第7話 さなたんとアイドルより可愛い女オタク


 トランプ柄の傘を差した少女が目の前にいた。少女の姿は猥雑な鶯谷であまりにも異質だった。短めのフレアスカートでも神聖さがあり、瞳は強い意志を秘められているかのような光を放っていた。彼女は早苗に出会うなり、言った。――泊まりに来ませんか、と。




「えぇっと……、」




 初対面の女性に向かって歌を褒めたと思ったら泊まりまで誘っちゃうような子。一瞬混乱するが、ハッと気づく。……これ、そうか、何かの勧誘だ。無害そうな見た目で宗教かよく分からない団体に引き込むやつ。怖い。




 警戒した早苗の様子に気付いたかのように慌てて彼女は言葉を続けた。




「私、そこそこアイドルのオタク界隈では有名なので、信じてもらえると、」




 すぐに彼女はスマホの画面を水戸黄門の印籠のごとく早苗の顔面に突き出す。そこには口の部分をハートのスタンプで隠していたものの、彼女自身の自撮り画像がアイコンになっているSNSアカウントが表示されていた。アイコン名は『れいにー』で自己紹介の部分には好きなアイドルの名前がズラズラ並べられている。




「地下アイドルの追っかけやっているんです。それだけじゃない、ちゃんと宣伝もしていますし、頼まれたらメイクだって撮影だってやっているんです。」




「な、なるほど……。」




 かなりの必死さに若干、たじろぎながらも早苗は警戒心を解いていた。彼女は言葉を矢継ぎ早に続けている。




「さなたん、さんですよね。私、知っています。今晩空いていませんか。お願いします。」




「ちょ、ちょっとでもいきなりで、」




「やっぱりいきなりはダメでしたか……。」




「いや、びっくりした、というか、」




 ちょっと待ってね、と言いながら、早苗は慌てて4人のいるグループチャットを開く。




『れいにーって子、知っている?』




 途端、すぐに透が反応した。




『有名な子じゃんか。』




 そうなの、と訊く前にどんどん透が興奮したかのように情報を載せていく。『アイドルより可愛い女オタク』の一人として有名でアイドルオタクの中には彼女の追っかけもいること、彼女に近付こうとして彼女の宣伝するアイドルを好きになったというオタクもいること……。思わず感心していると、今まで黙っていたらしいマスクマンが一言追加する。




『オタク失格である』




 オタク失格。宣伝もアイドルのメイクもしているみたいなのに、なぜ。理解できず、早苗が混乱していると透とマスクマンがそこで喧嘩し始めてしまう。




「あ、あのっ、」




 チャットに没頭していた早苗を現実に連れ戻すかのように少し大きめの声でれいにーは早苗に呼びかけた。慌てて早苗はスマホから顔をあげる。




「ごめんね、ちょっと確認していて、」




「いえ、私こそいきなりすみませんでした……。」




 しょんぼり、と肩を落とす彼女に罪悪感を覚える。と、スマホにマスクマンのコメントが見えた。




『信用はできる』




 知り合いなのだろうか。不意に肩の力が抜けた。




「ねぇ、マスクマンって人、知っている。」




「知っています。その人のコメントでさなたんを知りました。……ここだけの話、いつも冷たい目で見てくるので苦手なんですけど、」




「そっか。でもそのマスクマンが信用できるって言っているし、その誘い、乗るわ。」




「えっ。」




 目を白黒している彼女が面白くて早苗は笑った。








 彼女は早苗に鶯谷駅の小さなロータリーまで戻らせると、タクシーを呼び止めて乗るように言った。歩くよ、と言う早苗をタクシーに押し込み、嬉しそうに彼女は車内で運転手に行き先を告げた。大人しく早苗がタクシーのふかふかした席に座ると、れいにーは喋り出す。




