第13話 誘う影

 地下空間は奥へと進んでも真っ暗にはならなかった。ここが過去に人の住む場所であったことを証明するように、光を放つ魔鉱石が至る所に設置されている。魔素が全て放出されてただの石ころになってしまっているものもあるが、道を行くには十分な明るさだ。


「魔物、全然出てこねえな」

「もしかして魔物が入り込んでるのは入り口近くだけなのかしら?」

「順調すぎて逆に不安になんだけど。なんで廃棄されたのかもよくわかんねえし」


 囁いたソウキは通って来た道を振り返る。

 廃棄市街は蟻の巣のように複雑に入り組んでいた。日がな一日、下手すれば人によっては一生ここで過ごしたのだろう。

 集会場らしき広い空間もあれば、個人個人の居住空間にもなり得る個室のようにくり抜かれた空間もある。場所によっては岩壁に刻まれた文字が読める状態の良さだ。

 それにごく細くではあるが水路も通っていた。今では気持ち程度しか流れていないが、溝の広さを見るに、昔はもっと生活用水に使える程の水量があったのだろう。


「よかった。水路が残ってる」

「水浴びできるくらいあったらな~」

「なに贅沢言ってるの。飲み水として残ってるだけでも十分ありがたいわよ」


 スイコは残りが心許なくなっている水筒に手をかけた。水は多めに持ってきていたが、それを括り付けていた馬は鎧大百足の出現に驚いて走り去って行ってしまっていた。アルーフの魔力の影響で何故か筋骨隆々になっていた事を考えると、小型の魔物程度は蹴散らしてしまえそうな馬。今頃どこで何をしているのか。


 流れる細い水にソウキは手を差した。冷たい水は身体を冷やすのにも都合良さそうだ。水量が少ないのが悔やまれた。そのまま片手で掬って水を舐める。少しだけ苦みがあるが、害があるものではないだろう。

 ぬるくなってしまった水を一度捨てて、新しい水で水筒を一杯にする。皮が張った水筒は重い。


「ん?」


 水路から顔を上げた途端に冷たい風が吹く。隣を見やれば、同じように水筒を満たしていたスイコも周囲に神経を尖らせている。


「今の」


 短く発したソウキの声にスイコは無言で頷いた。腰の剣は既に抜かれている。

 人だ。と直感的に思った。純粋な殺気。どう料理してやろうかという残忍さ。姿は見えないが、嗤うような気配があった。衛士に追いつかれたか。

 いや。

 ソウキは浮かんだ考えを瞬時に否定した。衛士はお偉い奴らとルールに付き従う。擁護するわけでもないが、狩りを愉しむような輩に遭ったことはなかった。ここを根城にしている人狩りだか野盗だかだと考えた方が自然だ。

 スイコと背中合わせになり、ソウキも剣を抜く。その刀身は短い。


──折れてるんだったー!


 ほの暗い中でソウキは歯噛みした。だが刀身の半分は残っているから使えないこともない。突き技は使えないし、いつもより近い間合いに入らないといけないことに目を瞑れば戦えはする。


「豁サ縺ュ豁サ縺ュ豁サ縺ュ豁サ縺ュ繝シ縺!!」


 ソウキの事情などお構いなしに影が舞った。人影ではない。魔鉱石に照らされて影そのものが襲いかかってきていた。影の身体に爛々とする血のような目玉。

 その姿にソウキもスイコも一瞬気を取られた。金属を擦り合わせた音に泥を混ぜたような不快な叫び声を上げて爪が振り下ろされる。人と同様に二足で立っており、長い二本腕を自在に操っているが、その爪は一つ一つが短剣の鋭さを持っていた。

 見覚えのあるその姿形に反応が一寸早かったのはソウキだった。折れた剣を振るえば影の化け物の腕に斬撃が薄く入る。頭を狙ったはずの爪の軌道が逸れ、上腕の服が裂けた。

 思わず出る舌打ち。剣が無事なら腕は落とせていたはずだ。

 ソウキは追撃してこようとする影を蹴り飛ばして距離を取る。影は図体の割に軽く、その身体は気持ち良いくらいに飛んでいった。


「なんなのよこいつら!」


 次から次へと飛びかかってくる影達を斬り伏せながらスイコは叫ぶ。攻撃を受けても怯むことなく襲いかかってくる敵。左腕を切り落とされたその瞬間には既に右腕で掴みかかってくるような相手だ。危機感を抱かない方がおかしい。

