第15話 敵の敵、の敵の敵?
「ソウキ……?」
黒い煙幕が晴れると共に現れた小柄な影。いままで我が物顔で見下ろしていた化け物の残党などではない。同じような黒い影ではあるが、簡単には解けない質量を持っていた。全身細かな傷にまみれ、服もほつれていたが、足取りはしっかりとしている。
アルーフとクロの姿に気付いたソウキは険しく歪めていた顔を緩めた。軽く左手を挙げていつものように飄々とした様子で顔の横で振ってみせる。
「やっぱ無事だったか。何事かと思ったらお前らだったんだな」
「そっちこそ──っ」
無事で良かったと声を張り上げようとしたところでアルーフは膝をついた。口をついて出たのは声ではなく血泥だ。何度も咳き込むように吐き出され、石造りの祭壇を汚す。指の先から身体の芯まで暴れる痛みに息が上がるが、意識を失うほどではない。
この程度の反動は予想の範疇だった。竜の餌にもなる魔素が漂っている中で強い魔術を使ったのだから当然だ。アルーフは足元を睨み付けながら浅い息を整える。禄に戦ってもいないのに満身創痍になっているという情けなさに失笑すら溢れる。
その様子を見下ろすソウキの顔には既に笑みは無かった。
「よかったよかった……って、言える感じじゃないみたいだな」
ソウキの丸い目は、領主と衛士達を捉えていた。飄々とした人懐こい姿はどこかへ消え失せ、ただ害獣を見るような眼差し。
領主の方も似たようなものだった。突然現れた、しかもほんの数瞬前まで化け物の群れが居座っていた所に佇む人影に対して敵意を隠そうとはしない。
衛士達もいつでも交戦可能なように武器は構えたままだ。両者の間に緊張が走る。先に均衡を破ったのは領主だった。
「先ほどの黒い化け物は貴様の手下かなにかか」
「はあ? それはこっちの台詞だクソ領主め。お前の悪事なんてとっくに全部バレてんだからな」
勢いよく啖呵を切ってはいるものの、ソウキの剣はまだ抜かれていない。一足遅く現れたスイコも同様だった。
ソウキと同じように細かな裂傷を数多く抱えており、激しい疲労も滲んでいる。手には剣ではなく、太い縄が二本。繋がる先には小太りの男と骨のような男が立っていた。
「領主様! どうかお助けを!」
汚い懇願の声はスイコの後ろから発されていた。縄に繋がれて糸巻きのハムのようになった小太りの男のものだ。領主と衛士の姿を認めるなり唾を飛ばして叫ぶ。このような扱いは不当であると全身で訴えながら、太い腹を揺らして暴れていた。
「この悪党どもめが我々を虐げ、崇高なる目的を阻害しようとするのです!」
「誠に遺憾ながら捕縛されてしまいましたのですがな、研究成果が全て消失したという訳では御座いませんので、そこのところはご安心いただけますとよろしいかと。願わくはこの自由なき悲哀から解放いただけますと有り難く存じますな」
小太りの男が吠えるに従い、骨男──ドロスまでも身勝手な主張をし始める。
両名とも領主の手の者であるはずだが、領主の顔には怒りと不快感が浮かんでいた。とてもではないが、味方が敵勢力に捕まってしまって心配をしているとか、どう助けるか真剣に考えているとか、そういった類いの顔ではない。
「なぜ私が貴様らを助けねばならぬのだ」
「そんな殺生な! このままでは血も涙もない化け物共に畜生にも劣る下劣な扱いを受けることになるのですよ!」
「私の知ったことではない」
領主に冷たく突き放されても尚吠えるのを止めない男をスイコは光の無い目で睨んでいた。ここまでの道中がどれほどのものであったかアルーフの与り知らぬところだったが、スイコの疲労が純粋に魔物などと戦った故のものではない事を悟った。
「お仲間に対して随分冷たいんじゃねえの?」
領主と男たちのやり取りを黙って見ていたソウキが首も上体も大きく傾けて腕を組む。いっそわざとらしい程の訝り様だ。
「仲間などではない。ただ金に釣られてきただけの守銭奴を仲間と呼ぶとは随分と情が深いのだな」