「で、一ヶ月後、ファーストライブなんですよね。」




「う、うん。」




「フライヤーはありますか。」




「ふ、ふらいやー、」




「宣伝用ポスターのことですよっ。まさか無いんですかっ。」




「えっと、」




「駄目ですよっ。家着いたらすぐにフライヤー用の撮影しますよっ。」




 分かりましたね、と言われて頷く。駅のドライバーの男性が笑う。




「へぇ、アイドルか何かですか。」




「そうなんですよー。フライヤーすぐに作って印刷屋に持っていくつもりなので良ければ待ってもらえませんか。」




「しょうがないなぁ、少しだけの時間だよ。」




 ははは、とドライバーさんが苦笑いする。れいにーの言葉は何だか勢いがあって明るくてつい放っておけなくなるような無邪気さがあった。このドライバーさんは無理してでもれいにーのために待つであろうと思わせるほどの。――アイドルより可愛い女オタク、恐るべし。








 高層マンションが立ち並ぶ通りをタクシーはひた走る。外では傘を差したカップルらしき姿がちらほら近くの公園で見られる。近くの大きな橋はライトアップされており、ほぅ、と見惚れていると、一つのマンションの前でタクシーは止まった。




「え、ここ。」




 マンションではあるのだが、入り口となるエントランスを越えた先には天井の豪勢な照明が待合をするためとおぼしき黒色のソファを照らしており、かなり高級そう。セキュリティも恐らく早苗のアパートとは比べ物にならないに違いない。これがいわゆる『億ション』という存在なのだろうか。早苗がタクシーの中でマンションの外観に視線を彷徨わせている間にれいにーはさっさと会計を済ませてしまっていた。








 れいにーに連れられて早苗は一つの部屋の前にいた。鍵は指紋認証となっていた。れいにーの細い指がその部分に重ねられ、ドアが開くと、マンションの一室とは思えないほど広々としたリビング。勿論、早苗の岩手の実家と比べたら小さいものの、ここは東京の一等地である。地価だって比べ物にならないだろう。だが、それ以上に早苗を驚かせたのはその内装だった。




「スタジオみたい……。」




 ぽつり、と呟く。部屋の奥は全面窓ガラス越しの夜景、さらには広そうなベランダが広がっていた。けれど早苗はその部屋自体に目を奪われていた。部屋の中にはスタジオでよく見るような、緑の背景の紙が壁にかかっており、手前ではカメラが三脚に乗せられてスタンバイしていた。




「良いでしょう、集めたんです。」




 れいにーは得意げに笑うと、真顔になった。




「さぁ、急いで、服が合うか確かめてください。運転手さんを待たせるわけにいきません。」




 彼女はそう言うなり、ぱたぱたと部屋のクローゼットに手をかけた。








 れいにーの背格好と早苗の背格好はそこまで近くはなかった。胸は早苗同様上品なサイズではあるが、早苗の方が身長は一回り大きい。と言うより、れいにーがだいぶ小さかった。けれど、クローゼットには多くの服が収納されていて、早苗にも合いそうなものがあってもおかしくはなさそうだった。




「凄いね……。」




 これも集めたのだろうか。感心していると、いくつか良さげな服――というよりもドレスやドレスワンピ――をれいにーは床に並べながら話し出す。




「うち、アパレルブランドの創業者一族なんです。ポニータって聞いたことありますか。」




「え、知っているっ。あのポニータっ。」




 早苗は驚きながらはしゃぐ。高級ブランド、ポニータ。早苗が初任給で買った憧れのブランドだった。目を輝かせると、彼女はにっこりと笑う。




「両親が今海外に出張中で、それで部屋にあった撮影器具とかリビングに引っ張って遊んでいたんです。そろそろ片付けなきゃなぁなんて思っていたけれど片付けるの後回しにしていて良かった。」




 幸せそうにいくつかの服を手に取ると、早苗に手渡した。




「さ、早く着替えて下さい。サイズが合わないものはそこらへんに置いておいてください。あ、その前に化粧落としておいてください。化粧落としなら風呂場に置いてあるものを使っちゃってください。あ、雨でちょっと髪もダメになっていますね……もういっそ急いでシャワーを浴びてきてください。その間にこちらは撮影のセッティングしておきます。」