 鎧大百足との戦闘で既に消耗していた身体は強化術が充分に働かずスイコの動きが鈍くなる。細腕には浅い切り傷がいくつも刻まれていた。


 穴だらけの壁の向こうにはまだまだ数多くの赤い目が輝いていた。縄張りに入った者を排除するのが目的なら、大群で一息に攻め込んでくれば良いものをそれをしない。嗤い声すらする様だ。

 足掻く様子を愉しんでいる。同胞がいくら死のうとも、それ以上に得られる昂りに酔っているようだった。


「こいつら影の国にもいやがった! 頭か心臓あたり狙えばすぐ死ぬ!」

「あっさり難しいこと言ってくれるじゃない──のっ!」


 細身の剣を一回転させてスイコが頭を落とせば、影の化け物の輪郭は解け、黒い靄となって霧散していった。剣を大きく振った隙を狙って、壁の向こうでひしめいていた影達がスイコに飛びかかる。ソウキが別の影を切り飛ばしながら身体を反転させたのとほぼ同時だった。先に着地した足に体重を乗せて剣を突き出す。アルーフの型を真似たこの技が一番速いはずだった。


 間に合わない。折れた半分の距離が届かない。強く噛み締めた奥歯が軋む。

 小さく。素早く。


 血が沸騰する感覚。魔力が噴き出した。

 空を裂く剣に魔力が集中する。欠けた半分を補うように魔力の刃が織られたのは影の脳天を貫くのと同時だった。幻想の剣は影の化け物と共に霧散する。

 詰めていた息を吸い込むなりソウキの踏み込んでいた足から力が抜ける。立て直しきれない体勢。影の化け物はまだ一体残っていた。振り返れば既に視界は大きな爪で遮られている。

 まともに食らうと身を固くした瞬間、横髪を掠めるように剣が薙ぐ。スイコだ。ソウキが割り込んだ合間に構え直された一閃は冴えていた。首から先が無くなった影の化け物は姿を保てず、宙に解けていく。


「ありがとうな。助かった」

「それはお互い様でしょ。はぁ……あいつらなんだったのかしら」

「言われてみればなんなんだろうな? 影の国にもいたけど、魔物とも魔族ともちょっと違うし」

「昔話に出てくるみたいな魔族が一番近いような気もするけど……。まあ、その辺は研究者にでも任せた方がよさそうね」


 地べたに座り込んだまま剣を収めるソウキへとスイコは手を伸ばす。ソウキもそれに応じて右手を挙げたが、スイコが手を掴もうとすると横に逸れる。


「ちょっと、今はふざけてる場合じゃないでしょうが!」

「悪い。なんか、手が思うように動かないっぽいんだわ」


 なんでもない事のようにへらりと笑うソウキ。押さえる腕は小刻みに震えていた。それを見咎めたスイコは隣に膝をついてソウキの服の袖をまくり上げる。平時よりも血管にあたる箇所が浮き上がり、強く脈打っていた。


「さっきの魔術のせいかしら? 反動……いえ、そもそもなんであんなに早く顕現を……?」


 一日中重い物を振り回し続けて腕を酷使し続けた時の症状によく似ている。外傷でなくとも効くかどうか怪しいが、スイコは持ってきていた治癒式の施された帯をソウキの腕に巻き付けていく。

 しばらく何かをぶつぶつと呟いていたが、結局巻き終わるまでの間に結論は出なかったらしい。


「はい、気休めかもしれないけどこれで──っ!」


 言い切らないうちにスイコが素早く立ち上がった。今度はソウキの耳にもはっきりと届いた子供の声。


「おとうさん……!」


 悲痛さを伴うその幼い声にスイコは素早く駆け出した。声は近い。迷いの無い足取りだった。ソウキもよたつきながらもすぐ後ろに続く。

 開けた場に出るとにわかに周囲が明るくなった。強くなったり弱くなったりと脈打つ光。青から緑、黄と移ろいゆく。

 それだけならば見惚れることもできただろうが、光源を囲むように拵えられた檻がその興を削ぐ。岩肌をくり抜いた空間には丈夫な格子がはまり、中には子供ばかり何人も寄り集まっていた。


