはこれまでで一番ざわつく聴衆に向かって、とびっきりの笑顔で投げキッスをした。



「2人を応援して、ね。」

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