 そこからはあっという間だった。早苗がシャワーを浴びている間に置かれていたタオルで身体を拭いて着替えているうちに、れいにーはセッティングを終えたらしく、脱衣所に入ってきて、早苗の髪をドライヤーで乾かしていた。早苗はその間に化粧をやり直し。




 早苗の準備が整うと、早速、れいにーの言われるがまま、緑バックやベランダに行ってはいくつものポーズをした。シャッターが何度も下ろされ、着替え直して、を繰り返す。




 そうして撮られた写真をパソコンに表示し、れいにーと早苗で一番気に入った一枚を選ぶと、れいにーはパソコンでそれらをポスターのように修正し、データとしてUSBに保存。これを待機させているタクシーで印刷屋まで行ってもらって、そこで綺麗に印刷してもらうらしい。








「「お待たせしましたーっ。」」




 二人共、タクシーに乗り込むなり、タクシー運転手に声をかける。結果、2時間近く待たせてしまうこととなったが、彼は気にしていないかのように、くっくっと笑った。




「息の合う二人だねぇ。姉妹なのかい。」




「ち、違いますっ。」




 慌ててれいにーが否定する姿がおかしくて早苗はつい悪戯心がくすぐられる。




「そうですよ。」




 肯定の返事をしてみると、ぽかん、とした顔でれいにーが早苗を見つめ、運転手がまたおかしそうに笑っていた。








 24時間営業を掲げる印刷屋の中で二人は大人しく椅子に座って出来上がるのを待っていた。サイズ的にも1時間程度で仕上がると言われていた。印刷枚数はとりあえず30枚。日付や時間等最低限の情報しか載せていないので、作り直す可能性もあるから、とのことだった。




「でもよくタクシーのドライバーさん、待ってくれるよね。」




 有り難い、と早苗が呟くと、当然のようにれいにーが返事する。




「あれは個人タクシーですし、金も握らせましたからね。」




 サラッとそういう言葉が彼女の口から出てきてびっくりしていると、先程のポスターデータをスマホ画面で表示させた。




「それで、これなんですけど、さなたんさんのアカウントで宣伝していただければ拡散するので画像スマホに送ります。」




「う、うん。」




 勢いに押されるようにして、早苗はスマホを取り出し、れいにーから画像が送られてくるのを確認する。たった数時間で作り上げたとは思えないポスター画像が早苗の掌の中に現れる。発信する前に、と、4人のグループチャットに画像を置いてみると、透がすぐに反応した。




『凄い綺麗じゃん』




 良かった、と素直に思う。ウォッチャーからも『良い』というコメントが貰えたところで早苗はSNSに投稿した。








 ポスターが仕上がった頃には、れいにーが『さなたん』の宣伝をしていた。れいにーの宣伝によって、『さなたん』のフォロワー数はどんどん増えていく。齧りつくようにして、増えろ、増えろ、と早苗はスマホに念を送っていた。1,178、1180、1181……。




 不意にアマビエの声がする。




「――これは、お前の顔が多くの人に見られているのか。」




 返事をするわけにもいかず、スマホを覗きこむようなフリして頷く。れいにーが店員からポスターを受け取っている。








 その日はタクシーのドライバーにポスターを渡して、そのままタクシーでれいにーのマンションまで戻って二人でマンション内にあったレストランで食事をした。早苗は何度かお金を払おうとしたが、れいにーはそのたび断った。その姿は雨の中で早苗のためにビニール傘を買いに行くマスクマンの姿と重なった、けれど。




 ――『オタク失格である』




 マスクマンがチャットで言った発言が早苗の脳内で引っ掛かって取れそうも無かった。




 食事後はれいにーの部屋で早苗はパジャマを借りて二人で風呂に入って散々はしゃいだ後、ベッドに潜り込んだ。ベッドに横になるなり、くすくすと笑い合って話していたが、疲れがどっと押し寄せたかのようにすぐに寝てしまっていた。