「莉雁 縺励※繧 k縺九i縺ェ」


 震える幼子の目の前には黒い影。格子に手をかけ激しく揺さぶっている。ソウキが気付くよりも早くスイコは反応していた。

 瞬時に魔力を全身に漲らせ身体の強化を強めて影を蹴り飛ばす。その場で首を飛ばさなかったのは幼子の目の前だからか。格子の前から退けるなり抜刀し、地に伏した影に向かって大きく振りかぶった。


「やめて!」


 岩肌に子供の叫び声が反響する。皮一枚。影の首の前で細身の剣が止まった。

 隙を突いて影が反撃してくるということもない。ただ地面に転がされたままだ。周辺を徘徊している影もこちらに襲いかかってくる様子は無く、むしろ翡翠色の目を瞬かせて怯えているかのような動きを見せる。


「なあお前、この化け物に襲われそうになってたんじゃないのか?」


 息を弾ませながら追いついたソウキは声をかけた。額を押し付けて手を伸ばしていた子供の顔には赤く痕がついている。


「おとうさん、あの中に入れられて、真っ黒お化けにされちゃって……」

「真っ黒お化けに、された?」


 子供の指さす先には光。光の中心には機械が鎮座していた。その姿は蛸に似て、いびきのような音を立てる中央の球体からは無数の足が伸びる。空間一杯に敷き詰められ、あるものは檻の内部へ、あるものは上層へ、またあるものは通路の奥へと繋がっていた。

 その行く先を追っていたソウキの視界に異物が二つ入る。通路の奥に先ほどまでは無かった人影があった。球体の光が逆光になっていて顔はわからない。


「おや、わたくしの工房にネズミが二匹。これは一体全体どういうことでしょうかねえ」


 骸骨に皮を被せたような痩身の男からは張りの無い声が発され、隣に並び立つ小太りの男は下卑た笑みを浮かべていた。


 ◇◇◇


「ひぎゃあっ! 勘弁し……へぶっ!」


 情けない悲鳴と顔を殴りつける鈍い音が響く。何度も、何度も。無数の配管の上には鼻血と共に何かの液体が飛び散っている。剣を握るには心許ない右腕だが、悪党をぶん殴るだけなら問題なかった。


「き、き、貴様、知り合いの顔を殴りつけるのに抵抗はないのですかな!? それか、裏切りにショックを受けるとかそういう……あぶっ!」


 ソウキは骨男──ドロスの胸ぐらを掴んだまま、もう一発殴りつける。舐めた態度でかかってきた小太りの男は白目を剥いて隣でひっくり返っていた。


「最初っから怪しさ全開の奴を信用するわけねえだろが! 面倒くさいからほっといただけだっつーの!」

「そんなそんな! わたくしの計画は完璧だったはず……!」

「どこがだボケ! 改めて聞いてやる。お前らここで何してたんだ? この人達に何をした」

「ククク……我らが偉大なる悲願をそう易々と喋るわけがないでしょう」


 この状況下にあっても尊大な態度を崩さない。鼻で嗤うドロスに対してソウキは青筋を立てた。だが怒鳴り散らしたりはしない。青筋を立てたまま笑みを浮かべる。


「ちなみにオレの質問に一つ答えない度に、指の骨を一本ずつ折っていきますのでそのつもりで」


「魔力を得るための実験ですよ。ええ。此方こなたでは失われてしまった原初の魔素である淵源素を得るために大耳の方々には協力いただいたんです。領主が動かそうとしている魔動機械がまあ通常の魔素では稼働しないものでしてな。古代世界では精霊を介して命の源ともなる原初状態の魔素が大地に溢れていたようですが、魔王の出現と共に此方からは消失してしまったようでして。

 そこで我々は彼方かなたの世界への接触を試みたわけですな。精霊にできていたのであれば、我々にもできるはずですからね。ですが、精霊の力なくして彼方の世界から原初の魔素を引き出すには人の魂が必要なようでして。一度此方から彼方へ人を送り込み、再び此方へ帰ってくる時に魔素を得られるというわけでございますな。