「ええ~……。こいつらがベラベラ喋ってた感じだと、いかにも領主の腹心なんです~。でも脅されて仕方なかったんです~。みたいな空気出してたんだけど」
「金と魔鉱石をせびるばかりで成果を出さぬ役立たず共という認識だが」
領主から縄で繋がれた二人に与えられたのは救いの手ではなく、絶対零度の睨みだった。ソウキと領主が言葉を交わしている間もやいのやいのとやかましく喚いていた二人だが、その一睨みで身を竦ませる。
それでもめげずに食い下がったのはドロスの方だった。
「成果は! 成果は出ております! あとほんの少し材料と時間さえあれば必ずや砂都周辺を全て覆い尽くせるまでの出力を実現させてみせますとも!」
しわがれた高めの声は虚しく岩壁に反響する。もはや領主の目に二人の姿は映っていなかった。
「……こやつらを助けてやる義理もないが、逆賊を見逃してやる道理もない」
領主は剣を握り直した。その動作を合図にしたかのようにソウキ達の立つ歩廊の両端から衛士達が顔を出す。
ほんの少し前までは居なかったはずの援軍にソウキは目を張った。外部に連絡を取るような仕草はなかったのにと、スイコとも顔を見合わせる。
正体不明の化け物の大群との戦闘を予期していた衛士達は、まだ少年少女といって差し支えない二人が武器も構えずに立っているだけという状況に戸惑っていた。だが領主に敵対していることもまた確か。武器を構え、式術を放つための準備も整えたままの体勢で領主の指示を待っていた。
まさか絶妙な頃合いに現れた援軍と領主との間で連携が取れていないなどつゆほども思っていないソウキとスイコ。彼らの構えは、人質諸共葬り去ろうとしているようにしか映らなかった。
あまりの潔さに、ソウキはただですら丸い瞳を更に丸くして立ち尽くす。
「すげえな。こいつらのことガン無視かよ」
言葉を交わすだけでは済みそうにない空気感。ソウキは斜め上に視線を逸らしつつ、なにかを思案しているようだった。
「なあ、オレらの方ばっかり気にしてるけどさ、今あんたらも挟み撃ちの状態になってるって気付いてんの? 後ろから魔術で狙い放題なわけだけど」
魔動機械にもたれて身体を休めていたアルーフは飛び上がった。限界に来ていた疲労に意識が遠のきかけていた中、急に話を振られてわけもわからないままに一歩前に出る。
領主を囲んでいた衛士の中でも後衛に位置する者達は反応が速かった。隊長の命により、後方の警戒をしていないかのように警戒するというややこしい体勢を取っていたためだ。
すぐさま反転して足を踏み換える衛士。だがそんなことを意に介さぬ声が遮った。高笑いが岩壁に囲まれた空間に反響する。
「なははははっ! そういつまでも好き勝手振る舞えるなどと思い上がらないでいただきたい!」
ドロスが怪しげな動きをすると同時にアルーフの足元で陣が蠢く。見えないように細工されていたのか、気付いたときには既に力ははじけていた。
足下から礫の雨が昇りそそぐ。咄嗟に体を庇おうとする腕には小石をいくつか投げつけた程度の衝撃。術の威力は大したことはなかったが、虚を突かれたアルーフの身体は軽く後ろによろめく。
「アルーフ!」
がつんと響く鈍い音。魔動機械には血が飛び、頭を打ち付けたアルーフの意識は一瞬で暗くなる。両腕を拘束されたままの無理な体勢で固く冷たい床の上に転がった。
派手な見た目の怪我におののいたクロが駆け寄ろうとするも、背後から掴まれその足は空を切る。シンラと呼ばれていた若い衛士の仕業だ。
「おいこら待てチビっこ!」
「ぎゃああああ! 起きろアルーフ、殺されるうううう!」
「殺さねえよボケ!」
口こそ悪いが、シンラはクロを捕らえようとすらしていなかった。誰よりも後方に意識を向かせていたがためにいち早く魔動機械の異変に気付いただけだ。同じく後衛に位置していた年嵩の衛士は、クロをシンラに任せて数歩だけ魔動機械の方へと出る。
小さな雷が弾けるような異音が数回したとシンラ達が認識するなり、目を灼かんばかりの輝きが辺りを覆う。
「何事だ」