 この日も悪夢で覚めた。誰もいない舞台の上で早苗の足は動かなかった。汗をかきながら自分の呻き声で目を覚ましたが、隣のれいにーはすやすやと安らかな寝顔を早苗に向けていた。ホッと胸を撫で下ろしつつ起き上がると、ハッとしたように隣でれいにーが跳び起きた。




「しまった、パジャマでツーショット撮っていなかったっ。」




 あぁ、と呻く彼女に早苗は、あはは、と笑い声をあげた。








 早朝のランニングができるような服装ではないので今朝だけは諦めて、代わりにパジャマ姿のまま、部屋で柔軟運動と筋トレをさせてもらう。昔は体が柔らかかったはずだが、年を経るにつれだいぶ固くなっていた。それでも去年から柔軟運動を続けているうちにだいぶ学生時代の柔軟さを取り戻してきていた。




 その間に、とれいにーは朝食も用意してくれているらしく、パンを焼く良い香りが部屋に漂っていた。不思議なほど至れり尽くせり。匂いに食欲が刺激されてぼぅっとしていると、不意にスマホがぶるぶると震えて通知が一件。屈伸運動の体勢のまま手に取るとアオケンからだった。




『れいにーってマジ?』




 うん、と打とうとしている間に言葉が続いた。




『さなたんの衣装担当だけど?』




 ぐるん、と早苗が勢い良く首をれいにーに向ける。まんまると見開いた早苗の目に映るれいにーはご機嫌そうに鼻歌を歌いながらミキサーに一口サイズに切られた何種類かの果物を流し込むところだった。








 ファーストライブまで日々は刻々と過ぎていった。毎日歌か踊りの教室に通い、夜中には昔のアイドルの曲を歌ってネットにあげてみたり、化粧品やライブで売るためのプロマイド制作の準備をした。ただし、アパートの壁は薄く、少し歌っただけで隣の部屋から、ドンドン、と叩かれる始末だったので、ボーカル教室のスタジオでいくつか録音しておき、それらを毎日一曲ずつ載せていった。フライヤーは特に修正箇所も無く、そのまま増刷し、あちこちの劇場に置いてもらった。4人と出会った居酒屋にも置いてもらった。れいにーは4人に混じって懸命に宣伝していた。お陰でさなたんのフォロワー数はファーストライブ1週間前にして6000人を超えていた。けれど、マスクマンはれいにーをオタクとして認めようとしなかった。因みにライブハウスのオーナーはオタクとして及第点とのことだった。




 4人にれいにーが加わった当初、マスクマンがれいにーのことを認めないのはれいにーが女性だからかと思って早苗は複雑な思いに駆られていた。特に透のれいにーに対する視線は誰が見ても特別で、ウォッチャーが何度も呆れて溜息をついていた。男4人の中に綺麗な女性が、それも仲間として混じると和が乱れやすい。れいにー自身はまるでそんな事態を気にせず、と言うよりも、もっと何か違うものから逃れようと必死で気づいていないようだった。毎日、明るい笑みではしゃいでいたが、時々、そこに何だか空虚なものを早苗は感じていた。








「見てください、女の子のツーショット写真はやっぱり人気みたいですっ。」




 洒落た紅茶カフェの窓際のテーブルで二人は向かい合う。数週間で一気にさなたんのフォロワー数を増やしてみせた立役者であるれいにーはスマホ画面を早苗に見せていた。そこにはれいにーの念願だったパジャマでのツーショット写真の投稿とそれに対する反響が映っていた。




 凄いねぇ、と相槌を打ちながられいにーの顔を覗き見る。今日のれいにーの顔は一際輝いているように思えた。早苗は紅茶を口に含むと、おもむろに切り出す。




「ねぇ、れいにーはアイドルやりたいと思わないの。」




「私は……さなたんを推したいだけですから。」




 れいにーは笑顔のまま答えていた。けれど、ほんの一瞬、その瞳は揺れたように早苗には思えた。

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