 これがまあ何故か大耳か尖耳の方々にしかできないようで、協力者が偏ってしまうという難点があるのですよな」


 簡単に脅しを入れただけの言葉に間髪入れず屈したドロス。聞いてもいないことをべらべらと喋り始めるが、いらない情報がついてくるせいでソウキの頭は若干混乱していた。

 詳しい話はともかくとして、領主が手に入れた魔動機械を動かすために大耳たちがここまで攫われてきた事は間違いなさそうだ。


「そこの子供が、お父さんが真っ黒お化けにされたって言ってたぞ。なんで大耳たちをわざわざ化け物にした」

「ハハハハ! 化け物を、生み出す!? この私がですかな!? ──うぶっ!?」


 高笑いするドロスに容赦なく拳が入る。

 情報源はもう一人小太りの男もいるわけだし、使い物にならなくても良いかと剣の柄にソウキは手を伸ばした。だが例の子供と、おとうさんと呼ばれていた影が目に入り、その腕を下ろす。


「んん~……いえいえ。別に私はあのような化け物を生み出そうとしたわけではありませんのでな。どうにも彼方から戻ってくる際に身体を構成していた魔素──或いは魂と言うべきものだかが変質してしまうようでね。あのような残りかすになってしまうのですよ。

 大半は此方へ戻って来た時に霧散しますが、稀にああして元の意識が残るようですな。影の国では彼方から直接引き上げる方法を試しているようですが成果は中々芳しくないようですねえ」


 口の中も切れて痛むだろうに、ドロスは口角を目一杯まで引き上げる。


「この人達を戻す方法は?」

「炭を生木に戻すのと同じですな。それはそれで面白い課題ですが、魔素の供給問題も白化問題も解決していない中で新たに手を出すとなると……ああそうだ! あの目! あの目をいただければ研究も捗ると思うのですよ! それに貴方の中身を少々と──」

「……こいつと話すの疲れんな……」


 聞きたい事を一つ問うと、いらん情報が十付いてくる。ソウキは深く溜息をついた。

 今の話からして、ここにある機械はあくまでも動力でしかない。無論壊していくことに変わりは無いが、おそらく領主が買ったという魔動機械そのものはまた別の場所にあるだろう。

 ソウキは隣で伸びている小太りの男に目を向けた。


「なあスイコ。気付け薬みたいなの持ってたりしないか」

「あるにはあるけど……」


 子供と話し込んでいたスイコがゆっくりと近付き、液体の入った小瓶を取り出す。


「ドロスと話してちゃややこしい。魔動機械の在処ならこっちのおっさんに聞いた方が早いかもしれないからさ」


 同じタイプだったらどうしようかという一抹の不安はあるが。

 ソウキは念のためにドロスを檻の格子部分に括り付け、小太りの男に向き直った。スイコから受け取った怪しげな水薬を開いたままの口に流し入れる。


「ごべああっ!?」


 男の口の中で小爆発が起きた。水薬の内部で弾けていた光の効果か。突然の衝撃に男は目をひん剥いて痙攣し、目を覚ました。


「ひいええっ! し、仕方なかったんだ! 領主に脅されて仕方なく!! い、命だけは助けてくれ!!」


 状況を正しく把握はしていなかろうに開口一番の命乞い。家畜が叫ぶような男の声は聞くに堪えないものだった。口の端から水薬が滴るのも構わず喚き散らす。

 これはこれで厄介そうだ。ソウキは何度目かわからない溜息を吐いた。


「情報次第では命は助けてやるよ。領主が手に入れた魔動機械はどこにある?」

「あっ、あの通路の奥に……!」


 男が示したのは二人が姿を現した通路だった。内部はある程度整備されているようで、その奥は歩くのには支障ない程度の明るさがある。道は照らされているものの、その終わりまでは見通せなかった。

 ここまで来る廃棄市街の中が入り組んでいた事を考えると、この道の先も複雑な構造になっているかもしれない。

 一瞬だけソウキは顎に手を当てて悩む。結論が出るのは早かった。


「もちろん、道案内も快く引き受けてくれるよな」


 ソウキは片方だけ口角を上げ、あくどい笑みを浮かべた。

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