集まった衛士達が見たこともない光景にざわつく。予期せぬ挙動に領主までもが瞠目していた。爆発でもするかという様相にソウキとスイコも身を固くする。皆が皆身構える中、ドロスだけは目を爛々とさせていた。
「領主様どうぞご覧くださいませ! これです。これなのです! 我々が心血注いで辿り着かんとする境地の一部! いますぐにでも充填し続けてきた魔素を解放せねばこの機を逃すこととなりましょうぞ!」
「ちょっと!」
柵の無い足場にも関わらず前のめりになるドロス。ぴんと張る縄にスイコがたたらを踏む。領主に相対していたソウキだが、下手な真似ができぬようドロスを石床に押さえつけた。
これまでの嘘くさい従順さを捨ててドロスは藻掻く。
「何を黙って見ておるのですかな!? 早く
裏返った高いしわがれ声が光の中に消えていった。興奮して荒ぶるドロスに反して、魔動機械はほんの一瞬で何事も無かったかのように沈黙する。衛士達も動くことはない。
だが領主の一声がかかれば速かった。
「全員捕縛せよ! その縄で繋がれた者諸共だ」
空中路の両端から衛士達が迫れば逃げ場は無い。乱暴に腕を掴まれソウキは心ばかりの抵抗を見せるも、五人がかりで抑え込まれれば床に引き倒されあっけなくその手に縄がかかる。
「
「痛いのが嫌なら大人しくしていろ」
「はいはい、わかりましたよ~」
大人しくしていろという言葉通りにソウキは石の足場に倒されたままの姿で完全に力を抜いた。
「あ、こら自分で立て! このくっそ……重いな!」
ソウキの無駄な抵抗に手を焼く援軍の衛士達。魔動機械の異変が収まるなりアルーフの下へと向かった年嵩の衛士は不謹慎ながらも、あちらの担当でなくて良かったと胸を撫で下ろしていた。
気絶したままのアルーフの頬を二、三度はたくと、目蓋がふるふると震え出す。うっすらと開く翡翠色の焦点はいまひとつ合っていない。何度か瞬きを繰り返すがその動きは緩慢だ。
「おいしっかりしろ。名前は言えるか」
「ぅ……」
年嵩の衛士の背後から領主が姿を現わしても反応は鈍い。
「どうだ。すぐにでも話は聞き出せそうか」
「いえ難しそうですね。かなり強く頭を打ったようです。加えて出血もありますので、他の者と同様に一度砂都まで連行後回復を待った方が良いかと」
「急ぎたいところではあるが、致し方あるまい」
領主の言葉を聞くなり衛士はアルーフを軽々と肩に担ぐ。アルーフは暴れることなく、歩調に合わせて揺られるがままだった。
後ろ姿を見送った領主は一歩魔動機械へと近付く。アルーフの血に汚れた他は何も変わった所はない。ただいつものように静かな灯りを灯しているだけだ。
いつもならばいつも通り眉間にいつもの皺を深く刻むはずの領主の顔からは一割ほど険しさが薄れていた。それも一瞬の事だったが。
「領主様これは一体どういうことですか!」
「我々は被害者ですぞ! このような仕打ちを受ける覚えはありませぬな!」
同僚への憐れみの視線が注がれていたのはソウキの所だけではなかった。
衛士による救出を期待していた男二人は、どこにそんな元気があったのかというくらい喚き立て続ける。二人とも領主より多少若い程度だが、恐らくこの空間にいる誰よりも溌剌としており、衛士の手を焼かせた。
「なぜこのような非合理的な措置をとられるのですかな!? 私共を拘束することで如何ほどの機会が損失されるかお分かりか! 今すぐ私を解放し、そこの大耳の男の身柄さえ頂ければ貴方様の宿望は叶うのですよ!」
「私のではなく、貴様らのであろうが」
「我々の願いは軌を一にしていたはずでございましょう。何を躊躇うことがあると仰るのですかな?」
「……これ以上の問答は無用。疾く連れて行け」
石床に踏ん張っていた男共は力尽くで引き摺られて行き、光に満たされた地下空間には再び静寂が戻る。薄暗い地下から這い出た一行を迎えるのは、穴の開いた夜の帳。深く吐き出された吐息を聞く者はいなかった。
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